救うこと、報われること
「風よ」
リュゼは静かにそう紡いで方向転換をさせる。目指すのはコクマである。ケテルにリュゼだけで入ったのでは、どうなることかわかったものではない。何しろ、気絶した勇者を連れているのだから。
情けない気持ちになった。世の中、自分一人ではどうしようもないことはごまんとある。ただ、自分を救ってくれたリヴァルの力になりたくて、リヴァルと共に行動しよう、とこれまで一緒に歩んできた。しかし、自分に一体何ができるのだろう。
リュゼはリヴァルに黙ってこっそりついてきた。森に行くのはわかっていた。リヴァルはいつも気絶だけさせられて帰ってくる。相手がものすごい技量を持っているのはリュゼもわかった。森での戦いで、リヴァルが負った傷はリュゼの知る限りない。傷一つ負わせずに気絶だけさせる。そんな冗談みたいなことをできる人物。リヴァルが「あいつに勝たないと前に進めない」というような人物。その人物に興味があった。
魔力感知の関係から、リュゼが人をつけることは不可能に近かった。リュゼはそれくらいの魔力を持っている。だが、リヴァルはダートの使い手で、魔力をほとんど持たず、当然魔力感知もできない。魔法で物音さえ立てなければ、尾行するのは簡単だった。
結論から言うと、圧倒的な実力差だった。リュゼは目で追うことすらできなかった。あまりにも一瞬の出来事で、何が起こったのか一瞬わからなかったくらいだ。確かなのは、リヴァルが倒れていたこと。
リヴァルは強い。セカイを救う勇者の名に相応しくあろうと研鑽を積んでいる。何より炎のダートは詠唱がないため、発動タイミングが読めず、リュゼでも対応するのがやっとだ。
それを一瞬で氷漬けにするダート。ダートとはいえ、恐ろしかった。手も足も出なかったではないか。リュゼが介入する隙すらなかった。
しかも、彼はダートの使い手であるにも拘らず、リュゼの存在を感知していた。警戒されていたし、場所もほぼ特定されていた。
ダートの使い手なのに魔力感知ができる? 反則的すぎやしないだろうか。
リヴァルが、勝たないと前に進めないというのがわかった気がした。あまりにも強い。それに……リヴァルは実力が出しきれていなかった。
リヴァルは感情的な方ではあるが、頭が悪いわけではない。炎のダートの扱いも手慣れたもので、一度に多方向から炎の竜を放つこともできる。その炎の力は無尽蔵と思えるほど、連続攻撃能力を持っており、そんじょそこらの魔物は一瞬で塵となる。
それが、あの森の守護者との戦いでは巨大な炎の竜一体のみだった。凍らされたとき、他の箇所から炎の竜を出現させて応戦することもできたはずだ。いつものリヴァルなら。
「心の、枷……」
おそらく、あの剣士に対する強すぎる感情がリヴァルを弱くしている。執着や執念。それが枷になっている。冷静さを欠かせ、いつもの力が発揮できない。それは精神的欠陥と言わざるを得なかった。
それをどうにかするには執着や執念を昇華させないといけないだろう。そのためには彼の人物と向き合うしかない。けれど、向き合えていないから勝てない。
この欠陥をどうにかしない限り、きっとどこかで躓く。あの剣士は魔王四天王ではないのだ。魔王四天王にはリュゼに魔法を教えたサージュやリヴァルに剣を教えたシュバリエがいる。この壁を越えなければ、リヴァルは簡単に負けてしまうだろう。
セカイのために、敗北は許されないのだ。
風がそよぐとリヴァルの瞼がふるりと震えた。ゆらりと現れたのは熱の消えた赤茶色の目。
「リヴァル」
「……リュゼ」
リヴァルは静かに下ろしてくれ、と告げた。リュゼは風よ、と紡いで、地面に降り立った。
「ついてきたのか」
「……ごめんなさい」
「いいよ。……何か言いたいなら言えばいい」
リヴァルがリュゼを叱ることはなかった。おそらく戦いに介入されたわけてはないから、逆鱗には触れなかったのだろう。
リヴァルはできるなら、自分とリアンのことに仲間たちには干渉してほしくなかった。気づいていたのだ。この戦いは結局、リヴァルの独り善がりに過ぎない、と。
森に危害を加えなければ、リアンはリヴァルを攻撃してこない。実際、今回リヴァルについてきただけのリュゼには何もしなかったようだ。
リアンを敵だと思っているのはリヴァルだけで、リアンは本来なら、リヴァルと対立する必要も、対立する気すらないのだ。
リュゼも今回のことでわかっただろう。リュゼは魔王四天王の魔法理論についていけるレベルの頭脳の持ち主だ。リヴァルでも理解しているようなことを理解できないわけがない。
それに、先日はもうやめて、と止めてきた。それがあったからこそ、今回ついてきたのだろう。この戦いの無意味さを知るために。
リヴァルは叱られたってよかった。それでもやめるつもりはないから。それで彼女が自分から離れていってしまうのなら、それは悲しいけれど、概ね自分が悪いことは理解しているから。見放されても、仕方ないのだ。
「リヴァル、勝って」
予想とは真逆の言葉が返ってきて、リヴァルは目を見開く。こちらに注がれる緑の眼差しは凪いだ湖面のように静かだった。
「いつか、彼に勝って。胸を張って、あなたが勇者を名乗れるように」
それがリュゼの出した結論だった。
リヴァルが越えなければいけない壁だとリュゼは森の守護者の少年を認識したのだ。正しいとか正しくないとか、無意味とか無関係とか、そういうことは正直、どうでもいいのだ。
まだリヴァルはセカイを救ってはいない。それでも勇者でいなければならないし、勇者としてセカイを救わなければならない。だが既に、リュゼにとって、リヴァルは勇者なのだ。自分を救ってくれた、セカイにたった一人の勇者。
誰が取って替わろうとしたって、リュゼの中でその事実だけは揺らがない。だから、リヴァルには胸を張ってほしかった。そのために彼に勝つことが必要不可欠だとリュゼは判断した。
リヴァルの精神は未熟で、きっとリュゼもそうなのだろう。あの少年と敵対することはセカイにとっては無意味でしかない。おそらく、魔王軍にだって関係のないことだ。だから、セカイを救うために必要のない行程とすら言える。
リヴァルをダートとして遣わした神は怒るだろうか。セカイを救えとだけ言うのだろうか。
リュゼはセカイが救われたとして、リヴァルが報われなければ、魔王を倒しても意味がないと思う。リヴァルが意味を感じるのなら、あの少年と戦って、勝ってほしい。それでようやく胸を張れるというのなら。
「リュゼ」
リヴァルはそっとリュゼの手を取った。
「ありがとう」
リヴァルはごめんというよりか、感謝の方が大きかった。
自分の身勝手に付き合わせるのは確かに申し訳ないが、それを理解してくれて、リヴァルの気持ちを尊重してくれたのだから、感謝するしかない。
「絶対に勝つよ」
それから、セカイを救う。
戦う意味をもらった。リュゼは本当の意味でリヴァルの仲間だ。
「ありがとう」
噛みしめるように、リヴァルはもう一度言った。