第4話 シェードランプ
廃屋工場の裏路地に車を止めた。 建物の隙間から、かすかな明かりが洩れている。 「……あそこに、いるのか」 わたしはハンドガンを抜き、闇夜に身を沈めた。
ハンドガンを手に、音を立てないようゆっくりとドアノブをひねる。 重い鉄扉がわずかにきしんだが、中からの反応はない。隙間から身を滑り込ませた。
中は広く、埃と油の匂いがこびりついている。 息を飲むほどの静けさ。機械たちは、時間ごと眠っているようだった。
照明は切れ、ところ狭しと錆びた機械が無造作に積み上げられていた。
(……工場主が飛んで、設備も売れずにそのままか)
足音を殺して階段を上る。2階の一角、黄ばんだシェードランプの下――
そこに、やつはいた。
椅子に座る男。虚ろな目、青白い顔。 片手には棒――杖のように握られている。支えがなければ座っていられないのか。皮膚にはアザのような褐色掛かっている。
(……これが、本当にターゲット?)
息も荒く、今にも倒れそうなその姿は、 あの「異常な身体能力を持つ逃亡兵」とは、どうしても結びつかない。
ハンドガンを構えたまま、ゆっくりと間合いを詰める。 無意識に、息を呑んでいた。 手のひらが汗ばみ、銃がわずかに滑る。床の軋む音。
シェードランプを挟み、男と対峙する。 温かな光の中、その姿はあまりに異質だった。
「おまえも、されただろ……あの注射を」
レイカの背筋に、氷の刃が這った。
病的な青白さ。虚ろな瞳。 ……だが、次の瞬間——
男が目を見開いた。充血した目、髪をふり乱し一段と見開く瞳。
そして、杖を振りかぶり、襲いかかってきた。
「——ッ!」
金属の衝突音が響く。 シェードランプが跳ね、部屋中に影をまき散らす。
光。闇。光——闇。
明滅のなか、男の顔がちらつく。
浮かぶ。消える。歪む。
それは、人の形をした、何かだった。
意識を集中し、一気に距離を詰めた。
「——っ!」
肩に飛びつき、体重を預けながら右足でバランスを崩す。崩れた重心に合わせ、腕を取り、肩十字を狙う動き。関節が逆方向に伸びる感覚と、相手の悲鳴を予測する瞬間——
だが。
次の瞬間、異常なことが起きた。
片手だけで軽々レイカを持ち上げた。
「なっ……!」
一瞬、視界が天地を失う。反射的に腕を外そうとしたが、遅い。 その腕力は、かつて軍の特殊部隊で見た「強化兵」のそれに似ていた。いや、それ以上かもしれない。
崩すはずの相手が、こちらの体勢を崩してくる。 地面に叩きつけられるかと覚悟したそのとき——
ターゲットは投げずに、ただ、じっと立っていた。
レイカをぶら下げたまま、笑っている。
目が、笑っていない。
レイカはすぐに腕を解き、距離を取る。
(……この動き、このパワー。あの“注射”の記憶がよみがえる)
あれはただの逃亡兵じゃない。何かを、施されている。
ハンドガンを構え、シェードランプの電球を撃ち抜いた。
鋭い破裂音と共に光源が砕け、部屋を支配していたわずかな明かりが消える。 闇がすべてを呑み込む。月夜の淡い光だけが、割れた窓の隙間から静かに差し込んでいた。
足音が響く。重く、ゆっくりと、確実に。 ターゲットの靴音だけが、この夜に輪郭を与えている。
(……今だ)
闇の中から飛び出す。影が影を裂き、私は男の目前に躍り出た。
一瞬、男の動きが止まる。私は回し蹴りの構えを見せ—— だが、奴の肩がわずかに動いた。ガードに入る気配。
直感が告げた。 (防がれる)
即座に体をひねり、後ろ回し蹴りに転じる。 振り抜かれた足が男の足を弾き、バランスを崩させた。
「……っ!」
火器は使用禁止。わかってる。 だが——こいつは普通じゃない。
わたしのあたまに警戒ランプが灯る。
私は迷いなく太ももを狙い、引き金を引いた。
乾いた発砲音。男の脚が跳ね、呻き声が漏れる。
だが、終わりではなかった。
月光が彼の目を照らす。闇の中、またあの“無表情の笑み”が浮かび上がった。
──そして。
私はゆっくりと歩み寄った。だが、その瞬間、異変に気づく。
血が出ていない。 撃ち抜いたはずの太ももが、音もなく……みるみるうちに、塞がっていく。
「……なっ……」
言葉が、喉の奥で凍りついた。




