嵐の中にも消えぬ思い
「リヴァル、もうやめて」
リヴァルが目を覚ましたとき、リヴァルにそう言い放ったのは、紆余曲折あり、リヴァルの仲間となった魔法使いの少女、リュゼであった。
他にもリヴァルには仲間がいるが、リュゼとは一番長い付き合いである。リュゼにはリアンのことも話していて、時折一人で森に行くことも黙認してもらっていた。リュゼはそのことについて何も言わなかったが、毎回昏倒させられて帰ってくるリヴァルを心配していた。
森にいる敵が強いのなら、みんなで行こう、と他の仲間に諭されたことがあったが、リヴァルは断固として拒否している。リアンには一人で立ち向かわなければならない。
もし、リヴァルの仲間が共に行ったとして、ダートを扱うリアンを見てどうするというのか。仲間の一人は水魔法の使い手だ。相性が悪すぎる。もう一人は弓矢を使うが、リアンなら簡単にあしらってしまうだろう。
リュゼの得意魔法は風魔法だ。魔法使いとしてもかなりの熟練度を誇る。それもそうだ。リュゼの魔法の師は魔王四天王の一人、サージュ・ド・ヴァンなのだから。
学んだ期間は短かったが、リュゼの潜在能力故に、リュゼが魔法を扱うことに慣れるのには苦労しなかった。ただ、リヴァルと同じく、魔王四天王に育てられ、裏切られたのが彼女だ。……無意識に、境遇が似ていると思って、リヴァルはリュゼにだけリアンのことを明かしたのかもしれない。
「やめない」
「勝てないじゃない」
「勝つんだ、いつか、あいつに」
「同じことを繰り返すだけよ」
「あいつにさえ勝てれば! 俺は、魔王四天王に勝てる! 魔物たちを殲滅して、魔王軍を降して、魔王四天王を倒して、魔王まで、手が届くんだ……!」
リヴァルの言うそれは、理想でしかない。リヴァルの中でリアンはそれくらい大きな障害であり、到底届かないような強さを持っている存在なのだ。妬ましく思い、憧れる。だから、越えようとする。
リアンに勝てば、魔王四天王の一人である剣の師、フラムにも牙を立てられる。リヴァルはそう信じている。そうでなければ、あの日、リアンがいなくなったタイミングで挙兵なんてしなかったはずだ。リアンを強いと思っているから、いないタイミングを狙ったのだ。
それなら、リヴァルの実力がリアンに届けば、魔王四天王だって恐れを成すにちがいない。だから、リアンの強さに追いつかなくてはいけない。やがて追い越さなくてはいけない。
リヴァルはそう考えていた。
リュゼは口をつぐむ。リュゼはリヴァルが見ていないものを見てしまった。
昏倒させられたリヴァルが少年に背負われて都市の片隅に置いて行かれる。少年は去ろうとするが、その足を止めたのは一つの石礫だった。
こつん。石が少年に投げられる。
「裏切り者!」
「ダートの使い手に選ばれておきながら、セカイを救うために魔王に立ち向かわないなんて」
「勇者さまをいたぶって楽しいか!」
「なんで生きているんだ!」
「お前なんか生まれて来なければよかったのに!」
「死ね! 死んでしまえ!」
罵詈雑言が投げられる。
それを初めて見たとき、リュゼは記憶がフラッシュバックして、上手く息ができなくなった。同じことをされたことがあるのだ。
リュゼの生まれたケテルは生命の神の神殿がある。それほどに生命のへの信仰が深く、生命の神から与えられた命や恵みを大切にしていた。
ただ、生命の神は魔力に適合する人間を作ることができず、対して闇の女神はそれができるということで、魔力を多く持って生まれた人間は差別された。
更にはかつてケテルの地で女の魔法使いが魔力と魔法を暴走させて、都市を壊滅寸前にまで追いやったことがあるという。ダートも遣わされなかったため、ケテルの人間たちの手で止めるより他なかった。以来、魔力が強い中でも特に女は魔女と呼ばれ、蔑まれるようになった。
実際は生命の神も闇の女神のやり方から着想を得て、魔力を持つ人間を生み出すことはできるようになっている。稀に魔物や魔族に匹敵する魔力量を保有する人間を生み出すこともできるようになった。闇の女神ほどの精度ではなく、毎回成功するわけでもないため、ケテルのかつての事件のように暴走してしまうこともある。それがたまたま今回は成功し、リュゼとなっただけだ。
古い教えを狂信的に信じているせいで、リュゼは本当は闇の女神に生み出されたのかもしれないとか、生命の神と闇の女神の混ざり物だとか、あることないことを言われ、石を投げられ、生きてきた。
「異端め!」
「魔女め!」
「忌々しい!」
「不気味な目で見るな!」
「不満なら人の子であると証明するため人間に尽くせ!」
石を投げられ、血を流し、治癒すら施されないまま、人間のために魔法を使う奴隷のように扱われてきた日々は今でも鮮明に思い出せる。リュゼにとって、苦くて痛くてつらい過去だ。
そんな中から救い出してくれたのがリヴァルである。セカイを救う勇者の仲間として同行すれば、充分人間のためになるだろう、と。
ケテルが生命の神を狂信するが故に、ダートの存在を崇めていたのが幸いだった。リヴァルが詠唱もなく炎を出して見せれば、人々はリヴァルに跪き、仰せのままに、とリュゼの同行を許した。
リュゼはそうして救われたが、あの少年、リアンはきっとずっと救われないままだ。それでも投げられる石を避けるでもなく、罵倒に耳を塞ぐこともしないリアンをリュゼは恐ろしく思った。
つらいだろうに。苦しいだろうに。痛いだろうに。彼は逃げない。全てを事実として受け止めているのだ。
「彼に勝って、どうするの?」
「リュゼ?」
「彼に勝って、魔王を倒して、その先は? 彼を殺して、何になるの? いいじゃない、倒さなくったって。彼は私たちが魔王を倒そうとするのを阻止しているわけじゃないでしょう? ただ森を守っているだけなのでしょう? 戦う理由がどこにあるの? 彼を倒さなくったって強くなれるじゃない」
「駄目だ」
リヴァルも考えたことがないわけではなかった。自分がリアンに立ち向かうことと、セカイを救うことに関係はあるのか。強くなるためだと、魔王四天王を越えるためだと、思っている。けれど、リュゼの言う通り、リアンに立ち向かう以外にも強くなる方法はある。いくらだって。
それを理解しても尚、リヴァルはリアンに立ち向かうことをやめなかった。やめられなかった。
リアンのことなんて、大嫌いだ。無表情で、感情が読めなくて、剣技の才があり、ダートを使いこなせて、自分より強くて、力があるのに何も殺さず、守ろうとする。一度そうと決めたら譲らなくて、頑固で、何もかもを見通して、手に入れているように見えるのに、大人びて見えるのに、故郷を懐かしんだり、故郷に帰りたがったりして、口数が多いわけでもないのに、周りから好かれて、それに傲ることなく真摯に人と接して、セカイへの裏切りと知って尚、魔物の味方をするリアンなんて、大嫌いだ。ずっとずっと、嫌いだった。セカイでリアンをこんなに嫌いなのは、きっとリヴァルだけだ。
けれど、嫌いだから倒すわけではない。鼻っ柱を折ってやりたい気持ちが全くないと言えば嘘になるが、本当のところはそうじゃない。
上手く言葉で表せないけれど、リヴァルは確信していた。
「あいつを倒さないと、あいつに勝てないと、俺は前に進めない」
だから立ち向かうのだ、とリヴァルは絞り出した。
リュゼはその感情の名前を知っていた。おそらく、リュゼは師であったサージュに自ら手を下さないと気が済まない。それと同じだ。裏切られたから憎いとか、それだけではない。越えなければ、心を折られてしまうことがわかる。
人はそれを「劣等感」と呼ぶのだ。