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君の背中にはレッテルがある  作者: 川住河住
第一章【ズレ】
9/32

9話 偽装

「津川先輩。偽装結婚しましょう!」

 気づけば言葉を発していた。

 これはプロポーズではない。

 ただの提案だ。だが、それを聞いた彼女は唖然としている。

「おい。今なんて言った?」

 代わりに幽霊が尋ねてきた。だが、やはり声だけで姿は見えない。

「偽装結婚です。例えば、男を愛するゲイの男や社会的地位や世間体を気にする男を見つけて、とりあえず結婚します。これで先輩は戸籍上、法律上、形式上、その男性と夫婦になります」

 先輩からも幽霊からも何の反応もないが、構わずしゃべり続ける。

「しかしこれは、お互いの利益のための結婚です。ゲイの男性にとっては性志向を隠すため。世間体を気にする男性にとっては既婚者という社会的地位を得るため。そして先輩にとっては、ご家族を安心させるためです。これなら異性を愛することができなくても問題ありませんよ。たとえ夫婦になっても家庭の外でお互い別のパートナーを見つけてもいいですし、共に生活せずに別居したっていいですからね。こんな結婚生活はいかがですか?」

「熱弁してもらったのはいいが、これってただの屁理屈じゃないか? これで本当に幸せか?」

 黙っていろ元凶幽霊。屁理屈上等。先輩を助けるのが後輩の役目だ。 

 津川先輩の腕が僕の手から離れ、こちらに背を向ける。背中のレッテルの文字は、微かに小さくなっていた。僕の穴だらけの説得が功を奏したとは思えないが、少し安心する。

「ねぇ、真実ちゃんは、怒っていないの?」

「怒る? あ、そういえば異性愛者のことは、ノーマルじゃなくてストレートって言うんです。どうして異性愛者が正常という基準で考えるんですか。間違えて覚えたらダメですよ」

「本当は、もう気づいているんでしょ。私は、真実ちゃんを利用して、男に慣れようと……」

 背中のレッテルの文字が太く大きくなった。やはり本人の意識によって変わるのか。

「利用すればいいんじゃないですか? 都合の良い時に使ってやってください」

 それを聞いた先輩が拍子抜けしたような声を出す。

「男に慣れるためでも、重い物を持たせるためでも、何でもいいですよ。先輩の命令は絶対、と命令すれば何でも言うことを聞きますよ。僕はあなたの後輩ですから」

 僕は笑顔を作ってそう言った。だが彼女からの返事はない。

「津川先輩は、優しすぎます。他人のことを思いやることは良いです。でも、自分の気持ちに嘘をつかないでください。先輩自身が言っていたことですよ。自分の気持ちに嘘はつけないと。お友達にはお守りなんていらないと突き返していいですし、高校生の娘に結婚しろなんて迷惑とご両親に言えばいいです。それから無理に男を好きになる必要もないです。もし良ければ僕が女の子を紹介しますよ。だから先輩。自分が正常か異常かどうかなんて気にせず、自分の思うままに生きてください。これは、後輩からのわがままなお願いです」

 津川先輩のレッテルの文字は、ようやく元の大きさと太さに戻った。

「あは。あはは。やっぱり真実ちゃんはおもしろい! さすが私の後輩! 私の妹!」

 津川先輩がこちらに向き直ると、いつもの明るい表情に戻っていた。

「でも真実ちゃん。一つだけ間違っていることがあるよ。ゲイの人とレズビアンの人が性志向を隠すため、カモフラージュのために結婚するのは、友情結婚と言うんだよ?」

「え、そうなんですか?」

「そうだよ。偽装結婚なんて言ったら犯罪みたいじゃない」

 言われてみれば確かにそうだ。今度、図書室で詳しく調べてみよう。

「ところで真実ちゃんは、結婚したいと思ったことはある?」

 津川先輩からの唐突な質問に驚きを隠せなかった。だが彼女の真剣な表情を見たら、適当な返事はできそうにない。

「思ったことはありません。でも、いずれ結婚しなければいけません」

 それが家庭の事情。一族の掟だから。そこに僕の意志は含まれていない。

「そっか……。真実ちゃんの家は、そうだよね。うーん、三十……二十九、いや二十八かなぁ」

 先輩は、ぶつぶつと数字をつぶやき始めた。それからしばらく黙って考えた後に言う。

「真実ちゃん。大事な話をします。しっかり聞いてください」

「はい。何でしょう」

 津川先輩は、ズレかけていた眼鏡を直してからこう言った。

「私が二十八歳になった時に特定のパートナーがいなくて、真実ちゃんにも恋人がいなければ――私と偽装結婚してください」

 あまりに突拍子もないことを言い出すので言葉を失う。

 何も言えずにいる僕を置いて、なおも先輩は言葉を紡ぐ。

「真実ちゃんは言ったよね。自分を利用して良いって」

 確かに言った。けれど、そういう意味で言ったわけではない。

「それからこうも言ったよね。先輩の命令は絶対だと言えば良いって」 

 先輩を元気づけるために伝えた言葉が、自分の首を絞めることになるとは思いもしなかった。

 ようやく気持ちが落ちついた僕は、その提案の返事をしようと口を開く。

「津川先輩……」

「待って。すごく自分勝手なお願いだと分かっているけれど、今は返事を聞きたくない」

「……」

「私と真実ちゃんでは住む世界が違うかもしれないけれど、未来のことは誰にも分からない。だから、十年後に答えを聞かせて。ね?」

 津川先輩は微笑する。やはり彼女には、笑顔が似合う。

「はい。承知しました。では、十年後に答え合わせをしましょう」

 僕はお願いの答えを胸にしまい、別のお願いの答えを告げる。

「それはそれとして津川先輩。後輩としての役目を果たしても良いですか?」

「後輩としての役目?」

 先輩は、きょとんとした顔でこちらを見ている。

「はい。エスコートを頼まれている件です」

 僕は、気障ったらしく手を差し出した。

 彼女は、その手を優しく握り返してくれた。その顔には、いつもの優しげな笑顔があった。

 たとえ僕が笑えなくても、この人にはいつも笑っていてほしい。

 僕は本心からそう思った。


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