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切なる

 炎の竜が雲を切り裂くのを見て、リヴァルは剣を二つ、抜き放った。

 今日は雨が降るのだとわかった。雨の周期というのは不定期ではあるが、田畑がある程度乾いてくると、ほどよく雨が降ってくれる。それに水属性を扱う魔法使いはなんとなく周囲の水の気配が薄まってくると、そろそろ雨が降るかもしれないとわかるらしい。リヴァルの仲間の一人は水属性の魔法使いである。そろそろ一雨来そうだね、と話したのは昨夜のことであった。

 雨の降る日は森には行かないことにしている。何故ならリアンが圧倒的に有利な状況だからだ。リヴァルがどんなに強い炎のダートを繰り出しても、雨の力で消されてしまう。更にリアンは冷気のダートを使い、氷を生み出し放題だ。とてもリヴァルに勝ち目はない。

 ならば何故、今日は来たのか。理由は単純だった。リアンと戦いたかったから。それと、試してみたいことがあったのだ。

 炎のダートで雨を防げば、リアンにばかり有利な状況にはならないであろう、と。それに、失敗してリアンが優位の状態で戦闘が始まったとしても、リヴァルは戦うつもりだった。

 敵は自分が有利か不利かなんて考えていない。当然、相手に有利か不利かも考えていない。状況なんて、選んでいられないのだ。

 リアンの有利な状況下で、リアンに勝てたなら、それは完全勝利である。

 リアンに勝って、魔王四天王を倒して、魔王を倒して、セカイを救う。それがリヴァルのやり方で、使命だった。

 セフィロート中に広がろうとしていた雲を炎の竜が食い破る。破った隙間から、日の光が射し込んだ。ただ、それは須臾の出来事で、また雲は集い始める。

 どういう仕組みかはわからないが、「雨の日」というのは覆しようがないらしい。それならそれだ。リヴァルは感情を宿さない目で、木を切り倒した。木の民がか細い断末魔を上げ、塵となって消えていく。

 森を壊すことにリヴァルは躊躇などなかった。リヴァルは無知なのである。何故森に守護者がいるのかを知らない。不可侵条約があるのかを知らない。魔王軍が森越えを躊躇う理由を知らない。

 だから無慈悲に抵抗もして来ない魔物を狩った。魔物であれば、リヴァルにとっては等しく敵なのである。敵は、倒さなければ。魔物も魔族も、全部、殺さなければ。それらに与するリアンも──

 だいぶ森が拓けてきたときだった。

 どん、とリヴァルの腹部を何かが強打し、吹き飛ばした。地面に叩きつけられるリヴァルを逃がさないとばかりにリヴァルの服を投げられたナイフが縫いつける。抜けようとして身をよじると、だん、と頬すれすれでナイフが飛んできた。思わずリヴァルは動きを止める。

 氷の刃ではなくナイフ。あいつはこんなものを隠し持っていたのか、とぞっとした。同時に気づく。リアンの武器はいつも氷で刃をつける太刀の柄のみ。手加減をされていたのだ。

 そんな刹那の思考の合間に少年が降ってくる。リヴァルめがけて、氷のナイフを振りかざしながら。氷のナイフが刺したのは、首の頸動脈すれすれのところ。

 明らかにいつものリアンと様子が違う。そう思って見上げれば、ばちりとリアンと目が合った。瞬間全身を駆け巡る恐怖。湖のように穏やかに凪いでいるはずの目は一切の光を宿さない。開き気味の瞳孔が底知れぬ闇を宿しているようで、ぞくりと背筋に悪寒が走る。

 ただ表情から感情は読み取れない。がらんどうのようでいて、明確な殺意だけがリヴァルの呼吸すら許さないように漂っている。

 これは本当に、リアンなのだろうか。そう思うほどに、このリアンは尋常じゃない空気を醸し出していた。

「…………えは……」

 地を這うような低くかすれた声がリアンから出たものだと、リヴァルは最初、わからなかった。ただ、気づいたときには襟首を掴み鼻と鼻がつくほどに顔を寄せられていた。

 見たこともないリアンの憎悪の表情は、リアンではなく誰か別の人物なのではないかと思えるほどで、呆気にとられたまま、その言葉を聞いた。

「お前は許されざることをした」

 憤怒のあまりに震える声。リヴァルの知っているリアンからはとても想像できなかった。リヴァルの知るリアンは、そもそも怒ったりしない。誰かを嫌うことも、憎むこともない。自分の弱さを責め続けて、自分ばかりが傷つくような道を少しだけ悲しげな顔で歩いていくような少年だった。

 だがどうだろう。今のリアンがリヴァルに向けているのは、殺意、憎悪、憤怒。どれもリヴァルの知るリアンとはとても結びつかないものだった。

 リアンは変わってしまったんだ。リヴァルはそういう結論に達した。セカイを救うという同じ目的のために剣を振るっていた友達はここにはもういない。きっと、このセカイから消えてしまった。それでもいつも悲しそうな顔をするから、いつも、いつか戻れるんじゃないか、なんて思っていた。

 甘い夢は心地よかった。

「お前は許されないことをした。雨を止めるために雲を切り裂いただろう? 雨とは生命の神から人々にもたらされる命の恵み。それを拒むなどセカイの勇者が聞いて呆れる。お前は──貴様は、生命の神から与えられておきながら、生命の神のものを奪うのか?」

 何を言われているのか、リヴァルには理解できなかった。リアンのものとは思えない口調。怒りに我を忘れているのだろうか。

 しかし、その口調は徐々にリヴァルの知るものに戻っていく。

「雨を降らせているのは誰だと思っている? 雨が降らなければ人々が渇きで死ぬのを知らないのか? まあ、君の大嫌いなこの森の木々も水がなければ生きていけないが。それは人間も同じなんだよ。セフィロートの雨のために魔法を使っているのはお前が魔物だと憎む木の民の一人。樹木神アルブルの化身の女の子。その子が命の光を空に放って雲を作るんだ。君がさっき切り裂いた雲はあの子が空に放った命たちなんだよ」

「は……?」

「君のせいで、生命の神の系譜の女の子が命を落としかけたって言ってる」

 リアンの口調は元に戻ってきたものの、声は冷たいままだ。瞳には悲しみが宿り、リアンの色を戻しつつある。

「君は雲を切り裂いただけのつもりかもしれない。でもそれで切り裂かれたのは雲だけじゃないんだよ。君はそうやって、いつもいつも罪のない命を切り裂いていく。僕の友達まで傷つける」

「お前が友達と呼ぶやつなんか、消えればいい。どうせ忌まわしい魔物だろう」

 やっとリヴァルが言い返したそれを受け、リアンは軽く目を見開いた。そこには絶望や失望や悲嘆の色が閃いては消えていった。

 やがて、全てを諦めたような目で、リアンは笑う。

「じゃあ、君が消えてよ、リヴァル」

「え」

 その言葉を咀嚼する間もなく、がっと脳を衝撃が揺さぶる。リアンがリヴァルの顔を殴ったのだ。殴られた物理的な衝撃より、精神的な衝撃の方が遥かに大きかった。

 リヴァルに馬乗りの状態で、一方的にリヴァルを殴り続けるリアン。がっ、ごっ、と鈍い音を立てて、リヴァルに口を挟む暇を与えずに殴りつけていく。リヴァルは思考する暇を与えられず、されるがままになり、やがて考えることをやめてしまった。リアンには反撃する隙もないのだ。

 実力差だけを痛感する。殴られた痛みなんてどうでもいいほどに。

 そんなリヴァルが、はらはらと降り始めた雨に紛れた液体に気づくことはなかった。リアンが変わってなんていないことに、気づく由はなかった。

 リヴァルだって、死んでほしくない友達なのに。そう言えればいいのに、リアンは喉につっかえて、口にすることができない。代わりのように、目から何かがあふれ続ける。

 どうすればいいんだろう。どうすればよかったんだろう。何を間違えたんだろう。どこからが間違いだったんだろう。自分は今、何をしているのだろう。どうして手の痛みは感じないのに、胸はずっと痛いのだろう。

「ねえ、リヴァル」

 殴りながら、リアンは懇願する。

「もう誰も、傷つけないで」

 雨音がかすれた声を簡単に浚う中で、リアンは言った。

「僕はいくら傷つけてもいいから、どうか、他の誰も」

 とうに気を失っているリヴァルにそれが届くはずもなく、リアンの言葉は虚しく雨の中に消えるだけだった。


 誰も報われない戦いは続いていく。

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