第28話 TEST-SUB-84C
人の気配はない。だが、何かはここで息をしている。
レイカが歩を進めたその先――
開かれた通路の奥、照明の届かない死角に“何か”が立っていた。
最初、黒い塊にしか見えなかったそれが、 足音ひとつ立てず、レイカの方へわずかに顔を向ける。
皮膚は剥がれ、骨が露出し、背中に焼け残ったラベルが貼り付いていた。
【TEST-SUB-84C】──そう読めた瞬間、無線が入る。
『R-Ka1032、戦闘負荷実験フェーズ開始』
レイカの目が、わずかに見開かれる。
「……誰の命令よ」
その瞬間、モンスターが動いた。
レイカは反射的に刀の柄を握った。
その手が、一瞬、細かく震えていた。
──私はいま、自分の意志で抜くのか?
それとも、“訓練された条件反射”──かつて与えられたコードが、まだ生きているだけなのか?
「私はもう……私じゃないかもしれない」
戦闘が始まる。血とデータが、観測される。
“観察対象:R-Ka1032”、再起動。
──空気が張り詰めた。
レイカは“それ”と正対したまま、一歩も動かない。
モンスターの呼気だけが、濡れた床を這う。
TEST-SUB-84Cは、左腕が焼け落ち、骨の先端から黒い蒸気を上げていた。
なのに、痛みを感じていない。
むしろ、瞳孔のない目が、左右に激しく動いたあと、レイカに焦点を合わせる。動きだけをひたすらに“観察”しているのだ。
──観察されているのは、私の方か。
刀を、引いた。
音はしない。だが、空気が裂けた。
「――来なさい」
次の瞬間、モンスターが跳ねた。
四足のような走法。膝の関節が逆に折れている。
正面から突っ込む速度に対し、レイカは真正面に立ったまま、振りかぶるでもなく、ただ“待った”。
ギリギリの距離で、“歩法”が滑る。
右足を踏み出し、体軸を回転――刃が、水平に閃いた。
鮮血は出なかった。
切断された腕の断面からは、再生しきれなかった“未熟細胞”がぶつぶつと泡立っていた。
「……暴走因子。未調整個体」
床に滑ったモンスターが、骨の指でレイカの足首を掴もうとする。
次の瞬間、レイカの膝がその頭蓋を踏み抜いた。
骨が砕ける鈍音。
けれど、死なない。
これは死ぬために作られていない。戦うためだけに、ここに置かれていた。
──レイカの喉が、乾いていた。
その手が、震えていた。
一度、刃を見下ろし、自分の腕を見る。
爪が微かに黒く変色していた。
いつからか、それすら思い出せない。




