GHOST KILLER
◆
僕は怖い。
死ぬのが怖い。
僕がどれだけ懸命に生きても、結局100年後には死んでいるのだ。
僕は死にたくない──でも必ず死ぬ。
まかりまちがって、何かこう、凄い力に目覚めたとしよう。
漫画の登場人物みたいに不死身になるとか。
でも死ぬ。
なぜかって?
僕が何百何千何万何億といきても、いずれこの宇宙そのものが滅ぶからだ。
はあ、と僕は溜息をついた。
そして「あああああ」と呻きながら枕に突っ伏す。
いずれ必ず来る“終わり”が怖くて眠れない。
僕はいつ、どこで、どんな風に死ぬんだろう。
この悩み、恐怖に比べたら他のどんな事も全く怖くない。
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僕が今いる部屋は、ネットの怪しい掲示板で「最恐事故物件」として紹介されていた。
ここに住むのが僕の仕事だ。
家賃は無料。
数ヶ月間住むだけで何百万円も貰える。
まともに働くよりよっぽど金になる。
僕は特に働きたいわけじゃない。
だって、どうせ死ぬんだし。
必死に頑張ったところで、死んだら全部終わりだ。
こんな無意味な世界で頑張る理由なんて、ない。
──壁がどんどんと叩かれる音がした。
僕はちらっと音のした方を見る。
壁には何かが這いずったような黒い染みがじわじわと広がっている。
まあ気味は悪いけど、だから何だというんだ。
僕が怖いのはそんなことじゃない。
死ぬことに比べれば、壁の染みなんてただの落書きにすぎない。
宇宙の終わりが今この瞬間も近づいているというのに、壁に染みが出来たからってなんだっていうんだ?
死んだらどうなるんだろう。
僕という意識はどこに行くんだろう。
完全な無になるのだろうか。
それとも魂があって、地獄や天国なんかに振り分けられてしまうのか。
僕は地獄には行きたくない。
かといって、天国も嫌だ。
なぜなら天国だって、永遠に続くかどうかもわからない。
天国が終わったら、僕は「無」になるのだろうか。
やだやだやだやだやだ!
部屋のどこかで、誰かが笑っている。
甲高い、耳障りな子供の笑い声だ。
そういえば、この部屋では以前子供が亡くなったらしい。
壁に染みを作った子供だろうか。
それとも浴室で溺れた子供だろうか。
どうでもよかった。
それよりも「死」だ。
「死」が怖い。
僕は死にたくない。
この宇宙が滅ぶとき、僕はどんな気持ちでそれを見るんだろう。
もちろん、その時に僕が生きている可能性はゼロだ。
どれだけ頑張ってもゼロ!
宇宙の終わりを食い止める力が僕にはあるのか? ──いや、ない。
ドサッ、と音がして、台所の方から何かが転がってきた。
僕はちらりと横目でそれを見る。
人間の生首だった。
目を見開いた女性の頭が、じっと僕を見つめている。
青白い肌だ……不健康極まりない。
彼女は死が怖くないんだろうか?
え? 幽霊はもう死んでる?
いや、幽霊だって死ぬんだよ。
というか消えてしまうといったらいいのかな。
なぜ言い切れるかって、一つもネアンデルタール人とかクロマニヨン人とかそういう太古の幽霊の目撃例がないからだ。
きっと幽霊も時間の経過で消えるか死ぬかするんだろう。
だったら今この瞬間を大事にすべきじゃないのか?
なのに彼女はあんな不健康そうな顔で、全く自分が今置かれている状況に気づいていない。
「君は死ぬんだ」
僕は生首を見てそう言った。
親切心から忠告してやったのだ。
すると、生首はくぐもったうめき声をあげて消えてしまった。
僕は再び枕に顔を埋めて唸った。
僕はなぜこんなに死が怖いんだろう。
みんな平気な顔して街を歩いている。
明日に希望を抱いている。
そんな人たちが、僕には理解できない。
どうして彼らは、いつか必ず死ぬことを忘れてしまっているんだろう。
死ぬ瞬間の痛みはどれくらいだろう。
どんなに平和な死に方をしても、必ず最後は苦しいに違いない。
苦しみから逃れるために、安楽死を望む人もいる。
でも僕はそんなの嫌だ。
だって死ぬこと自体が嫌なんだから。
突然、ベッドが大きく揺れた。
マットレスの下で誰かがうごめいているような感触。
僕はため息をついた。
ただでさえ死が怖くてなかなか眠れないのに、こんな感触では余計眠れない。
僕はとたんに怖くなった──マットレスの下で蠢く何かがではなく、睡眠不足がもたらす寿命の減少に。
僕は目を閉じた。
すぐに寝なければ……死んでしまう!
だが閉じてももちろん眠れない。
マットレスの下でごそごそ動く何かは、やがて僕の背中を押し上げるほどに膨れ上がった。
布団の中で寝返りを打つたび、ぬるりとした“手”が背骨をなぞる。
……そんなことより深刻なのは、眠れないことで脳細胞が毎晩数万個ずつ死んでいるかもしれない事実だ。
細胞が死ねば、人は死に近づく。
だから怖い。
怖い、怖い、怖い。
とりあえずスマホで“睡眠不足 寿命”と検索した。
予測変換の一覧が全部「~死」「~寿命縮む」で埋まっている。
画面の向こうの科学者も医者も、僕に「遅かれ早かれ死ぬ」と宣告してくる。
Wi-Fi経由で届く死告状。
嫌な世の中である。
「やだ、やだやだやだ……宇宙、終わらないでください……」
僕はそんなことをつぶやきながら──いつの間にか眠っていた。
そして翌朝。
といっても外はまだ暗い。
冬場だからかまるで夜のようだ。
それでも空気を入れ替えようとカーテンを開けたら、窓の向こうに並ぶ顔、顔、顔。
年代も性別もばらばらの死者が、押し花みたいに窓に貼り付いていた。
口だけを動かしているが声は聞こえない。
「口パクはやめろ。字幕がないと内容が分からない」
僕がそう言うと、亡者たちは不満げに眉を寄せ、一斉にスワイプするみたいに右へ流れて消えた。
死者までスマホ世代か。時代は進むのに、人は結局死ぬ。
時代よ、早く僕を安心させてくれ。
「時間は……7時か。待ち合わせは10時だったな。眠れたのは結局3時間……」
こんな短時間睡眠では死に近づいてしまう。
だが今日は“面談”があるので寝坊はできないのだ。
僕の経験上、二度寝はほぼ遅刻につながるので。
◆◆◆
面談の場所は、駅前にある雑居ビルの一室だった。
及川直人が指定された時刻ちょうどに部屋に入ると、業者の担当者──坂口という中年の男が、机に置いた書類を見ながら軽く頭を下げた。
「どうも、及川さん。お疲れ様です。さっそくですが、部屋の様子はどうです?」
坂口は淡々と質問を投げかけ、手元の書類に何かを書き込む準備をする。
特異事例物件専門の不動産業者のベテランである彼にとって、こういった面談は単なるルーティーンに過ぎなかった。
直人もまた、感情を抑えた口調で報告を始めた。
「特に変わったことはありません。壁に染みが広がったり、子供の笑い声がしたり、生首が転がってきたりしましたが、それだけです」
「それだけ、ですか」
坂口が眉一つ動かさずに書類にメモを取った。
「はい。特に気にすることもなかったので、そのまま眠りました」
「なるほど」
坂口は感心したように頷いた。こういった物件では「負の認知」──つまり恐怖心──が霊的現象の引き金になる。
直人のような、恐怖をまったく示さない人間は非常に適している。
「では現在、身体的被害や精神的ショックは?」
「特に。しいて言えば、睡眠時間が少なくて寿命が縮む恐怖が増えました」
「……なるほど」
坂口はメモを取り終えたあと、次の言葉を口にしようとした瞬間、直人がふと深刻な表情を浮かべた。
「あの……坂口さん」
「はい、何か?」
直人はためらいがちに、しかし明らかに真剣な様子で口を開いた。
「僕は死ぬのが怖いんです。本当に、どうしようもないくらいに」
坂口は内心で「またかよ」と思ったが、それを表情には出さなかった。
ちなみに直人がこの手の相談をしてきた回数は、今日を含めて42回目である。
「僕がどんなに頑張って生きても、結局最後は死ぬんです。宇宙だっていずれ滅ぶでしょう? だから、生きる意味なんてあるのかなって……」
坂口は手元のペンを弄びながら、適当に慰めの言葉を選ぶ。
「まあ、人間誰でも死ぬ時は死にますからね。深く考えても仕方ないですよ。それより及川さんは他の人より勇敢ですよ。私なんかあの部屋には半径100m以内には近づきたくありませんから」
直人は坂口の言葉に微かに微笑んだが、その目には依然として恐怖と不安が揺らめいていた。
「勇敢、ですか……。いや、僕はただ、死より怖いものが他にないだけなんですよ」
それ以上何を言えばいいのかわからず、坂口はただうなずくことしかできなかった。
しばらくして、直人は気を取り直したように席を立った。
「すみません、変な話をしてしまって。また次回もお願いします」
「ああ、いえ。こちらこそよろしくお願いします」
直人が部屋を出ていくのを見送った後、坂口は軽くため息をつきながら報告書をまとめ始めた。
報告書には淡々とこう記された。
『及川氏によると、現象は継続的に確認されているものの、本人の精神状態は安定。ただし部屋の清掃にはまだもう少し時間を要すると思われる』
書類を書き終え、坂口は伸びをした。
彼の勤める会社──トクタ不動産は特殊な不動産会社である。
致死性の高い心霊現象が頻発する「特異事例物件」を専門に取り扱っている。
近年の国土交通省特異事例住宅対策局の発表によると、こういった物件でも一定のルールさえ守れば被害には遭わないというが、実際の現場はまだまだ厄介だった。
何より厄介なのは物件よりも、人間だった。
特に及川さんだ、と坂口は溜息をつく。
会うたび会うたび、延々と死への恐怖について語られてはたまったものではない。
──宇宙だって11兆年後には熱的死を迎える?
知るかそんなもの、と坂口は思うがそういった話に付き合うのも彼の仕事だ。
なにせ及川 直人という青年は、トクタ不動産が有する特級の祓い屋なのだから。
坂口は立ち上がり、書類をファイルにしまいながら小さく呟いた。
「まったく、死、死、死、死って……。幽霊より陰気なのはどうにかならないものなのかねぇ」
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除霊の本質とは、実のところ霊に対する恐怖を払拭することに過ぎない。
霊が人間を脅かす力は、恐怖心に由来するのだ。
恐怖を感じるとき、人間の脳は特殊な脳波──いわゆるシータ波を強く発する。
このシータ波が霊のエネルギー源──霊の存在を増幅し、その実在性を強めるのではないかという説がある。
森羅万象、いかなる“現象”にもエネルギーが消費される──それは霊現象とて例外ではない。
つまり、恐怖心こそが霊体を維持するためのエネルギーなのだ。
そんな霊にとって、及川直人は極めて危険な存在だった。
それは彼が霊そのものを恐れる余裕すらないほどに、「究極的な死の恐怖」に囚われているからだ。
直人は霊現象など取るに足らないと本気で思っている。
彼にとって幽霊などというものは、来るべき宇宙の終焉や自らの死という圧倒的恐怖の前には霞んでしまう些末な存在に過ぎない。
直人が霊に対して無関心な態度を取るとき、霊たちは恐怖という栄養源を奪われ、弱り果ててしまうのだ。
天性のゴースト・キラー、それが及川 直人という青年であった。
(了)