第38話カイルがわたしの部屋にやって来た
いつものように「もう考えないでおこう」と決意後、寝台に飛び込もうとした。元王女だけれど、マナーやお淑やかさとは疎遠になっている。昔、王宮で虐げられていたり王宮を飛び出して組織に属していた頃、まともな寝台やマットはめったに出会えなかった。いまのこの自室の寝台は、めちゃくちゃ頑丈で、さらにはマットは最高だ。というわけで、マナーとお淑やかさをどこかに捨てたわたしは、ダイブして寝台の耐久性やフワフワ感を確認したいのだ。しかも、毎晩。
いままさに寝台にダイブしようとした瞬間、扉がノックされた。
「えっ? またブランドン?」
いまや恥ずかしい歴史として刻むことになった、「ブランドン押し倒し事件」。あのときのように、ブランドンがまたホットチョコレートとチョコチップクッキーを持ってやって来たのかと思った。
が、違った。
こちらの返答も待たず、扉がスッと開いた。
そのときには、やつがすぐ目の前に立っていた。
「やつ」というのがカイルであることは、いうまでもない。
「ちょちょちょっと、勝手に入ってっこないで」
「リオ、だったか? いまは、そう名乗っているのだな。いいじゃないか。おれとおまえの仲だ」
彼はわたしが止めるのも聞かず、というか、当たり前のように入ってき、室内を見まわした。
「『おれとおまえの仲』ですって? ただの、えーっと、ご主人様と侍女、の関係じゃない。何かあったみたいなことを言わないで。とにかく、すぐにここから出て行って」
「椅子さえないのか?」
わたしに尋ねているわけではない。ただの独り言だ。その証拠に、彼はわたしを無視し、寝台の上に腰をおろして脚を組んだ。
「そこに座らないで。そこは、わたしと彼の……」
『わたしと彼が座る場所よ』
そう言いかけ、自分でも驚いた。
(彼って? どうして彼が出てくるの? らしくない。カイルがここに来たことによほど動揺しているのね)
彼とは、おそらくブランドンのこと。というか、すくなくともリオンとルーではない。それだったら、「彼ら」になるだろうから。
「へー。あいつとは、そういう仲なのか?」
カイルの声のトーン、それから表情が一瞬にしてかわった。それらだけではない。室内の空気が凍りついた。
背筋だけでなく、体全体に冷たいものが走った。というか、凍りつくほどの怖気をふるった。
夜間、冷え込むことはある。しかし、この季節はそこまで冷えることはまずない。ということは、これは気のせいだ。
けっしてカイルのせいではない。
頭の中では、それで納得しようとしている。だが、心の中でその仮説は違うといっている。
カイルは、言葉や表情で相手を操ることに長けている。相手を恐怖に陥れることなど造作もない。
そのことを知っているくせに、それでもなお「そうじゃない」と言い聞かせるわたしは、自分でも偉いと褒めたくなる。
「彼ら、って言いたかったのよ。彼らというのは、弟たちのこと」
違うけれど、そう言い訳しておいた。
言い訳をしてから、「こいつに言い訳なんてする必要ないじゃない」と自分がバカみたいに思えた。
「おまえは、あいかわらず嘘をつくのが下手だな」
「嘘じゃないわ」
カイルに指摘され、おもわず嘘に嘘を重ねてしまった。が、これもまた嘘だとわかったはず。
「というか、だれに頼まれたの?」
カイルにたいして駆け引きしてもムダなこと。だから、ズバリ尋ねてみた。
もっとも、依頼人の名を明かさぬのがこの業界の鉄則。だから、彼が答えるわけはないことはわかっている。それでも一応、尋ねてみたくなった。
「なんのことだ?」
「なんのこと? とぼけないで。というか、ど厚かましくも獲物といっしょに暮らすだなんて、どういうつもりなの?」
「ああ、そのことか」
「っていうか、そのことしかないでしょう? ったく、どういうつもりよ」
「獲物といっしょに暮らす? おまえだってさんざんやっていただろう? あっちの男、こっちの男っていうふうにな」
「ちょっと、人聞きの悪いことを言わないで。あれは任務よ、任務。そうしなきゃならなかったの」
「だったら、おれもだ。おまえとおれは、しょせん同じだ」
ダメだ。カイルに口で勝てるわけはない。