三つの条件
「報告は以上になります、お父様」
「ふむ、なるほどな……」
アルスノヴァ侯爵領、領都グラウツェンベルク。
その東部、将来的に魔物の侵攻にさらされるであろうもっとも危険な地域に、その屋敷は建っていた。
一際頑健な造りをしており、いざという時は領民を入れたシェルターとしても使えるその家屋は、リンブルで『東の盾』と親しまれているアルスノヴァ侯爵の住処だ。
屋敷の執務室で、アルスノヴァ侯爵本人が自分の愛娘であるオウカから直接話を聞いていた。
いいことと悪いこと、そして善悪の判断のつかないことが一気に押し寄せてきている。
父であるアルスノヴァ侯爵は髭をなでつけながら、娘との久しぶりの会話すら楽しめない情勢を恨んだ。
「オウカが攫われたのは……恐らくは第一王女の派閥だろう。あそこは最近活発に動き回っているからな。なりふり構わず蠢動していて、噂では他国と秘密裏に交流しているとも聞いている」
「デザントですか? 相互不可侵条約はあと二十年は有効なはずですが……」
「そんなもの、紙っぺらに過ぎん。地方分派が政権を取れば、国名に神聖とでもつけて新しい国に変えればいい。そうすればあいつらは新たな国として、何食わぬ顔で外交をするだろう」
悪いことというのは、オウカが攫われてしまったことである。
次期侯爵が誘拐されたことは、アルスノヴァ侯爵本人の失態となるだろう。
そのリカバリーをしている間に地方分派が一層活発になる光景が、容易に想像がつく。
救出することができたのが、せめてもの救いだ。
リンブル王国第一王女であるキティが領袖を務める地方分派は、ここ数年精力的に活動している。
地方分派とは、要は王国の掣肘を受けたくないかつての元豪族たちの寄り合いである。
彼らは隙あらば自軍の増強と、王国からの独立を考えている。
正確なことはわからないが、既にデザントの魔の手はどこかへ伸びているはずだった。
地方分派の人間は、明らかに計算の合わない大量の金銭をばらまいている。
恐らくはデザントからの裏金を受け取っているのだろう。
戦争をしないと言ってもそれは表向きの話。
リンブルに手を出すのを止めるほど、デザントという国はぬるくはない。
「しかしいきなり私を攫うとは……何かを焦っているのでしょうか。手段としては性急に過ぎる気がします」
「下っ端が功を焦った可能性も無論ある。だが恐らくは、こちらへの揺さぶりだろう。お前たち程度、なんとでもなるのだと伝えるためのな」
侯爵はまさか次期領主となるオウカが白昼堂々誘拐されるとまでは思っていなかった。
それほど切迫していない現状下で、そこまでのことをされるとは予想できなかったのだ。
サクラをつけていれば問題ないだろうという考えが甘かったのだろう。
(だが怪我の功名、まさかサクラが『七師』と知り合うことができるとは……いや、今は元『七師』か)
悪いことばかりなら侯爵としても胃が痛かったが……不幸中の幸いと言うべきか、一つの良い出会いもあった。
机の下の引き出しから資料を抜き出し、並べていく。
そこには隣国デザントで特記すべき重要人物たちの情報が書き込まれている。
左から三枚目、つまりは三番目に重要となる『怠惰』のアルノードは特A級――つまりリンブルが最も警戒しておかなければならない人物の一人である。
そんな人物が現在、リンブルへの所属を求めてくれている。
サクラたちと交流があったおかげで、アルスノヴァ侯爵の王党派へ与しても構わないという内々の同意も受け取っている。
(ほとんど情報が出ていなかったが……まさかデザントから追放されていたとはな。本人からすれば不服だろうが、私たちからすれば福音だ)
オウカを助けてくれたアルノードが、特殊工作員という可能性は低い。
そもそもアルノードがトイトブルク大森林の魔物をリンブルに誘導すれば、それでアルスノヴァ侯爵領は完全に詰む。
そんな面倒な手はずを取る必要はないのだ。
恐らくはただ、善意から手助けをしてくれただけなのだろう。
この奇縁を逃してはならないと、アルスノヴァ侯爵は確信を抱いていた。
「大隊の面子はいつ頃?」
「恐らく一両日中にはとのことです。そのうちの一人を連絡員として、他のメンバーをまるごと引き連れてくると言っていました」
現在、アルノードたちはガードナーで待機をしている状態である。
少し前に呼んだらしい仲間との合流を待って、侯爵のいるグラウツェンベルクへとやって来る手はずになっている。
ちなみにサクラは、本人たっての希望でアルノードたちと行動を共にしている。
――そう、喜ぶべきことにトイトブルク大森林の魔物の侵攻を防いでいたアルノード率いる大隊の面々も、続々と到着予定なのだという。
つまり上手くいけば、防衛を完璧に成功させていたアルノードの率いる大隊がまるごと使えるようになる可能性もあるということだ。
もしそれが可能ならば、既に魔物に落とされている東部辺境領の奪還も見えてくる。
地方分派に押され気味な現状、王党派が持ち直すのに『領土の回復』はこれ以上ない宣伝文句になる。
そのためになら、どれだけ金や人員を割いてもおつりが来る。
手間と時間は惜しむべきではないだろう。
「だがその対価が、リンブル東部における活動許可と資金援助とは……控えめすぎではないか?」
できることなら侯爵はアルノードたちに東部奪還の手伝いをしてもらいたかった。
魔物の襲撃で荒廃してしまった領地を取り戻すだけの余力が、今の王党派にはない。
現状維持するのが精一杯な現状で、元『七師』の戦力は可能な限り有効活用したいところだった。
そのためどうにかして彼らを東部へ行かせようと思っていたのだが、その必要はなかった。
アルノードがオウカを救った対価に求めたことは三つである。
「一つ目と二つ目は問題ないだろう」
まず自分たちのパーティー『辺境サンゴ』を金級に引き上げること。
そして同時に冒険者クランを設立し、大隊の面々をこちらで活動させたいということ。
これは諸手を挙げて歓迎すべきことで、むしろこちら側からお願いしたいほどだった。
二つ目は、立ち上げる冒険者クランへの保護。
聞けばアルノードが率いている大隊は、デザントの王国民ではなく、それより一等低い扱いを受けている属州民の集まりなのだという。
そのせいで彼女たちが一方的に損を被らないよう、侯爵家から一筆が欲しいらしい。
これもまったく問題はなかった。
そもそもリンブルには、デザントのような臣民階級制度がない。
貴族と平民、自由民、奴隷という四つの区分があるだけであり、クランメンバーはみな自由民扱いとなり、差別される理由はない。
それに侯爵にアルノードたちのことを粗略に使い捨てる気は毛頭ない。
「だが三つ目は対応が難しい。オウカ、お前ならどうする?」
そして最後は、東部における自由な活動許可。
これは少しばかり問題がある。
東部の魔物に侵略され、失陥した地域がどうなっているか、侯爵家はほとんど把握できていない。
凶悪な魔物が棲み着いているかもしれないし、魔物同士で争っていて、下手に手を出してやぶ蛇になる可能性だってある。
そのような状況でアルノード率いるクランが自由に動き回れば、まだ無事である中部~西部、あるいは他領へと魔物が流れかねない。
もしそうなれば責任問題がどうこうというレベルではなくなり、派閥云々の前にアルスノヴァ家が取り潰しになってしまうだろう。
「アルノード殿が勝手に動くのが問題になるのなら、監視役をつければいいのではないですか?」
次期領主としての教育は上手くいっているようだ。
オウカの模範的な解答に、侯爵は小さく頷いた。
「その通り。アルスノヴァ騎士団の人員を派遣し、問題に対応と対策を行いながら進めていけばいい。副次的な産物も生まれるだろうしな」
アルノードたちは、元はデザントでトイトブルクの魔物たちを食い止めてきた、言わば対魔物戦のプロフェッショナルだ。
専門家に素人が口を出すべきではない。
だが貴族には、体面というものが必要だ。
彼らに気持ちよく活動をしてもらいながらこちらの顔を立たせるには、こちらから騎士団員を派遣するのが良策だ。
騎士団のうちのエリートである『聖騎士』ならば、何が政治的な問題・失点になるのかを理解した上でアドバイスができるため、向こうも気兼ねなく動ける。
そして騎士団が上に立っているというポーズを取れば、外からちょっかいを出されることもない。
「副次的……?」
オウカもそこまでは考えついていたようだが、侯爵はより先の視点を持っている。
アルノード率いる大隊のメンバーには女性も多いらしい。
そして『聖騎士』はほとんどが男性だ。
魔物による命の危険が常につきまとう極限の状況下では、異性同士が惹かれ合い、愛や恋に発展する可能性がグッと上がる。
彼らのうちの数人でもカップルになってくれれば、そのメンバーは間違いなくリンブルに根を下ろしてくれるだろう。
それよりも、アルノード本人と誰かがくっついてくれれば……。
「……」
「お、お父様?」
とそこまで想像したところで、侯爵は気付いてしまった。
アルノードとくっつけるのならば、最適なのはサクラかオウカだろう。
『七師』として他国の貴族だったアルノードを亡命貴族として扱えば、侯爵の娘を娶らせることはなんらおかしなことではない。
むしろくっつけてしまえば、今後侯爵領は先進的な魔法技術とアルノードたちの戦力で潤ってくれるのは間違いない。
けれど侯爵は――かなりの親馬鹿だった。
小さな頃の「わたし、おとうさんとけっこんする!」という言葉を今でも信じているほどの。
本当ならサクラにもオウカにも、結婚などしてほしくない。
色々なことを考えすぎた結果、侯爵の頭はパンクした。
「ぐ、グググッ――ダメだ、娘はやらんぞ!」
「お、お父様っ!?」
突然の異変に慌てるオウカだが、侯爵はただ親馬鹿があふれ出ただけである。
結果として話がまとまることはなく、この日は解散ということになった。
果たしてアルノードが来る前に、侯爵は答えを出すことができるのだろうか。
その答えは、神のみぞ知るところである。
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