第6話
「私、ジョージの隣が良いわ」
傍若無人なグラディスさんに何も言わないジョージに呆れてしまうが、私はそれ以上に先程グラディスさんが私に言った言葉の意味を考えながら、混乱していた。
あの言葉。確かにジョージの背中には星の形の様な痣がある。幼い頃、木の枝が刺さってその傷跡が痣のようになった……と。
私も面白がって指摘した事もあった。でも何故それをグラディスさんが?
グラディスさんが私を挑発しているのであろう事は理解出来る。『ジョージの裸を見たことあるのよ』と。
だけど、ここで動揺しては、彼女の思う壺だ。それは分かっているのに、その事で頭が一杯になってしまった私は、既に彼女の術中に嵌ってしまっていたのかもしれない。
私はモヤモヤとした考えを取り払う様に頭を軽く振った。……しかし食欲は出ない。
「キキ?体調悪いのか?食欲ない?」
心配そうなジョージの声に、私はゆっくり顔を上げた。
そんな私の目に飛び込んだのは、必要以上にくっつき合って座るジョージとグラディスさんだった。
「……ちょっと気分が優れないみたい。ごめんなさい」
私は持っていたフォークを置いた。
「あら?月のものかしら?女って嫌よね。毎月、毎月。妊娠中にその煩わしさから解放されたのは、嬉しかったけど」
グラディスさんが私を見てにっこり微笑む。……嫌味なのはすぐに分かったが、反論する元気もない。
「いえ。ただ単に少し疲れが出ただけだと思いますわ」
「僕がシーメンス伯爵領に行っている間、仕事を任せてしまったからな」
「え?女性なのに男の仕事を?大変なのねぇ。それよりもっと役に立つ人を雇ったら良いのに」
私の答えを待たずにジョージの言葉にグラディスさんが被せる様に答えた。
「キキは成績優秀だったから。僕は助かってるんだ」
「……そう……。キルステンさんは良いわね。ちゃんと学園に通えて。
……後悔しても遅いけど、私だってちゃんと学園を卒業出来ていたら……」
せっかくジョージが私を庇ってくれる様な発言をしたのに、グラディスさんは自分の方へと話題を向けて、その上でシクシクと泣き出した。
「ごめん、ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。辛いことを思い出させてしまったね」
優しく肩を抱くジョージはグラディスさんを宥めるのに必死だ。先程の私の話など、ジョージの頭の片隅にも残っていないだろう。
私は小さく溜め息を吐いて、近くの給仕にハンカチを渡す。グラディスさんに渡して貰うためだ。
私の指示に従って、給仕はおずおずとグラディスさんの前にハンカチを差し出したが、彼女はそれを完全に無視した。
「お邪魔しました。また遊びに来るわね、キルステンさん」
「あぁ。キルステンも喋る相手が出来て良かったな」
彼女を見送る玄関ホール。私と私の気持ちを無視して二人の会話は続いていた。
正直……彼女の相手は心が疲れる。
『ある男に対して付き合いの長い女と付き合いの深い女はお互い仲良くなれないものだ』
何の本で読んだのだったかしら?そんなフレーズが頭をよぎった。
私は名残惜しそうに別れの挨拶の後もグダグダと話している二人を見ながら、その何とも言えない時間を貼り付けたような微笑を浮かべてやり過ごすことにした。
「さっきは……すまなかったな」
夫婦の寝室へ入った途端に、ジョージが私に謝罪する。
「何が?」
「体調が悪かったんだろ?無理せず先に休んで良かったのに」
「でも……お客様が来ているのにそれは失礼だわ」
「グラディスにそんなに気を遣わなくていいよ。僕とは家族みたいなものだったし。それに彼女は君と仲良く出来て嬉しいって喜んでたよ。これからも女同士仲良くすると良い」
自分の事の様に嬉しそうに言うジョージ。『家族のように思っているのは、貴方だけよ』とつい口に出しそうになった。
グラディスさんが私の事を良く思っていない事に既に気づいていた私は、ジョージのその言葉に上手く返事が出来なかった。
「……キキは嫌なのか?」
無言になった私に、不機嫌そうなジョージの言葉。
「別に……嫌なんて言ってないわ。ただ……私はジョージと違ってグラディスさんとは初対面だったのよ?そんなに直に仲良くなれるなんて……」
「君はあっちだ、こっちだって、大して仲良くもない御婦人達とお茶会をしているじゃないか。それなのに、グラディスとは仲良く出来ないって言うのかい?」
「そんな!お茶会は大切な社交の一部で、伯爵夫人としての務めだわ。それに私は出来ないなんて言ってないの。ただ……」
「『ただ』何なんだ?グラディスはこの国に戻ったばかり。隣国には友人もいたはずだが、その全てと引き離されて寂しい思いをしてるんだ。君だって、それぐらい分かるだろう?」
私の言葉など耳に入っていないかの様にジョージは私を責めた。
「はぁ……。君は優しくて人の気持ちを考えられる女性だと思っていたのに……残念だよ。ごめん。今日は自分の部屋で休む」
ジョージは怒った様に扉をバタン!と閉め、私の前から去って行った。