調印
デザント王国の治安は、未だに完全に回復しているとは言いがたい。
そんな中で統帥権を持つ王に次ぐ軍権を持つラッフェルハルデ卿が直接やってくるということは、ガルシアとの戦争をそれほどまでに早く終わらせたいという証左だろう。
もしかすると属州で何か起こってたりするのかもしれないが……ガルシアにいる俺達にはそれがどのくらい切迫したものなのかがわからない。
いわゆる情報の非対称性というやつだな。
ただ状況だけ見れば、既に国土を半ばほど蹂躙され、ダークエルフや獣人達の多くを奴隷をして連れて行かれてしまっているガルシアと、軍団規模で兵力を減らされたものの自国の土を踏まれてはいないデザント。
交渉がどちらに有利に傾くかというのは、考えるまでもない。
「――という形で、我々としての要求はガンドレア・アンドルー・システナの割譲だ。無論条約が結ばれた際には、即時の撤退を約束しよう」
「ふざけないでほしいのです!」
まだ年若いように見えるハート湖沼国の代表は、狸耳をした少女だった。
年齢的にまだ若いからか、明らかに激昂している様子。
それをいさめながらずずいっと前に出てくるのは、アンドルーの代表であるダンテさんだった。
「いやぁ、それは流石に飲めぬ相談というもの。デザントの方々も知っての通り、ガルシアは世界の果て故、その環境は過酷です。そのいくらかを自領としたところで、実りある成果を得ることもできないでしょう」
デザントの目的はわからないが、ガルシア側の意見は既に一致している。
すなわち即時の撤退、領土は割譲せず、奴隷は全員帰してもらう。
この条件をどれだけ飲ませることができるかが、交渉としての腕の見せ所なわけだ。
俺はあくまでも両者を取り持つ仲介人として、双方の会話を聞くことにした。
ラッフェルハルデ卿が来てることから考えても、さっさと終わらせたいというのは本音だろう。
どうやらデザントとしては、奴隷の捕虜返還自体は問題がないらしい。
ガルシアの人間がそこを一番重要視しているのは明らかなので、対価にどこまで粘れるか、その値段をつり上げている感じだ。
貴族として日々舌戦を繰り広げているラッフェルハルデ卿と力こそパワーという単純な世界で生きているガルシアの人達とではやはり交渉の上手さが違う。
俺が適宜フォローを入れなければ、口八丁で丸め込まれてしまっていたかもしれない。
話の感じ、これは長丁場になるかもな……と考えていると、驚いたことに交渉は次の日にはまとまった。
その条件の内容も、かなりの破格と言っていい。
内容は両者の人材派遣なんかも込みで実に多岐にわたっていたが、大事なのは以下の三つだろう。
・ガルシアは奴隷として連れ去られた同胞を買い取る。そしてデザント側はそれを現在ガルシアが戦時捕虜として捕らえている者達と受け取る対価に、可能な限り買い取る努力を行う
・現在のシステナ熱砂国にあたる地域をどちらの国民も住まない緩衝地帯とする
・向こう十年の不戦
ダメージはほぼ最小限に抑えられたんじゃないだろうか。
システナの人たちは他の国で受け入れる必要があるだろうが、デザントの領土になったわけではなくあくまでも緩衝地帯になっただけなので、すぐに攻め入られる心配もないだろう。
賠償金でガルシアが成り立たなくなるってこともないし、何年も戦争を続けてきて、押し込まれてる状態での条約にしてはかなり良い方だと思う。
(こんだけ配慮されてるとなると、逆に怪しくなってくるレベルだ……)
いくらなんでも、色々な面でガルシアに有利すぎる。
もしかすると今のデザントは、俺たちが想像してるよりはるかに大変なことになってたりするのか……?
そんな俺の内心を気取られたのか、去り際にラッフェルハルデ卿に耳打ちをされた。
「正直なところ、私はガルシアとの戦争には反対の立場なのだ。故に多少の損を取ってでもさっさと終わらせたかったのだよ」
ガルシアとの戦いは、あまりにもうま味が少ない。
環境が過酷すぎるので領土的にもおいしくないし、戦時捕虜が取れるといっても戦費に見合うほどの人数もいない。
軍務総監的には、さっさと損切りをして終わらせたいというのが本音らしい。
「それに……これ以上君たちに暴れ回られても困る。バルドは馬鹿な選択をしたよ、本当に」
驚いたことに、バルド王子は既に王家から籍を抜けて修道院送りになっているらしい。
俺を追い出したことを始めとして、色々とやりたい放題していたツケが回ってきたらしい。
ただ自分でも意外だったが、その話を聞いても俺の心にさしたる変化はなかった。
どうやら俺は自分で思っていた以上に、デザントに未練が残っていないらしい。
「あまり派手に暴れられると困るから、ほどほどにしてくれ」
「個人的には必要なことしかしていないつもりなのですが……」
俺の言葉を聞き、少し疲れたような様子でラッフェルハルデ卿は帰っていった。
穴が空くほど条約は見直したので、不利な条件を飲まされているわけではない。
だがだとしたら、デザントは一体どうしてここまで調印を急がせたんだろうか。
その疑問は、ガンドレア火山国の代表であるゴズからとある男を紹介されたことで解消されることになる。
「どうも英雄殿、俺の名はグリンダム・ノルシュという。お目にかかれて大変光栄だ」
俺が顔を合わせることになったのは、属州ゲオルギアにおいてその名を轟かせている、『不屈』のグリンダムだった。
なるほど、デザントが焦って不利な調印をしたのは――属州の反乱に備えるためだったわけだ。




