第50話
こんな時間に誰が?そう思い、しゃがんだまま私は振り返る。
「…………なん……で?」
声が震える。
「約束したじゃないですか。ずっと側にいると」
私はゆっくりと立ち上がる。彼は背が高い。私は月の光に照らされた紫の瞳を見上げた。
「でも……」
「ちゃんとビアンカを助けました。キルステン様に言われた事を守りましたよ」
「貴方は王になったはずじゃ……」
「ええ。王になりました。……だからやっと言える」
イライジャはそう言うと、片膝を突いた。
私の左手を取ると、彼に贈られた指輪を見て微笑む。
「良かった……。捨てられていなかった」
「……当たり前じゃない」
「この指輪にもう一度誓います。キルステン様……私は貴女の側に居たい。私と結婚してくれませんか?」
「……けっ……こん?」
「やっと私は貴女に釣り合う男になれたと胸を張って言える様になりました。その為に頑張ったんです。この指輪を持っていてくれたという事は……少しは自惚れても良いんでしょうか?」
私はまだイライジャの言葉の意味を理解出来ずにいた。結婚?私がイライジャと?
「でも……貴方は国王なんでしょう?」
「そうですね。残念ながら……私にも大切な仲間が出来ました。私を側近として支えてくれている者達です。ですから……迎えに来ました。わがままなのは承知です。エクシリアに来てください。ジュディー様と共に」
「エクシリアに……?」
「サミュエル様がご当主になられたと聞いています。アンドレイニ伯爵領を王都にも引けを取らない領地にしたキルステン様が、そこを離れ難い事も承知しています。でも、私はもう離れて暮らす事には耐えられそうにありません。どうか私の願いを聞いてください」
「……きっとジュディーは犬を飼いたいって言うわ。それでも良い?」
「十匹でも二十匹でも飼いましょう。王宮の庭は広い」
「私……もう二十七歳になったわ」
「それを言うなら私は三十二ですよ」
「私……王妃になるの?」
「嫌なら、王を辞めます。国政に関わる事を今更辞めるわけにはいきませんが、王なんて辞めたって良い。宰相にでもなります」
「……めちゃくちゃだわ」
「貴女に見合う男になる為に国力を上げたんです。でなければキルステン・アンドレイニには太刀打ち出来ない」
「貴方がいたからよ」
「この五年はキルステン様の力です。ところで……何故右手は握りしめたままなんですか?」
私は無意識に力の入っていた掌を開く。そこにはコロンと小さな貝殻が握られたままだった。
「貴女の瞳の色に似てる……私の一番好きな色だ」
にっこりと笑うイライジャの顔が何故かぼやける。
イライジャは私の頬の涙をそっと指で拭った。
「この涙が嬉し涙である事を願っているのですが……答えをいただけますか?」
「私で良いの?」
「貴女しかいらない。私の心に住んでいるのはあれからずっと……貴女だけだ。そしてこの先もずっと」
イライジャは私の指輪に口づけると、立ち上がって私を抱きしめた。
「私も……ずっと貴方を想って……」
「なら……結婚してくれますか?」
「形には拘らないって言ったのに……」
「他の男に盗られてはたまりませんからね。……マシュー様とか」
まるでどこかで見ていた様な事を言うイライジャにドキッとする。
「イライジャって……やっぱり不思議だわ」
「ん?何か?」
私の呟きは波の音に掻き消されたようだ。私は改めて少し大きな声で言った。
「貴方が居てくれるなら……私、エクシリアに行くわ」
「!本当ですか?!」
イライジャは私の体を一旦離すと私の顔を確認する。
「本当よ。私には貴方が必要だもの」
イライジャはその言葉にぎゅっと私をもう一度抱きしめた。
波音が静かに私達を包み込む。砂浜には月の光に照らされた私達の陰が一つに重なっていた。




