第8話 逃亡
スーツの胸ぐらを掴み、レイカは、かつての上司に詰め寄った。
「なぜ、わたしが……?」
男は唇の端を歪め、冷笑を浮かべた。
「実験体だからさ」
その言葉に、拳が震えるほど力がこもる。
部屋の四方から、ボディガードたちが一斉に銃を構えた。
狙いを定め、引き金に指がかかる気配——
(まずい——!)
レイカは迷いなく、レオンハルトの胸を力いっぱい突き飛ばした。
一瞬だけ生まれた隙。その刹那に、すべてを賭ける。
体を反転させ、部屋の隅にあるゴミ排出ダクトへ滑り込んだ。
小柄な身体を丸め、鋼鉄の闇に突き進む。
「追えッ!」
男の怒声が、背後から響く。
だが、もう遅い。
レイカは暗く狭いダクト内を、痛む腕を押さえながら這い進んでいた。
腐食した金属の匂いが鼻腔を突き、排熱の残り香が肌を刺す。
逃げ場も、未来も見えない。
けれど、確かに一つだけある。
——“私自身”を取り戻す道が。
建物の裏側、ゴミ集荷場のコンテナに重く落ちる衝撃。
鈍く響いた着地音のあと、レイカは咳き込みながら這い出た。
鼻を突く腐臭。肌に纏わりつく湿った廃棄物の気配。
それでも、構わなかった。
身体を起こすと、むせ返るほどの空気が肺に充満する。
レイカは、一歩、また一歩と足を踏み出す。
——そして、闇に溶けた。
まるで、もとからそこに存在しなかった影のように。




