第42話
メリッサ様はとてもお利口さんだった。両親が居なくても真っすぐ素直に育っているのは、マシュー様の努力の賜物だろう。
「メリッサ様は大切にされているのね」
私はジュディーの面倒を甲斐甲斐しく焼いているメリッサ様に笑みが溢れた。
「サマル伯爵の手元に置いておく方が、間違いなく幸せでしょう。母親は……」
そう言ってイライジャは首を振る。
マシュー様の話を聞けば聞くほど、グラディスさんの本質に耳を疑いたくなる話ばかりだ。
「そういえば……イライジャの顔を見ても泣かなくなったのね」
メリッサ様はイライジャを怖がって泣いていたと聞いた。
「確かに。笑顔のメリッサ様を見るのは初めてですね」
「きっと、イライジャの雰囲気が柔らかくなったからだわ」
子どもは敏感だ。昔のイライジャはいつも何かに怒っている様だったとマシュー様は言っていた。
イライジャは私の肩にそっと手を置いた。
「全て貴女のお陰です。貴女が私を変えてくれた」
私はその手に自分の手を重ねる。
「私も同じだわ。貴方のお陰で強くなれた。幸せは自分で掴むものだと知ったのよ」
むず痒い空気が流れるが、それも心地良い。
その時、
「お嬢様、お客様がお見えです」
使用人のノックと共に、廊下から声がかかる。
直ぐにイライジャが扉に向かった。
「客とは?」
扉を開けたイライジャが尋ねる。
「あの……」
チラリと使用人が私を見る。……誰だろう?
「パメラ・カールトン伯爵夫人です。いかがしましょうか?」
使用人の口から出た名前はジョージの姉の名前だった。
「お久しぶりです。カールトン伯爵夫人」
結局私はパメラを応接室へ通した。今さら何の用があるのか……そうも思ったが、遠路はるばる来た者を追い返すのも忍びない。それと同時に彼女の様子が気になったのも確かだ。
今までは派手で高いだけの悪趣味なドレスを身に着けていた彼女が、地味なワンピースに身を包んでいる。アクセサリーも何一つ付けていない。珍しい事もあるものだ。
「キルステン、元気だった?心配していたのよ」
心配?何の心配だろう。彼女に心配される様な事は何もない。
しかし、元気かと訊く彼女の顔色は悪かった。
「ご心配されなくとも、私はとっても元気ですわ。ところで……こんな所までいらっしゃった理由をお教えいただけます?」
嫌な予感しかしない。
「あの……ちょっと困った事になって」
「ごめんなさい。私、忙しいので時間があまり有りませんの。出来れば単刀直入におっしゃっていただけると、助かるのですが」
パメラは私の後のイライジャにチラリと視線を投げる。聞かれたくないのかもしれないが、そうはいかない。パメラは決心したように口を開いた。
「お金を……貸してくれないかしら?」
まさか、こんな所にまで……しかも自分の弟と離縁した女の所にまで金を借りに来るなんて……。私は絶句した。
無言になった私に、
「あ、あのね。これは貴女のせいでもあるのよ!だ、だから……!」
とパメラは必死だ。
「私のせい……?どういう事です?」
聞き捨てならない言葉に私は訊き返す。
「私……グラディスに約束したのよ。グラディスはどうしてもジョージが良いって……。だからジョージとグラディスが二人になれる様に協力していたし、途中までは上手くいってたわ。やはりジョージもグラディスを忘れられなかったみたいだし……。でも貴女と離縁して……ジョージはグラディスを拒否する様になったの。そしたら……グラディスは私の借金を主人に全てバラすって……」
パメラは早口でまくし立てる。私はいつかのパメラとグラディスさんがカフェに居たあの日の会話を思い出していた。
「ちょっ……と待ってください。それと私と何の関係が?」
「私……グラディスからお金を借りていたの……」
それは知ってる。だけど、それが私と何の関係があるのか。
「それで?」
「グラディスは返すのはいつでも良い……その代わり自分とジョージを結婚させて欲しいって……」
彼女の声は段々と小さくなる。
「私が聞きたいのはそんな事ではなく……」
「安請け合いしちゃったの!!貴女は子を産めないし、いつでも離縁させられるって!!ジョージにも何度も言ったのよ、新しく妻を娶れって!!じゃなきゃガーフィールド家が潰れるからって……ジョージもグラディスと体の関係を持ったくせに、貴女と離縁しようとしないし……!だから貴女が出て行った時、私は歓喜したわ!これでグラディスとの約束を守れるって」
今度はパメラはそう大声で言って急に泣き出した。……情緒不安過ぎて私も面食らってしまった。
「あの……」
私が机に突っ伏して泣くパメラの肩に触れようとするのをイライジャが止める。厳しい顔で首を横に振るイライジャに、私は頷いた。同情しても仕方ない……そういう事だろう。
「ここで泣いていないで、ガーフィールド伯爵にもう一度再婚をお願いしたらどうですか?」
パメラはガバっと顔を上げる。化粧が涙でぐちゃぐちゃだ。
「言ったわよ何度も!でもジョージは首を中々縦に振らない。痺れを切らしたグラディスからも文句ばかり言われて……。仕方なくジョージにグラディスから借金してる事を言ったの。お願いだから、グラディスの相手をしてあげてって。でなければ私の借金を肩代わりしてちょうだいって」
この人は自分で借金を返す気がないらしい。きっとグラディスさんとジョージが再婚すれば返さなくても良くなるだろうと、勝手に決めつけていたのだろうけど……。
「ジョージは……グラディスの相手をしても良いが再婚は勘弁してくれって。妻は……キルステンしか考えられない……と。その上、借金の肩代わりも無理だって……」
ジョージは……もしや私と離縁した事を本当に後悔していたのかしら?いや……まさか。
「ならばカールトン伯爵にご相談されてはいかがです?」
カールトン伯爵もパメラの散財癖には何度も苦言を呈していた様だが、結局彼女を野放しにしていた責任はある。
「それが無理だから貴女に相談してるんじゃない!!バレたら……きっと離縁されるわ」
逆に私に相談する方がどうかしていると思うのだが。
「つかぬ事をお伺いしますが、幾らほどの借金が……?」
そこでパメラの口から出た金額に驚きを隠せない。何に使えばそれほど散財するのか……?
「ドレスもアクセサリーも全部売ったわ。でも足りなくて……」
項垂れるパメラに呆れてしまう。自業自得という言葉が今こそぴったりだ。
「申し訳ありませんが、その相談には応じかねます。私はもう貴女方とは縁もゆかりも無い身ですし、その借金を肩代わりする義理もありません」
「貴女がもっと早くにジョージと離縁してくれていれば!こんな……こんな事には……」
「元々貴女が借金をしなければ、こんな事にはなりませんでしたよ」
私は冷静に話をしているつもりだが、パメラにはそれが冷たい態度に映った様だ。
「一時は家族だったというのに!なんて薄情な女なの?!」
「……貴女と家族だった覚えはありません。貴女こそ、私を家族だと思っていましたか?」
私の問いにパメラは黙り込む。沈黙こそ答えだ。
「グラディスさんに頼み込んで借金の返済を待ってもらうしかないのでは?家族同然の貴女の可愛い幼馴染ではないですか」
ちょっと嫌味だったかしら?でもパメラが私にそう言ったのだから、間違ってはいない。
「ジョージに拒絶されて……グラディスは怒って……今までの借金を一括で返せと」
「ならば、貴女に残された道は二つ。ご主人のカールトン伯爵に全てを話して肩代わりして貰うか、ご自分で身を粉にして働いて返すか」
「出来ないから言ってるの!!」
「出来ない?何故です。カールトン伯爵だって話せば理解してくれるかもしれませんし、グラディスさんに頼み込んで、分割にしてもらえば少しずつでも働いて返せるかもしれませんよ?まさかご主人に叱られるのが嫌とか、自分が働くのは嫌……とかではありませんよね?自分の作った借金で全く自分が痛みを伴わずに済むと思いますか?」
「でも……」
「それは虫が良すぎるというもの。貴女は……痛みを知った方が良い」
今さらだが、子が授からなかった時に彼女から浴びせられた言葉の棘は、何度も私の心を傷つけた。人の痛みを理解するには、自分で痛みを知る必要がある。
「貴女に今まで言ってきた言葉、態度……全て反省しているの……お願いよ……」
あぁ……この人に何を言っても無駄なのだとはっきりと分かった。今までの話はどれ一つとして、彼女の心には届かなかった様だ。
流石のイライジャも痺れを切らした。
「アンドレイニ伯爵は貴女と違ってとても忙しい。これ以上時間を無駄にされては困ります。明日には貴女のご主人……カールトン伯爵がこちらに到着しますので、ご一緒に戻られて下さい」
「え……?どういう……こと?」
パメラの顔が目に見えて青ざめる。
「お迎えに来られるという事ですよ。伯爵夫人」
イライジャは既にカールトン伯爵に連絡をしていた様だ。早馬はもう王都に着いている頃だろうか。
「ど……どうしてそんな勝手な事……!」
パメラが喚いても、時すでに遅しだ。
「伯爵夫人がご主人に無断で家を空けるなど……さぞかしご心配されている事と思いましてね。こちらにいらっしゃっている事をお伝えしたまでです。まさか借金の肩代わりの願い出だと思わず失礼しました」
イライジャはそう皮肉たっぷりに言うと、改めて頭を下げた。




