第1話 序章
「旦那、ほんとうにいいんですかい?」
「かまわないと言っているだろう? 同じことを何度も言わせるな。もっとも、クズどもの知能では理解力を期待する方がおかしいだろうがな。とにかく、殺すな。顔がぐちゃくちゃになる程度でいい。まぁ、体もぐちゃぐちゃにしてやってもいいがな」
「そこまでするなんて……。あのレディは、旦那にたいしてどんなことをしたんです?」
「おまえたちは何様だ? 倫理や道徳という言葉さえ知らないおまえらは、はした金のためだけに働けばいいだけだ。おれの事情に踏み込むな」
「わかりました。わかりましたよ。じゃあ、旦那はここで待っていてください。タイミングを見計らって呼びますんで」
「いいな。おれを呼ぶのは、あいつをちゃんとグチャグチャにしてからだぞ。それと、悲鳴をあげさせるな。人が駆けつけてきたらマズいからな。それと、あいつが美人だからといって、ヤッテやろうなどとまかりまちがっても考えるな。あいつは、おれと結婚するまでは貞操帯をつけていると公言しているからな」
「わかってますって。美人は、なにもあそこにツッコむのだけがいいんじゃない。殴って蹴って泣き叫ぶ姿もそそるんです。旦那だって、きっと気に入りますよ」
「バカな。ったく、野蛮な連中だ。とにかく、このチャンスを逃すな」
「行くぞ、おまえら」
おしゃべりが終わり、やっと動きがあった。
野郎どうしのくだらないおしゃべりは、聞いていて反吐が出そうになった。
やっと出番がやって来た。
というわけで、よろこび勇んで、具体的にはスキップしながら路地裏から登場した。
とはいえ、ここは教会前の広場。しかも夕刻のクソ忙しくて薄暗い時間帯。
というわけで、観客や野次馬はいない。人っ子ひとりいない。
「ねぇおじさんたち、遊んでよ」
野郎どもの背中に声をかけた。すると、全員がいっせいに振り返った。
身なりのいいイケメンなご貴族様がひとり。それから、彼に雇われた低能なクズどもが五人。
「お嬢ちゃん。お兄さんたちは遊んでいる暇はないんだよ。はやくおうちに帰りなさい。それとも、ここの孤児院の子かい? だったら、これをあげるからなにも見なかったことにしてくれ」
身なりのいいイケメンは、ケチだった。しかも、自分を「お兄さん」呼ばわりした。
彼の手に握られているのは、銅貨がたったの一枚だ。
「銅貨一枚? ケチだね、おじさん」
「なんだと、ガキ? やさしくしていれば、つけあがりやがって」
彼は、これしきのことでブチぎれた。
さすがは蝶よ花よと育てられた深窓のご令息だけのことはある。
「ガキのくせに、こうしてやる」
彼は、ドタドタと走り寄って来た。それから、フラフラと効果音がつきそうなほどのスピードで拳を繰り出してきた。
その拳を手のひらで受け止めると、そのままふりまわしてやった。
ご令息様は見事なまでに宙を描き、どさりとおおきな音を立てて石ころだらけの地面に落下した。
ピクリともしなかった。
大切な婚約者の顔をグチャグチャにするはずが、自身の顔をグシャグシャにして。ついでに両肩とあばら骨もグシャグシャにして。
さいわいだったのは、顔から落ちたことによって頸椎は無事だろうということ。
たぶん、だけど。
足の先でつっついて調べたかぎりでは、そんなところだろう。
「動くな」
そんなとき、王都を統括する警備隊が現れた。
不幸なご貴族様が雇った野郎どもは、警備隊に任せるとしよう。
彼らにとっては、その方が幸運だろうから。
わたしが遊んであげたら、雇用主以上の不幸に見舞われただろうから。
このとき、なぜかだれかに見られているような気がしていた。が、後ろ暗いことのあるわたしにとって、こういう得体の知れない視線はあるあるである。このときも、そういう類のものと思うことにした。
まさかそれが、自分の運命を変える、というか、自分の真実を知る布石だったとは、このときまったく知る由もなかった。