第15話 「レイの休日(静寂と空白の歴史)」
【高級宿屋『銀の月』・スイートルーム】
小鳥のさえずりで目が覚める。
最高級の羽毛布団。肌触りの良いシルクのシーツ。
窓から差し込む朝日が、部屋の埃さえもキラキラと輝かせていた。
「……ふぁ」
俺は欠伸を一つして、サイドテーブルに置かれた水を飲む。
冷たくて美味い。
これが、たくさんの金貨を持つ者の朝だ。
「よし、起きるか」
俺は伸びをして、習慣で自分の右腕を撫でた。
そこには、いつもの冷ややかな金属の感触も、脳内に響く減らず口もない。
『……ふん。だらしない寝顔ね』
『起きたらすぐに顔を洗いなさい。目ヤニがついてるわよ』
そんな幻聴が聞こえた気がして、俺は苦笑した。
「……静かだな」
ルミナスは今、エルザの店に入院中だ。
たった数日。それだけの辛抱なのに、どうしてこうも左半身を持っていかれたような気分になるんだか。
「ま、いいか。今日は久しぶりの完全オフだ。誰にも邪魔されず、優雅な一般人の休日を過ごすとしよう」
俺は着替えて、街へと繰り出した。
◇
【ノービス・裏通り「ガラクタ堂」】
路地裏を歩いていると、腐った木の看板を掲げた、今にも崩れそうな店が目に入った。
【 萬屋『ガラクタ堂』 】
俺はカビ臭い暖簾をくぐった。
店内は薄暗く、埃を被った日用品や、何に使うか分からない工業廃材が所狭しと並んでいる。
普通の客なら、入った瞬間に回れ右をするようなゴミ溜めだ。
だが、俺の目は輝いた。
ここにあるのはゴミじゃない。「可能性」だ。
(……あの遺跡で見た、圧倒的な力)
【 闇の使徒 】ヴァリウス。
空間を操り、システム権限で俺たちを圧倒した怪物。
魔法は通じない。スキルも無効化される。
レベル1の俺があんな化け物とやり合うには、どうすればいい?
(……正面からぶつかれば即死だ。なら、土俵を変えるしかない)
俺はカウンターへ向かった。
そこには、片目に眼帯をした気難しそうな老人が、壊れた時計を修理していた。
店主のガラクだ。
「……いらっしゃい。見ない顔だな」
ガラクは作業の手を止めず、ギロリと俺を見た。
「子供のお使いなら、向かいの菓子屋に行きな。ウチには夢のあるオモチャは置いてねぇぞ」
「買い物だ。……店にある『着火用の魔石)』と『火薬玉』をくれ」
「あぁ?」
ガラクの手が止まった。
「それから『スライム粘液』と『機械油』。あと『激辛唐辛子パウダー』を樽ごとだ」
「……」
ガラクが呆れた顔で俺を見た。
「おいおい。花火でも上げて、スライム攻めの激辛料理パーティーでもやる気か?」
「いや、武器だ」
「武器ぃ? そんなガラクタがか?」
「ああ。それと、『スタミナポーション』の安売りケースがあれば、それも頼む。質は問わない、数が必要だ」
ガラクの目が鋭くなった。
彼は俺の顔と、注文された品物のリストを交互に見て、ニヤリと笑った。
「……発火魔石で目を焼き、油で足を奪い、唐辛子で呼吸を止める、か。……ポーションはガブ飲みして無理やり動くためか?」
「アンタなら分かるだろ? こいつらの『殺傷力』が」
俺は真顔で答えた。
発火魔石を砕いて強烈な光を出す「閃光玉」。
特製ローションで機動力を殺す。
唐辛子スモークで詠唱を阻害する。
そして、ポーションを燃料に(あるいは鈍器として投げて)泥臭く戦い抜く。
ガラクは、しばらく俺を値踏みするように見ていたが、やがて楽しそうに口元を歪めた。
「へっ、面白い。……俺はガラクだ」
「俺はレイ。……レイ・ノームだ」
「いい目をしてやがる、レイ。……ガキのくせに、綺麗事じゃ生き残れねぇってことを知ってる目だ」
ガラクは棚の奥から、ホコリを被った木箱を次々と出してきた。
「ほらよ。魔石は鉱山発破用の高純度だ。砕いて使えば、一瞬で視界が真っ白になるぞ」
「助かる」
俺は金貨を弾き、大量の「ガラクタ」を背負子に詰め込んだ。
一般人にはゴミに見えるだろう。だが、俺には強力な弾薬に見える。
これぞ、『ポーターの七つ道具』。
今後、どんな「理不尽」が襲ってこようとも、この物理的な嫌がらせで対抗してやる。
「また来るぜ、ガラクの爺さん」
「へっ。自爆して死ぬんじゃねぇぞ、ボウズ」
俺は店を出た。
背中の重みが頼もしい。
いい補給所を見つけた。これから長い付き合いになりそうだ。
「よし、準備完了。……次は図書館にいくか」
◇
【ノービス中央図書館】
カイルたちはそれぞれ別の場所で羽を伸ばしているらしい。
俺が向かったのは、街一番の図書館だった。
目的は、エルザの口から出た『始祖神ファネス』という名前の調査だ。
「……ないな」
俺は大量の歴史書を机に積み上げ、ため息をついた。
『大陸の歴史』『神話体系』『精霊の起源』……。
片っ端から読んでみたが、どこにも「ファネス」なんて名前は載っていない。
この世界の創世神話は、『光の女神エオス』と『世界樹』から始まっている。
女神が世界樹を植え、そこから精霊と人間が生まれた――それが定説(常識)だ。
「始原精霊のルミナスが『光』なら、女神エオスと関係があるのか? それとも……」
妙な違和感があった。
どの歴史書も、「世界樹が生まれる前」の記述がごっそりと抜け落ちているのだ。
まるで、誰かが意図的にそこだけを切り取ったかのように。
「……熱心ですね、レイさん」
ふと、声をかけられた。
顔を上げると、非番なのか私服姿のミリアさんが立っていた。
髪を下ろし、銀縁の眼鏡をかけた姿は、いつもの制服姿とは違って文学少女っぽい雰囲気だ。
「あ、ミリアさん。奇遇ですね」
「ええ。今日は休日なので、調べ物をしにきたんです。……レイさんは、歴史のお勉強ですか?」
「まあ、そんなところです。……ミリアさん、『ファネス』って神様の名前、聞いたことあります?」
俺が聞くと、ミリアさんはきょとんとして首を傾げた。
「ファネス……? いえ、聞いたことありませんね。」
「やっぱりそうですよね……」
「神様といえば女神エオス様ですよ。……あ、でも」
ミリアさんは少し考え込み、声を潜めた。
「私のおばあちゃんが、昔変なことを言っていました」
「変なこと?」
「ええ。『今の神様は二人目だ』って。……昔はもっと恐ろしい、別の神様がいたけど、女神様が追い払ったんだって」
二人目の神様。
女神が追い払った、恐ろしい神。
だとしたら、ルミナスはその「追い払われた神」の眷属ということになる。
(……いや、今は考えすぎか)
俺が本を閉じると、ミリアさんが上目遣いで俺を見た。
「あの、レイさん。もしお時間があれば……この後、お昼でもどうですか? 美味しいパスタのお店があるんです」
お誘いだ。
可愛い受付嬢と、休日のランチデート。
これぞ俺が求めていた「平穏で幸せな一般人の生活」そのものではないか。
断る理由なんて1ミリもない。
「是非! ちょうど腹が減ってたんです。行きましょう」
「ふふ、よかった!」
◇
【街角のレストラン】
案内された店は、テラス席のある洒落たレストランだった。
運ばれてきたのは、魚介たっぷりのペスカトーレ。
「ん、美味い!」
「でしょう? ここのシェフ、王都で修行してたらしいんです」
ミリアさんと向かい合って食事をする。
彼女の話は楽しかった。
ギルドでの失敗談や、ガルトたちのような荒くれ者のあしらい方、最近流行っているスイーツの話。
平和だ。
命の危険もない。理不尽なシステムもない。
ただ美味しい料理と、可愛い女の子との会話。
(……ああ、最高だ。これだよ、俺がなりたかったのは)
俺は心からそう思った。
だが、ふとした瞬間に違和感が顔を出す。
パスタに絡む香草を見て、無意識に思うのだ。
(……ルミナスなら、『雑草みたいな匂いね。これ毒じゃないでしょうね?』とか文句言いそうだな)
賑やかな通りを見て、無意識に探してしまう。
(……カイルの馬鹿でかい声や、リリィの毒舌が聞こえてこないな)
「……レイさん? どうしました?」
ミリアさんが心配そうに覗き込む。
「あ、いや。……静かだなと思って」
「静か? 通りは結構賑やかですよ?」
「はは、そうですね。……俺の周りが、いつも騒がしすぎるだけか」
俺は苦笑して、ワインを一口飲んだ。
どうやら俺は、自分が思っている以上に、あの騒がしい連中との日々に毒されてしまっているらしい。
この最高の平和を楽しみながらも、心のどこかで「いつもの騒音」を探している自分がいる。
さっきガラクから買った「火薬玉」や「発火魔石」の重みが、背中で妙に頼もしく感じるのもそのせいだろうか。
「……レイさん」
ミリアさんが少し頬を染めて、俺を見つめた。
「その……今回の依頼、本当に無事でよかったです。私、レイさんたちが戻ってこなかったらって、すごく怖くて……」
「心配かけました。……でも、俺はしぶといですよ。ただの一般人ですから」
「もう、謙遜ばっかり。……でも、そういうところも素敵です」
おっと。
これは、かなりいい雰囲気じゃないか?
俺の心臓が少し跳ねる。
だがその時、通りの向こうから爆発音が聞こえた。
ドォォォォォンッ!!
「な、何!?」
客たちが悲鳴を上げる。
俺は反射的に立ち上がり、音のした方角を睨んだ。
煙が上がっているのは、スイーツの屋台が並ぶ広場の方だ。
「……嫌な予感がする」
スイーツ。広場。爆発。
俺の脳裏に、無表情で大食いな大魔導師の顔が浮かんだ。
「ごめんミリアさん! ちょっと野暮用ができた!」
「えっ、レイさん!?」
「会計はここに!」
俺は金貨をテーブルに叩きつけ(少し多めに)、テラスを飛び出した。
せっかくのデートがおじゃんだ。
だが、不思議と足取りは軽かった。
背中の「七つ道具」がカチャカチャと鳴る。
「ったく……! 俺の休日を返せよな!」
口では文句を言いながら、俺はニヤリと笑っていた。
やっぱり俺には、優雅なランチよりも、泥臭いトラブル処理の方が板についているのかもしれない。




