5話 雨音
急に躍り出て腕を掴まれた。
奴の腕が肩に食い込んだ瞬間、レイカの全身から体温が抜けていくようだった。
まるで氷のような肌。だがそれは、冷たいというより「無機質」だった。機械の部品に抱きすくめられたような錯覚に、脳が警鐘を鳴らす。
(こいつ……人間じゃない……)
目の前の男が、血管を浮かび上がらせながら吼えた。
白目が赤く染まり、瞳孔がわずかに開いている。
まるで獣――いや、それよりも底知れぬ何か。感情を装った、空っぽの仮面。蠢く怪物。
耳元で、呼吸音すら聞こえない。
(鼓動が……ない?)
皮膚が、熱を持たない。
血が通っているはずの身体に、生の匂いが感じられない。
全神経が危険信号を放つ。
だが、手足が鈍い。筋肉がこわばり、反応が遅れる。
(まずい……!)
意識が薄れていく。
酸素が回らない。息が詰まる。
腕が、首が、胸が――奴に支配されていく。
……もう、終わりか――脳裏が白く染まった、その時だった。
「ッ!」
レイカは最後の力を振り絞って、腰を落とした。
相手の体重を自分に引き込みながら、軸足をずらし、腰をひねる。
気合と共に――払腰を打ち込んだ。
「――ぁああッ!!」
自分ごと巻き込むように、男の巨体を浮かせる。
その質量が宙を裂き、床に激突した。
金属音と、床材がきしむ衝撃音。
男は一瞬、動きを止めた。
レイカは転がるように間合いを取る。
膝が震え、視界が滲む。
「ハァハァハァハァ」
吐息のたび、肺が焼けるようだ。
だが――生きている。まだ、生きている。
男の体が、起き上がろうとしていた。
だがその動きは、さっきまでの“異常な速さ”とは違っていた。
ゆっくりと。ぎこちなく。まるで、壊れた人形のように。
(効いた……?)
わからない。
ただ、レイカは己の体に残った力を確かめるように、拳を握り締めた。
雨音が、遠くで鳴っている。
この夜は、まだ終わっていなかった――。
(まだ動ける……!)
次の瞬間、レイカは全身の力を込めて突っ込んだ。
モンスターと共に、脇のパイプラインへと転がり落ちる。
ガンッ――頭を打ったのか、意識が霞む。
痛みも、感覚も、徐々に遠のいていく。
気づけば、身体が這うようにその場を離れていた。
闇夜にまぎれ車に乗り込む。今はただ――この場所から、一秒でも早く立ち去りたい。
バックミラーに映る光景が遠ざかる中、あのモンスターの近くにあった見覚えのあるケースを思い出した。
……軍で支給されていたピルケース。
あの注射の時、机に置かれていた、あれと同じデザイン。 まさか、あの時と同じもの?
嫌な予感が背筋を這い上がる。
アクセルを踏み込み、向かうはただ一つ――奇妙な依頼をよこした、フクロウの元だ。




