第17話 「シリウスの休日(カジノ・クラッシャー)」
【ノービス娯楽区・カジノ『黄金の賽』】
煌びやかなシャンデリアの下、欲望と絶望が交差する場所。
カジノ。
「うぅ……。今月の家賃が……お肉代が……」
スロットマシンの前で、一人の女性が項垂れていた。
頭の上の犬耳はペタンと伏せられ、尻尾はダラリと下がっている。
『鉄の戦斧』の斥候、ミーナだ。
「……ミーナさん。何をしているのですか?」
声をかけると、ミーナは涙目で振り返った。
「あ、シリウスくん……! 聞いてよぉ、なけなしの銀貨がついにゼロになっちゃったの……。あと一回回せば当たる気がするのにぃ……」
「典型的なギャンブル依存症の思考回路ですね。……愚かです」
シリウス・ロジックは、眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷ややかな視線をホールに向けた。
「カジノとは、確率論を無視した愚者が、胴元に金を寄付する集金システムに過ぎない。……ですが」
彼は手元のチップ(元手・金貨10枚)を弄ぶ。
「変数が全て観測可能であれば、それはギャンブルではなく、ただの『物理演算』です。……見ていなさい」
シリウスはミーナを連れてルーレット盤に近づいた。
ディーラーが球を投げる。
回転速度、盤面の摩擦係数、ディーラーの癖、球の反発係数。
彼の瞳の奥で、膨大な数字が駆け巡る。
「……計算終了。解は『赤の14』」
彼は手持ちのチップを一点に賭けた。
周囲の客がどよめく。
「お、おいシリウスくん!? 一点張りなんて無茶だよ!?」
ミーナが慌てるが、シリウスは動じない。
球がカラカラと音を立てて落ちる。
入った場所は――
「赤の14番! 大当たりです!」
「「「な、なんだとぉぉぉっ!?」」」
「うそっ!? 当たったぁぁぁ!?」
ミーナの犬耳がピンと立った。
シリウスは表情一つ変えず、山積みになったチップを引き寄せた。
「当然の結果です。……さあ、ミーナさん。失った分を取り返しますよ」
◇
【1時間後】
カジノ内は異様な熱気に包まれていた。
シリウスが座る席では、必ず「彼」が勝つ。
そしてその隣で、ミーナが「いけぇーっ!」「すごーい!」と黄色い声を上げていた。
「ブラックジャック。……ヒット。……21です」
「ポーカー。……相手の心拍数上昇。ブラフですね。……コール」
負けなし。
手元のチップは、既に金貨300枚相当にまで膨れ上がっていた。
「すげぇ……! なんだあいつ、予知能力者か!?」
「シリウス様についていけば間違いねぇ!!」
客たちがシリウスを神のように崇め始める。
ミーナもホクホク顔でチップを数えている。
「すごーい! シリウスくん天才! これでお肉食べ放題だよぉ!」
だが、シリウス自身は退屈そうだった。
「……つまらない。変数が単純すぎます。これなら遺跡のスライムの動きを予測する方が、まだ難易度が高い」
彼がチップを換金しようと席を立った、その時だ。
「――お客様。少々、勝ちすぎではございませんか?」
背後に、黒服を着た大男たちが立っていた。
耳には魔道具のインカム。腰には警棒。
明らかに「カタギ」ではない。
「……何か問題でも? イカサマはしていませんよ。ただ『計算』しただけです」
「ええ。ですが、当店としてはお客様のその『計算』……少々目に余りますのでね」
黒服の男が、シリウスの肩をガシリと掴んだ。
「別室(VIPルーム)で、ゆっくりお話を伺いましょうか」
「あ、あのっ! 私は関係ないんですけど……!」
ミーナがおずおずと手を挙げるが、黒服に睨まれて「ひぃっ」と縮こまった。
◇
【カジノ裏・支配人室】
通されたのは、豪華だが窓のない密室だった。
ソファーには、葉巻を燻らせた強面の支配人が座っている。
「単刀直入に言おう。……兄ちゃん、魔法を使ったな?」
「魔法? 心外ですね。私は弓聖です。使ったのは脳味噌だけですが」
シリウスが淡々と答えると、支配人は机をバンッ!と叩いた。
「ふざけんじゃねぇ! 魔法も使わずにあんな連勝ができるわけねぇだろ! 『透視』か? それとも『確率操作』か?」
「ですから、ただの確率論と行動心理学の応用で――」
「理屈はいいんだよ!!」
支配人の合図で、黒服たちが警棒を抜く。
シリウスは溜め息をつき、眼鏡を直した。
「……やれやれ。これだから知性の足りない蛮族は。暴力で解決しようとするのは、論理的敗北を認めた証拠ですよ」
「なんだとぉ!?」
「ミーナさん、下がっていてください。……計算終了。あなたたちが私に勝てる確率は0%です」
シリウスは構えた。
弓はない。今はメンテナンスに出している。
だが、彼には「計算」がある。
黒服Aが殴りかかる。
シリウスは最小限の動きで避ける。
「右フックの軌道、予測済み。……そこにある花瓶に足が引っかかりますよ」
「あ?」
ガシャーン!
黒服Aがつまずき、そのまま前のめりに倒れた。
「次はあなたですね。……その警棒の振り方だと、味方に当たります」
「うぉぉっ!?」
バキッ!
黒服Bの警棒が、背後にいた黒服Cの顔面にヒットする。
「な、なんだこいつ……!? 気味が悪ぃぞ!?」
「動きが全部読まれてやがる……!」
シリウスは涼しい顔で、倒れた男たちの間を歩いた。
「言ったはずです。変数が観測可能なら、それは『物理演算』だと」
完全勝利。
そう思われた瞬間だった。
ドゴォォォォンッ!!
入り口の扉が吹き飛び、巨大な影が現れた。
身長2メートルを超える人間。
だが、その体は異常だった。首が見えないほどに発達した僧帽筋、丸太のような腕。
全身が筋肉の鎧で覆われた、人間離れした巨漢だ。
「……チッ。小賢しいネズミめ」
「……お、お前は……用心棒のバトロ!?」
ミーナが悲鳴を上げた。
「『粉砕』のバトロ……。素手で岩をも砕くっていう、裏社会の殺し屋だよ!」
「……人間? これは想定外の質量ですね」
シリウスが眉をひそめる。
バトロは問答無用で丸太のような腕を振り回した。
技術も予測も関係ない。ただの暴力の塊だ。
「計算……不能ッ!?」
ドガッ!
回避しきれず、シリウスは壁際まで吹き飛ばされた。
眼鏡が飛び、視界がぼやける。
「ぐっ……! や、野蛮な……!」
「ガハハ! 計算? 知らねぇな! 筋肉こそが真理だ! 潰れろ!」
バトロが迫る。
武器がない。 弓さえあれば眉間を射抜けたかもしれないが、今の彼は無防備な学者も同然だ。
シリウスの脳内コンピューターが弾き出した生存確率は――『0.001%』。
(……万事休す、ですか)
彼が覚悟を決めた、その時。
「――おい。何やってんだ、うちの参謀は」
呆れたような声が入口から響いた。
そこに立っていたのは、不機嫌そうな顔をした俺と、その隣で無表情に杖を構えるルナだった。
「レイさん……!?」
「ガハハ! なんだこのヒョロガキは! テメェも潰されたいのか!」
バトロが俺に向き直り、威圧的に笑う。
俺はため息をついた。
「あのなぁ。俺は一般人だから、お前みたいな筋肉ダルマと喧嘩する気はねぇよ」
「あぁ? ならすっこんでろ!」
バトロが拳を振り上げた。
俺は一歩も動かず、隣の少女に声をかけた。
「……ルナ」
「……ん」
「やれ」
「……了解」
ルナが小さな掌をバトロに向けた。
その周囲に、陽炎のように揺らめく真紅のオーラが渦巻く。
「な、なんだこの魔力は……!?」
バトロが動きを止める。動物的な勘が警鐘を鳴らしたのだ。
「……邪魔。消えろ」
『爆轟・小』
ルナの手のひらから、圧縮された魔力の塊が解き放たれた。
それは直撃コースでバトロの腹部に吸い込まれ――。
ドォォォォォンッ!!
支配人室を揺るがす轟音と閃光。
バトロの巨体が、まるで紙屑のように吹き飛び、壁にめり込んだ。
「が、はぁッ……!?」
黒焦げになったバトロが白目を剥いて滑り落ちる。
部屋の中は煙と、何かが焦げる匂いで充満していた。
「……げほっ、げほっ! ルナ、お前、室内で爆発させるバカがいるか!」
「……ん。手加減した。『小』だから大丈夫」
「壁が焦げてるだろうが!」
俺はルナの頭を軽くチョップした。
まったく、こいつらはどいつもこいつも問題児ばかりだ。
「……あ、ありがとうございます。レイさん、ルナさん」
シリウスが眼鏡をかけ直し、煤だらけの服を払った。
「助かりました。……武器がない状態での戦闘は、私の計算でも限界でした」
シリウスは少しだけバツが悪そうに視線を逸らした。
「……やはり、物理的火力は偉大ですね」
◇
結局、シリウスの稼いだ金貨300枚は「店内の修繕費」として没収された。
当然、ミーナの稼ぎも連帯責任でパーだ。
「うぅぅ……私のお金ぇ……お肉ぅ……」
ミーナがとぼとぼと夜道を歩く。犬耳も尻尾もこれ以上ないほど垂れ下がっている。
「……はぁ。骨折り損のくたびれ儲けですね」
「……ん。でも、パフェは美味しかった」
「お前は黙ってろ」
俺たちは夜風に吹かれながら、宿への道を歩いた。
残る問題児は、あと二人。
筋肉バカ(カイル)と、ドS聖女。
「あいつら、何してんだろな……」
俺の呟きに答えるように、遠くの路地裏から「ぎゃぁぁぁっ!」という男の悲鳴が聞こえた気がした。




