コダ村-1
これは昔むかしのお話し。
世界には一人の女神様がいました。女神様の世界には何もなく、長い間ずうっとずうっと一人ぼっちでした。ある時女神様は世界を変えてみようと思いつきました。まず女神様は世界を明るく照らす太陽を作りました。その次に一日の終わりが分かるように夜と月を作りました。その次は世界を覆う大きな海を作りました。その次は海に浮かぶ大きな大地を作りました。大地には豊かな森を作り、森と海には動物を住まわせました。そして最後に女神様は人を作りました。
女神様は自分が作った世界で、人や動物たちと毎日楽しく幸せに暮らしました。
でもある時、人と人の間でケンカが始まりました。女神様は人達にケンカを止めるよう言って聞かせましたが、人は女神様の言うことを聞こうとしませんでした。やがてケンカはどんどん大きくなっていき、いつしか人の心には悪い気持ちが生まれてしまいました。
悪い気持ちは人がケンカをする度にどんどんと世界に広がっていき、やがて黒い靄のような形を持つようになりました。その靄はどんどん大きく黒く広がっていき、ついには一つの黒い塊になっていきました。黒い塊は人の悪い気持ちを吸いながら、どんどん大きく、どんどん黒くなっていきました。そして山よりも大きく、夜よりも暗くなった時、塊の中からたくさんの魔物が生まれてしまいました。
魔物達は悪い気持ちを産み出した人が嫌いでした。中でも特に一番体が大きく力の強かった竜は、人だけでなく自分達を作らなかった女神様と、女神様が作った世界の事も大嫌いでした。
魔物達は力が強く賢かった竜を自分達の王に決め、魔王と呼ぶことにしました。魔王は魔物達と共に、女神様の作った世界を壊してしまおうと考えました。
恐ろしい魔王の力で、世界中はあっという間に怖い魔物達で埋め尽くされてしまいました。
女神様は、世界を守るために人と動物に魔物達と戦うように命じましたが、力の強い魔物には人や動物の力では勝つことができませんでした。
困った女神様は、大いなる神の力を使って、何処からか聖なる五人の勇者様を呼び出しました。五人の勇者様達は互いの力を合わせ、遂に魔王を退治し、世界を守ったのです。世界を救った五人の勇者様達を人々は「五英雄」と称え、その勇姿は二百年の時が経った今もなお、語り継がれているのです・・・
そうコロコロと良く通る優し気な声で少女が子供達に言い聞かせると、それまで食い入るように少女の話を聞いていた子供達は皆、ぱぁっと明るい笑顔となり、お互いに顔を見合わせ口々に女神様や五人の勇者のことを褒め称え始めた。
「俺もいつか勇者様みたいになるんだ!」
「違うよ!勇者になるのはボクだよ!」
と男の子達は勇ましく喧嘩を始め
「私は将来勇者様のお嫁さんになるの」
「私もいつか女神様のような素敵な女性になるんだ~」
と女の子達は早くもガールズトークに花を咲かせている。
穏やかな春の日差しが降り注ぐ午後。少女たちが住む村から南にある大きな町へと続く、良く手入れされた森の小道。その中でも一番背の高い木があるこの場所は、ちょっとした広場のようになっており、村の子供達の良い遊び場になっている。近くを流れる小川の辺りからは時折心地よい小鳥の囀りが響き、今日のように天気の良い日には木立の根本で慎ましく咲いている小さな花々に木漏れ日が優しく射すそんな場所だった。今はただ、少女を囲んでいる子供達の楽し気な笑い声と小鳥の囀りのみが響いている。
ひとしきり子供達が話し終わるのを待って、少女はまた子供達に話を聞くように促していく。どうやらこの少女の話には続きがあるらしい。それにしても子供達は少女の話を良く聞く。さっきまで盛んだった男の子達の口論や女の子達の淡い恋話は一旦取りやめとなり、少女の話の続きを聞くために皆静かに腰を落とすのだった。
少女と子供達は、おそらく家族ではない。子供達の中心で話をしている少女は14、15歳程か。輪になって少女の話を聞いている子供達は、一番の年長でも10歳程で、多くは7~8歳くらい。一番下の子は5歳程だろうか。皆よく少女に懐いているように見える。きっとこれまで長い間同じ時間を共有したのであろう。家族ではないが、家族にも近しい絆のような物が、少女と子供達の間には確かに存在している。そう感じさせる雰囲気がこの子らにはある。
「でもね・・・」
子供達の聞く準備が整ったのを見計らい、少女はまた話の続きを静かに語り始める。優し気な語り口はそのままだが、よく聞けば先ほどまでは感じられなかった緊張の色がほんの少しだけ交じっている。その口調の違いが、自然と子供達をまた少女の話に引き込んでいくのだった。
「五人の勇者様達は激しい戦いの末に魔王を倒しましたが、勇者様にも女神様にも魔物達全てを滅ぼす力は残ってなかったの。だから今でも魔物達は世界のどこかでひっそりと生きているし、悪い心を持った人を攫っていってしまうのよ。」
子供達の表情に先ほどまでの笑顔はない。子供達一人ひとりの顔を見回しながら少女は続ける。
「だから皆はちゃんとお父さんお母さんの言いつけを守って、いつも良い子にしていてね。悪い子の所には北の森に住んでいる怖~い魔物がやってきて、パクッて食べられちゃうからね。」
張り詰めたような静寂。小鳥の囀りがやけに大きく聞こえる。
一呼吸置いた後、少女は一転してまたコロコロとした良く通る声で、強張った子供達の体を解すように優しく微笑みながら、「はい、今日のお話はこれでお終い!」と告げるのだった。
今にも泣きだしそうな年下の子供達も、年長の子供や少女に抱き上げられると安心したのか、少しの時間を置いて、また無邪気に話し始める。怖い話を聞いても、幼い子供達が泣き出さないのは、この少女の纏う雰囲気がやはりどこか優しく感じられるからかもしれない。
「ルー姉ちゃんありがとー」
「またねー」
口々に少女との別れの挨拶を済ませ、子供達は元気に村へと戻る小道を駆け出していく。年少の女の子は別れの間際に次のお話の約束をしていたようだ。先頭を走り始めた子供達の後を一番背の大きい年長の男の子が追いかけ始めた所で、思い出したように少女の元に戻ってきた。
「忘れる所だった。これ、父ちゃんから頼まれてたんだ。ルー姉ちゃんの母ちゃんにって。」
そう言いながら、ズボンのポケットから丁寧に包まれている白い布を少女に差し出す。少女が手に取るやいなや、また踵を返し走り始める。きっと年長者として、年下の男の子達に負けるわけにはいかないのだろう。
「昨日山で採れたって!栄養付くから食べさせてやれって!」
先に行った子供達の後を追いながら、男の子は軽く手を振り去って行った。
「ありがとー!」
走り去る男の子の後ろ姿に向けて、少女は口に手を当て大きな声でにこやかに礼を述べる。少女のコロコロとした声がこだまのように森の広場から小道の向こうに響き渡ると、もうずいぶんと小さく見える少年はこちらを振り返り二度三度と手を振り、そして消えていった。
少女以外誰もいなくなった森の広場には小鳥の囀りが静かに響いていた。
子供達と別れ、ルーと呼ばれていた少女は広場から少し離れた小川で、一人野草を採っていた。小一時間程で持ってきたバスケットも丁度いっぱいになる。さっきまで暖かく射していたいた日差しも、いつの間にか陰り、辺りも冷やりとした空気に変わりつつあった。そろそろ帰り支度を始める頃合いだ。
「よし、今日はこの位にしておこう!」
野草で一杯になったバスケットに目をやり、満足気に少女は一人つぶやく。コロコロと良く通るその声は、淡い白を基調とした衣服とも相まって、どこか涼し気な雰囲気を伺わせる。軽く伸びをするように立ち上がると、少女は元来た道を戻り始める。
今日は思いの外野草が良く取れた。家にある干し肉と畑で採れた少しの野菜を一緒に煮込めば母さんの好きな煮込みができる。それに、今日はトムさんから頂いたポーロン草もある。この辺りでポーロン草が取れれるのは珍しいから、きっと母さんも喜ぶに違いない…
そんなことを考えながら森の小道までたどり着いた所で、見慣れたはずの景色に盛大な違和感を感じ少女は思わず歩みを止める。これまで何百何千と通り慣れた小道の茂みから見慣れない物が生えている。
尻だ。茂みから尻が生えている。頭から腰の辺りまでずっぽりと茂みに突っ込んでいるのでこの尻の主が一体誰なのかは分からないが、村の子供達ではなさそうだ。村の子供達とはこれまで散々かくれんぼをして遊んできたが、ここまで絶望的に隠れるのが下手な子供はいない。
茂みから生えた尻は小さく右に左にと揺れながらガサゴソと音を立て茂みを揺らしている。
「・・・様ぁ~、・・・様ぁ~。どこですか~?」
どうやら尻の主は誰かを探しているらしい。こんな所に人が隠れている物かしらと不思議に思いながら、恐る恐る少女は尻の主に声をかける。
「あの~・・・大丈夫・・・ですか?」
少女の声にびっくりしたのか、茂みの中で尻が跳ねるように動く。ガサガサと音を立てながら後ずさりし、ようやくその尻の主の顔が露わになる。茂みから顔を出したのは、明るい栗色の髪に翠色の大きな瞳をした少年だった。茂みに頭を突っ込んだ時に付けた細かな葉をまだあちこちに残したまま、どこかバツが悪そうな表情で少年は少女に向き直る。
「お恥ずかしい。変な所を見られてしまいました。」
衣類に残る木の葉をパタパタと軽く祓いながら少年は言う。
「私は旅の者です。同行人と逸れてしまいまして、あちこち探していたんです。驚かせてしまったようですみませんでした。」
と気恥ずかしそうな顔で頭に手をやりながら、少年は無様な様子を見せてしまった事についての弁明を、顔を赤らめながら述べるのであった。
自分とは年の頃はそう変わらないはずだが、落ち着いた物腰や穏やかな話しぶりから、村にいる同年代の少年達などよりも随分と大人びているなと少女は思うのであった。茂みの中に果たして人がいるだろうかという若干の疑問を感じつつも、少年の言動から警戒の必要がないことを感じた少女は緊張が解けた安堵感からか、思わず小さく笑ってしまうのだった。
少女がクスクスと笑っている様子に、ますます少年はバツが悪そうになってゆく。
いよいよ顔が赤くなってきた少年に追い打ちをかけるように
「まだついてますよ。」
微笑みながら少女は自分の頭の辺りを指して言い、続けて少女は少年の明るい栗色の髪についたままの木の葉に手を伸ばす。
「…ありがとうございます。」
自分では取りきれなかった木の葉を少女に払ってもらい、いよいよ少年の面目は立たなくなった。耳まで真っ赤になった少年を少し不憫に思ったのか、少女は少年に助力を申し出る。
「この道をもう少し行くと、私の住む村があります。この辺で逸れたとすれば、この先の村かあるいはこの道を戻った町の方まで行っているかもしれません。私はちょうど村に帰る所ですから、良ければ同行の方を探しながら村までご一緒しませんか?」
「ありがとうございます。でも、見ず知らずの方にご迷惑をかけるわけには…」
と少年が断りを入れるよりも早く、少女は尚続ける。
「でも、これからすぐ日も暮れるし、夜には気温がぐっと下がりますよ。この森の中を一人でフラフラしている方が危ないですよ。あなたの方が心配です!」
と両手を腰に当て、やや怒ったような口ぶりで少年に告げる。まるで母親が幼い子供に注意をするようなその仕草の前では、最早少年が断りを入れることは叶わなくなっていた。
「・・・はい。お願いします・・・」
観念した少年が少女の提案を受け入れると、少女はそれまでの仕草から嘘のように悪戯っぽく微笑み、
「素直で宜しい!では行きましょう。」
と、コロコロとした声で出発の号令をかける。母親が幼子を諭すようなどこか芝居じみた仕草に思わず少年も苦笑気味に笑みをこぼしながら、今度は素直に従うことにした。きっとこの少女は生来人懐こい性格なのだろう。
「私はこの先のコダ村に住むルーシェ・ポー。皆からはルーって呼ばれてるから、あなたもそう呼んでね。」
自身の要求が通ったことに満足した少女は微笑みながら自己紹介をすると
「僕はアルフォンス・リンド。半人前の魔導士見習いです。今は立派な魔導士になる為にお師匠様と修行の旅をしています。お師匠様からはアルって呼ばれてるので、そう呼んで下さい。」
今度は少年も落ち着いて自己紹介に応じるのだった。
自己紹介を終え、二人はコダ村へ向かい歩き始める。ルーは魔導士見習いとだという同年代の少年アルに対して興味津々の様子で早速質問攻めにしている。
「へ~、じゃあアルはこの辺の子じゃないんだ。」
「はい。ここよりもずっと西の方から来ました。」
「年齢は私と同じくらいに見えるのに、魔導士様だなんて。何だかアルって凄いのね。」
お世辞ではなくルーは心底アルに感心している。ルーの住むコダ村に魔法を使える人はいない。村より南の大きな町まで行けば或いは一人くらいはいるかもしれないが、ルーは生まれてこのかた魔導士という人間に会ったことが無い。でもそれは何も珍しいことではなく、国全体で見ても魔導士という人種が圧倒的に少ないということは、一般教養としてルーも理解していた。この国で魔導士といえば、その殆どが国王や貴族やお役人に使える身分の高い人達で、一般村人Aであるルーなどが気軽に話せる人種では無いのだ。
「魔導士じゃなくて魔導士見習いです。僕の実力では魔導士だなんて名乗れません。」
「でも少しは魔法が使えるんでしょう?私にはそれだけで十分凄いことだと思えるけど。」
「お師匠様に比べたら、僕なんてまだまだヒヨッコみたいな物です。」
門外漢には魔導士の世界の事は到底理解できそうにないが、アルが言うならそういう物なのだろうとルーは納得することにした。
「ふ~ん。じゃぁアルのお師匠様って凄い人なんだ。ねぇお師匠様はどこにいるの?」
何となしにルーが尋ねた一言に、アルからの返答はない。
少し先を歩いていたルーが振り返ると、アルは手を顔に当てて黙り俯いている。
「・・・もしかして、アルが探している人って・・・」
「・・・はい。お師匠様です・・・」
森の小道には、傾き始めた夕日に照らされた二人の影が伸び、森のどこかでカーカーと鳴く鳥の囀りだけが静かに響いていた。