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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人間の激減したポストアポカリプス世界は飢えた不死者だらけ

作者: 夏川優希



 たくさん勉強して、良い大学へ入って、良い企業に就職する。

 それがこの世界で生き抜く最良の道だと信じていたが、結果的に言えば間違いだった。

 勉強なんかせず、陸上部にでも入って足を鍛えていれば良かったんだ。

 社会人になって納期や締め切りに追われることは覚悟していたが、まさかバケモノに追われることになるとは思わないじゃないか。



「ひいぃぃっ!」



 赤い夕日が照らすのは、迫りくる巨大な肉の塊。

 進化論を嘲笑うかのように突如現れたその生命体は瞬く間に食物連鎖の頂点に君臨し、人間は狩人から獲物へと立場を変えた。

 残念ながら彼らには人間という種の存続を危惧する知能も、禁猟区や禁猟期なんて気の利いたものを作る発想力も無い。

 今レッドデータブック最新版が発行されたなら、ホモサピエンスは間違いなくその表紙を飾るだろう。

 根本的解決法など最早なく、すべての行動はちょっとした延命措置の域を出ない。

 そして幸か不幸か、俺はまたちょっとした延命措置を得た。


 轟音。

 砂煙を上げながらバケモノの巨体が傾く。

 なにが起きたのかと振り向いたその時、俺はすぐそばに人がいることに気付いた。

 少女だった。

 終わった世界には不釣り合いな、キラキラ輝く目が薄闇の中に浮かび上がっている。

 人と話すのは久しぶりだ。錆び付きかけた喉から酷く掠れた声が出る。



「こ、子供……?」



 ゆっくりと、足を止める。

 肉塊は横たわったまま動かない。どうやったのかは分からないが、確実に誰かがなにかやったんだ。



「一体……いや」



 俺は肩で息をしながら膝をつき、彼女と視線を合わせる。

 丸い瞳。幼い顔つき。小学生か中学生くらいか。

 俺はできるだけの笑顔を浮かべた。



「ええと、お父さんかお母さんはいる?」



 少女は、終末世界にそぐわない満面の笑みを浮かべた。




******




「わたしのことはソラちゃんって呼んでね。年は13歳だよ。好きな食べ物はイチゴ」


「あぁ、そうなの……俺は篠宮だよ。篠宮雪人。それで、さっきの爆発は」


「ユキトお兄ちゃん。わたしユキトお兄ちゃんのこと好き~!」



 漏れそうになるため息をなんとか飲み込む。

 年齢の割に幼い子だ。

 さっきから増えていくのはこの小さな女の子に関する情報ばかり。すっかり日が沈むまで話をしたが、重要なことは何一つ分かっていない。

 子供は嫌いじゃないが、今はなんとしても大人と話さなければ。

 あたりを見回すも、夜の闇はなにもかもを覆い隠していて様子を窺うことはできない。



「ねぇ、君一人じゃないんでしょ? 誰か大人の人は――」


「あっ、おにいちゃーん!」



 兄?

 俺は弾かれたように立ち上がり、彼女の視線の先を見る。

 そして落胆した。

 またしても子供だったからだ。砂煙の中、こちらへ歩いてくるのはソラにそっくりの男の子。



「紹介するね。リクお兄ちゃんだよ。双子なの」


「あ、あぁ……初めましてリクくん。それで、お父さんかお母さん。もしくは保護者の方は――」


「リク“くん”?」



 少年の浮かべた表情に違和感を覚えた。

 笑顔。しかしそれはソラの“無邪気な笑顔”とは対局に位置する、いわば“有邪気な笑顔”。



「可哀想に、終末のショックで言葉を忘れてしまったんですね。ぜひ目上の人間への敬意ある対応を思い出して下さい」


「目上……」



 推定身長150センチのティーンエイジャーを見下ろしながら呆然と呟く。

 こんなに丁寧な口調に覆われた「敬語使えカス」は初めてだった。



「それで、他に人間は?」


「いや……俺一人……です」


「一人? 仲間は死んだのか? 死体はどこにある?」


「し、死体って……」



 寒気がする。頭を振り、蘇りそうになる光景を必死に頭から追い出す。

 確かにたった一人で生きていけるほどこの世界は甘くない。

 俺がここまで生き抜けたのは、今まで安全な場所にいたからだ。



「会社の、その、福利厚生の一貫で地下シェルターが使えて」


「その安全な地下シェルターからどうして地上の地獄へ?」



 それは俺にとって非常に困る質問だった。

 端的に言えば、地下シェルターが安全ではなくなったからである。それも外的要因ではなく、内的要因で。



「まぁ、その、閉鎖空間に大勢の人間が集まるとどうしても、ね。食料だって、その、無限にあるわけではないし」


「……そうだな。食料は重要だ」



 リクの眼の色が変わる。

 小さな手が俺の肩を掴んだ。子供とは思えない力。



「シェルターはどこにある?」


「え? えっと、それは」



 即答できなかったのは、俺にとって都合の悪い質問だったからだ。

 しかし彼は有無を言わさず答えをつかみ取る。

 薄汚れたシャツのポケット――今となっては俺の唯一の財産。護身用には心もとない果物ナイフと、シェルターの鍵兼社員証。



「あぁ、なるほど。レーゲンシルム社。悪の親玉じゃないか」



 血の気が引いていく。

 それは俺が一番知られたくない情報だった。

 あのバケモノは生物兵器としてレーゲンシルム社が作った商品だった。

 それが研究所から脱走。みるみる増殖して今に至る。

 俺たちが本当に逃れたかったのはバケモノではなく、命の危険を感じるほどの誹謗中傷とバッシングだ。

 お陰で今まで生き延びることができた。皮肉なものだ。



「あんなバケモノを野に放っておいて、自分たちは安全な場所に避難か。良い御身分だな」


「リクお兄ちゃん」


「喜べソラ。憂さ晴らしと生活の糧が一度に手に入った」


「リク、仕事が終わってないよ」



 ……油断していた。

 バケモノを一匹倒したからって安心などできない。

 なにせこの地上にはヤツが数え切れないほど生息している。

 闇夜に紛れて現れたそれは、先程のものよりずっと大きかった。



「おいおい冗談だろ? あんなのどうやって倒すんだよ」


「うーん、どうしたら良いのかな?」



 ソラがジッとこちらを見る。



「レーゲンシルム社の人なら倒し方も知ってるんじゃない?」


「知ってたらこんな状況になってないだろ」


「……いや」



 やつらの特徴は無秩序な細胞の増殖に起因する巨体と驚異的な生命力。

 しかしどんなものにも弱点というのは存在する。



「コアがあるんだ。体表からでは届かない体の中心――食道のすぐ裏。中に入れば届く」


「はぁ? 生きたまま丸呑みにされろってことか? そんなの誰ができるっていうんだ」


「…………成功させた人はいる。目の前で」



 地下シェルターに潜って数年。

 地上からの情報は途絶え、食料は目減りし、我々の精神は摩耗していた。

 “口減らし”が始まったのはいつからだったろう。

 コミュニティに不要と断じられた人間が、シェルターから追放される。

 俺もその一人。そして――もう一人いた。

 5つ年上の先輩。俺と違って優秀な研究員で、生物兵器の開発担当。バケモノの体の構造を誰より理解していて、そしてそれをうまく使った。

 今なら彼の気持ちがよく分かる。

 どんな行動も、死をほんの少し遅らせるだけの延命措置でしかない。

 ならばいっそ、この命で罪滅ぼしをしたほうが。



「このままじゃ絶対追いつかれる。一か八かやるしかない」


「そんなことしなくて良い」



 リクのその言葉は、俺の身を案じたものというわけではないようだった。

 ナイフの刃先がこちらを向いている。思わず後退りをする俺との距離を縮めるようにリクは手を伸ばす。

 が、それが俺の胸倉をつかむことはなかった。



「そんなことさせないよ」



 ソラが俺たちの間に割って入る。

 よく似た二人が、鏡のように向かい合う。



「どけよ。喉が渇いて仕方がないんだ」


「私もいちごミルクが飲みたいな。自販機探す?」


「お前の子供ごっこにはもうたくさんだ。付き合いきれない」



 リクが子供離れした鬼気迫る表情を浮かべるのとは対象的に、ソラは不自然なほどに無邪気な笑顔を崩さない。



「お兄ちゃん、どうして怒ってるの? なんか怖いよ?」


「あぁ、イライラする。それ全然可愛くないからな。いくらフリルのワンピースを着て香水をふったって――」



 俺は後ずさりをした。

 理由は説明できない。体が勝手に動いた。

 強いて言うなら、本能が危機を察知したのかも。

 終末の世界の夜はどこまでも深く暗い。

 数歩離れただけで兄妹の姿もおぼろげになる。

 闇の中で、挑発的な声だけが響いた。



「加齢臭が隠せてないぞ」



 ――雨だ。

 頬に滴ったそれを、俺は雨粒だと考えた。

 しかしそれは間違いだった。



「え? え? ……え?」



 雲の切れ間から覗いた月が見たくもない真相を暴き出す。

 ソラがぬいぐるみのように抱えているのは、自分とそっくりな顔をした兄の頭。



「あーん、お洋服汚れちゃった。ねぇ近くに川はない?」



 フリルのワンピースが赤く染まったことを可愛らしく嘆いてみせるが、全く頭に入ってこない。

 眼の前でいともたやすく行われた殺人行為。情けないことに、俺は立っていることができず、崩れ落ちるように膝をついた。

 そして状況は刻一刻と悪化していく。

 バケモノがすぐそこにまで迫っている。

 突きつけられた他人の死と、迫りくる自分の死。

 足が震えて腰が立たない。

 命をかけて罪滅ぼしをする、なんて威勢の良い覚悟が風船のように萎んでいく。



「きっ……君だけでも、逃げて……」



 体は動かず頭は回らず、そんな既製品みたいなありふれた言葉を吐くのがやっと。

 しかしソラは俺の言葉を気に入ったようだった。

 血飛沫に彩られた顔に満面の笑みを乗せ、首と離れ離れになってしまったリクの胴体を掴む。

 そしてそれを――自分とほぼ同じ重量の死体を、片手で放り投げた。10代前半の子供が、その細い腕で。

 そして人の肉を好むバケモノは、まるでアシカがショーでするようにリクの死体を丸呑みにした。



「え? え?」


「怖いよユキトお兄ちゃん!」



 いまさら甘えた声を上げて抱きつかれても困る。怖いのはこっちだった。

 そして俺の理解を追いつかせまいとするかのようにさらなる事件が起こる。

 バケモノの巨体が突然倒れたのだ。

 月明かりがスポットライトのように照らす中、なにかがバケモノの表皮を突き破った。

 リクだ。首が繋がっている。



「クソが!」



 悪態と共になにかが風を切った。

 見覚えのある果物ナイフ。

 それが根本まで、ソラの胸に深々と突き刺さっている。



「もう! 終末世界じゃ可愛いお洋服は貴重なのに」



 胸からナイフが生えているにもかかわらず、当のソラは軽く頬を膨らませるだけだった。

 明らかに普通の兄妹じゃない。

 俺はやっとの思いで口を開く。



「君たちは一体なんなんだ」



 答えたのはリクだった。



「良いかよく聞け若造。僕たちはお前より100年は長く生きてる吸血鬼だ」


「違うよ。13歳だよ」


「こんな見え透いた若作りに騙されるなよ」



 もちろん普通の状況なら子供の戯言と切り捨てていただろう。

 しかしリクの首と胴体はしっかりとくっついており、胃酸で溶けたらしい皮膚は白煙を立てながらみるみる治っていく。

 こんなのを見せられたら認める他ない。



「俺を殺して血を啜ろうってこと?」


「そのとおりだ」


「ダメ!」



 この期に及んで、ソラは舌っ足らずな話し方を正そうとはしない。



「私には女の子扱いしてくれる人が必要なの! じゃなきゃ本当に老けちゃうの心が」


「知るかそんなこと!」



 食物連鎖の頂点に君臨していたのは、最初から人間なんかじゃなかった。

 しかしそれは終末世界の希望でもある。

 彼らならちょっとした延命措置ではない、この世界を救う根本的治療ができるのではないか。


 まぁ俺の命が朝まで持てばの話だが。

 目の前で繰り広げられる壮絶な兄妹喧嘩をぼんやり眺めながら、俺はそんなことを考えるのだった。



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