第12話 「完成された英雄」
【地下遺跡・中層試練の間】
黄金の覇気が、漆黒の立方体をガラス細工のように砕いていく。
現れた男を見て、ヴァリウスの無機質な瞳が、初めて明確な「警戒」で細められた。
「……規格外(化け物)が」
ヴァリウスが低く呻く。
「なぜ、貴方がここにいるのです。……獅子王グレイド・レオンハルト」
管理者は知っていた。
この男こそが、かつてこのシステムが導き出した「最高傑作」であり、現代における「完成された英雄」であることを。
「よぉ、ヴァリウス。元気にしてたか?」
グレイドは、懐かしむように遺跡の天井を見上げた。
カビ臭い空気。血と鉄錆の匂い。そして、絶望的な圧迫感。
「相変わらず陰気臭ぇ場所だぜ。……俺がここをブチ壊して出ていった20年前と、何一つ変わってねぇな」
◇
「……不愉快です。部外者は退去願いましょう」
ヴァリウスは右手をかざした。
即座に、数百個の「黒い立方体」が再生成され、グレイドを取り囲む。
【 管理者権限:対象の排除 】
【 対象:グレイド・レオンハルト 】
「消えなさい」
「ハッ! やってみろよ」
グレイドは腕を組んだまま、不敵に笑う。
ヴァリウスが指を振るう。
空間ごと対象を抉り取る、絶対の消去プログラムが発動した――はずだった。
バヂィィィィィンッ……!!
激しいスパークと共に、黒い立方体がグレイドの体の表面で弾け飛んだ。
傷一つついていない。
魔法障壁でも、防御スキルでもない。ただ、「攻撃が弾かれた」。
「……ッ、な!?」
ヴァリウスが目を見開く。
視界には、赤い警告ウィンドウが無数にポップアップしていた。
【 Error : Target is "Completed Hero" 】
【 Warning : 削除権限がありません 】
「な、ぜだ……!? 消去プログラムが、通らない……!?」
「分かんねぇか? だからテメェは三流なんだよ」
グレイドが一歩、踏み出す。
それだけでヴァリウスが後退る。
「テメェが作ったシステムが言ってんだよ。『こいつは完成品だ』ってな」
「……ッ!」
「自分の手柄を自分で消そうとする馬鹿なプログラムがどこにいる? ……俺はこの遺跡の『正解』だ。エラー扱いできるわけがねぇだろ」
(……矛盾、だと……!?)
ヴァリウスは戦慄した。
管理者は、育成過程には絶対的な権力を持つ。だが、結果に対しては攻撃権を持たない。
完成品を破壊することは、このシステムの存在意義を自ら否定することになるからだ。
「……よく喋る」
ヴァリウスの顔が歪む。
純粋な戦闘力でも勝てない。システム権限も通じない。詰みだ。
「おわりだ、ヴァリウス」
グレイドが拳を握った。
ただの拳ではない。空間そのものを歪ませる、圧倒的な暴力の予感。
「――失せろ」
ドゴォォォォォォォォンッ!!
拳圧。
ただの空振りの風圧が、ヴァリウスの展開していた「支配領域」を物理的に消し飛ばした。
遺跡の壁がごっそりと抉れ、大穴が開く。
「……ッ、く!!」
ヴァリウスは直前で転移していた。
遥か後方、通路の奥に再出現するが、その黒いローブは衝撃波でボロボロに裂けている。
(……勝てない。これ以上暴れられれば、遺跡そのものが崩壊する……!)
ヴァリウスは、憎々しげにグレイドを、そしてその後ろにいるレイたちを睨みつけた。
「……いいでしょう。今日のところは、敬意を表して退きます」
「ですが忘れないことだ。『完成された英雄』よ。……貴方がそうやって『不良品(レイ達)』を庇うことが、新たな災厄を生むと」
捨て台詞と共に、ヴァリウスの姿がノイズとなって掻き消えた。
圧倒的な静寂が戻る。
「……ふん。逃げ足だけは一流だな」
グレイドはつまらなそうに鼻を鳴らすと、くるりと振り返った。
その視線が、呆然としている俺たちに向けられる。
「あ、あの……!」
カイルが震える声で話しかけた。
「あ、あんた……! 前に風呂場にいた……!」
カイルとシリウスは気づいていた。
前に大浴場で、「スライムと死闘した」とイキっていた自分たちの横にいた、あのがっしりした体格のオッサンだと。
そして今、その「正体」を理解して、顔面蒼白になっている。
「え? 誰?カイル、知り合い?」
リリィが不思議そうに聞く。
「し、知り合いどころじゃねぇ……! あいつだ! Sランク最強パーティ『暁の五英雄』のリーダー……【獅子王】グレイド・レオンハルトだぞ!?」
「えぇっ!?」
ルナとリリィが悲鳴を上げる。
だが、俺の口から出た言葉は違った。
「あ、銭湯のオッサン」
「……ぶっ」
シリウスが吹き出した。
カイルが「ひぃッ!?」と俺の口を塞ごうとする。
だが、グレイドは怒らなかった。
凶悪な顔を、ニカっと三日月形に歪めて笑ったのだ。
「おう。また会ったな、坊主」
グレイドは豪快に笑い、カイルの背中をバシッと叩いた。
「どうだ? 少しはのぼせた頭、冷えたかよ?」
「う、うっす……! ひ、冷えた……いや、凍りついたっす……!」
カイルが直立不動で敬礼する。
グレイドは愉快そうに笑い、最後に俺を見下ろした。
「……いい根性してるじゃねぇか、坊主」
「……腰が抜けて動けなかっただけだよ」
「ハッ! 謙遜すんな。……俺の威圧の中で、最後まで目を逸らさなかったのはテメェだけだったぜ」
グレイドは、ポンと俺の頭に巨大な掌を乗せた。
重い。でも、温かい手だった。
かつて彼も、この泥濘のような地獄を這いずり回ったのだと分かる、分厚い手。
「さっさと行け。地上で美味い飯でも食って、今日は寝ろ」
「……アンタは?」
「俺は少し、野暮用だ。……昔の知り合いに挨拶しなきゃならねぇーからな」
グレイドは出口を指差した。
俺たちは何度も頭を下げ、ボロボロの体を引きずって、地上への光を目指して歩き出した。
***
誰もいなくなった『試練の間』。
グレイドは一人、奥にある巨大な石碑の前に立っていた。
『英雄とは、迷わぬ者である』
『英雄とは、立ち止まらぬ者である』
『英雄とは、痛みに屈せぬ者である』
クレイドルが定義する、英雄の条件。
かつてグレイド自身も、この言葉に縛られ、血を吐きながら強さを求めた場所。
「……くだらねぇ」
彼は懐から葉巻を取り出し、指先の火で火をつけた。
紫煙を吐き出しながら、石碑のさらに奥――虚空に向かって吐き捨てる。
「なぁ、見てるんだろ? 『理の観測者』」
返事はない。ただ、空間が微かに揺らいだ気がした。
「完璧な英雄なんて、クソ喰らえだ。迷って、止まって、痛がって……それでも前に進む奴こそが、本物なんだよ」
グレイドはニヤリと笑い、石碑に拳を押し当てた。
「あの『坊主』を見てて思ったぜ。……お前らの描くストーリー通りには、ならねぇかもな」
それは、世界を支配するシステムへの、最強の英雄からの宣戦布告だった。
――その時。
ふわり、と。
誰もいないはずの虚空に、「白いローブ」の裾が揺らめいた。
次元の裂け目のような、不可視の観測窓。
その向こう側で、美しい紫色の髪をした女性が、愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。
「ふふ。……生意気ね、獅子王」
彼女こそが、世界の理を管理する『観測者』の一柱。
かつて、ノービスの街でレイが視線を感じた、白い影の正体。
彼女は、最強の英雄からの宣戦布告すらも、退屈なシナリオを彩るスパイス程度にしか感じていなかった。
「でも、あの子――レイと言ったかしら」
彼女の細い指先が、空中に浮かぶモニターをなぞる。
そこに映し出されているのは、仲間たちと笑いながら地上へ向かう、レベル1の少年の姿。
「ええ。観測を続ける価値は、十分にあるわ」
観測者は静かに微笑み、その姿を陽炎のように消した。
彼らの冒険は、まだ始まったばかりだ。




