第15話あらたなる依頼
事務所兼住居は、やはり狭すぎる。
この日こそは、あたらしい住居を見つけなければならない。朝食を近くのカフェですませ、ふたりを図書館に連れて行き、わたしひとりで周旋屋をまわる。
そのように一日の予定を立てた。
いままさしく事務所を出ようとしたタイミングで、事務所の扉がノックされた。
やって来たのは、クララ・ホプキンソンの使いで来たという顔見知りの街馬車の馭者だった。
急なことで申し訳ないが、朝食をどうかとの誘いだ。先日の礼と、それとは別に話があるとのこと。
断る理由はない。
というわけで、誘いに応じることにした。
とはいえ、底辺にいるわたしなんかが公爵家へ行っていいのかとひそかに気おくれしているけれど。
「誘ったのは相手だから、別にいいんじゃない? こっちからおしかけるわけじゃないしね」
リオンの言った通りだ。
あまり気にしないことにした。
クララは、慈善活動をしている。他の多くのご貴族様のように、金貨をばらまくだけの自己満足やパフォーマンス的なものではない。
街や王都外の施設などを訪問し、ボランティア活動もやっている。
その際、彼女は何の飾り気もない馬車を使う。街馬車の馭者の数名と懇意になっていて、そのときに応じて頼んでいる。いわば、彼女専用の街馬車というわけだ。
その街馬車が迎えに来てくれたのだ。
馭者は、わたしも顔を知っている老人だ。
わたしの懸念をよそに、その街馬車が向かったのはホプキンソン大公家の屋敷ではなかった。
いわゆる多くの中級貴族が屋敷を構えている区域でも、端に位置する屋敷だった。
「リオ、ひさしぶりね」
馬車が去り、古びた、というよりか手入れを諦めたような錆びついた門扉をくぐったところで、クララが出迎えてくれた。
「クララお嬢様、先日はどうも」
依頼人がご貴族様の場合、シャツにズボンだけというわけにはいかない。上にジャケットを着用することにしている。
自己満足、というやつだ。
もちろん、今回もだ。リオンとルーにも、買ったばかりのフォーマルな服を着用してもらった。古着だけど、そこはいいとしておく。
「こちらの紳士たちは?」
「じつは、弟たちがわたしのことを心配して訪ねてきたんです」
「リオ。あなた、弟がいたの? しかも、おそろしく美しいのと驚くほど可愛い弟たち?」
彼女は、不躾に子どもたちとわたしとを見比べた。
「まぁ、黒い瞳に黒い髪だもの。間違いないわね」
どうやら彼女の中で結論がでたようだ。
(というか、失礼すぎないかしら?)
「リオン・ネルソンです。姉が、お世話になっております」
リオンは、クララの手を取ると軽く口づけをした。
彼がクララの前で片膝を折らなかったのは、背丈が低くてその必要がなかったからだろう。
「ルー・ネルソンです。よろしくお願いします」
ルーもリオンに倣い、クララの手に口づけをした。
「なんてことかしら。ほんと、紳士ね。もしも子どもじゃなかったら、すぐにでも婚約をしたいくらいよ。なにせ婚約破棄したばかりだしね」
クララは、満面の笑みでわたしを見てウインクした。
「ダメですよ、クララお嬢様。いたいけな弟たちを誑かすのは」
「そうね。さすがに親友の幼い弟たちをどうのこうのするのは、倫理的にダメよね」
彼女は、溜息をついた。
冗談なのか本気なのかがわからない。
「さっ、どうぞ。荒れ果ててるけど、ここだと目立たないから」
彼女は、先に立って歩き始めた。
控えめにいっても、この屋敷は荒れ果てている。しかし、荒れ果てているのは門や庭や玄関だけ。外観だけが、大分と長い間だれも住んでいない感を醸し出している。
しかし、それも屋敷内に一歩入ると違っていた。
まだマシなのだ。人が住めるだけのメンテナンスと清掃がされている。
クララは、屋敷内を案内しながら説明してくれた。
この屋敷は、クララのお母様の実家である伯爵家の屋敷だったそう。いろいろ事情があり、いまはホプキンソン大公家の、というか、クララが所有しているという。
「朝食の前に紹介したい人たちがいるの」
居間に入ると、彼女はそう言った。
「もったいぶるつもりはないから、いま依頼内容を伝えるわね。リオ。あなたには、その人たちの護衛をお願いしたいの」
「護衛? その人たちというのは、どういう人たちなのですか?」
至極当然の質問だろう。
「亡くなった母の親友よ」
「それで、護衛が必要なわけは? ああ、そうそう。ちょっとしたトラブルからサディアス・ラザフォードと知りあいましてね。クララお嬢様。彼は、あなたのことを知っていると言っていました。それから、あなたからの依頼を受けて欲しい、とも。その依頼というのが、あなたのお母様の親友の護衛というわけですか?」
関係性がよくわからない。
マフィアの実質上のボスであるサディアスが、どうしてクララの母親の親友親子のことで腐心するのだろうか?
「命を狙われているの」
ドキリとした。
「命」となると、クズ野郎やゲス野郎から守るのとはわけが違う。
クララのストレートで重みのある言葉に、動揺せずにはいられなかった。ひとりで処理しきれなかったので、無意識のうちにリオンとルーを見おろした。
ふたりとも、まるでなにも聞いていなかったかのように平然としている。
「命を狙われているって穏やかじゃないですね。命を狙っているのはだれなのですか? というか、その人たちは命を狙われるようなことをしでかしたのですか?」
依頼人の中には、依頼内容を詳しいことを教えてくれないことがある。これまで、何度か「相手が悪いので報いを受けさせたい」とかその類の依頼を受けたことがあった。しかし、結局は依頼人がクズで利用されただけということがあった。もっとも、そういうのは見抜けなかったわたしの落ち度であるのだが。
とにかく、依頼を受ける際にはある程度の事情を知る必要がある。
とくに命にかかわる事案なら、知っておかねば対処のしようがない。
「クララ、彼女の言う通りよ」
そのとき、開いたままの扉から気品あふれる淑女とめちゃくちゃカッコいい青年が入って来た。
ふたりは、派手でも豪華でもないドレスとスーツをそれぞれ着用している。