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君の背中にはレッテルがある  作者: 川住河住
第一章【ズレ】
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5話 落とし物

 地下書庫に足を踏み入れると、まるで外にいるかのような寒さだった。

 春になったとはいえ、朝はまだ肌寒さを感じる。ひと月前まで防寒着を手放せなかったのだから当然か。

「なあ」

 幽霊は僕の周りをうろちょろしている。

「おいおい無視しないでくれよ。幽霊は、何も反応されないのが身に堪えるんだ」

 お前は肉体が消滅しているだろう、と言いそうになったが、慌てて口を固く閉じた。

「さっきのことは謝るよ。俺だけ美人先生の裸を見てしまって悪かった」

 そういうことじゃねぇよ。それに雪森先生の裸ならすでに……まずいまずい。

「よし分かった。俺も本の片づけを手伝うからそれでチャラにしてくれ」

 無理だろ。いや、できなくはないのか。

 誰も手を触れていないのに物が移動したり物が飛んだりすることをポルターガイスト現象というらしい。まさかそれができるのか。

 幽霊は本に右手を置くと、何やら呪文を唱え始める。

「ふんぬおぉぉ! うおぉぉ! 俺の右手よ! 今こそ真の力を発揮する時だぁ!」

 幽霊の必死の形相に思わず笑ってしまった。だが、本は少しも動く気配がなかった。

「あはは! おま、お前、その顔、ひっどい! あはは! あはっ!」

「ちっ。ポルターガイストポイント、PPが足りなかったか」

 何だその業界用語。初めて聞いたぞ。もし事実だとしたらどうすればPPが貯まるんだ。

 無視することを諦めた僕は、幽霊からの質問を受け付けることにした。

「さっきの美人先生、何の担当なんだ。保健体育の保健か?」

「雪森良枝先生ね。学校の図書室の管理をする司書教諭だよ。図書委員会の顧問もしている」

「メガネちゃんのことは、何か知らないのか」

 僕は首を横に振った。津川先輩のことを尋ねたのはかなり前だが、今聞いても同じだろう。

「そう言えば郷土史の研究をしていると言っていたな。何の歴史を研究しているんだ?」

 手が止まった。気づかれないように一息ついてから口を開く。

「秋葉市。季節の秋に葉っぱの葉と書いて秋葉市。この町の歴史だよ」

「あきはし……。秋葉市……。秋葉市ね……。うーん、秋葉市か」

「何か思い出したか?」

「いや、ダメだな。何も思い出せない」

 やはりこいつは、この町の人間ではないのかもしれない。

「そうか。まあ、ゆっくり思い出せばいい。ん?」

 本棚と本棚の間に何か挟まっている。細い隙間に入っているので人差し指を入れてどうにか取り出す。表紙にモミジが描かれた朱色の手帳。裏返すと、学年、クラス、出席番号が記されている。最近は面倒だからと写真を貼っていない生徒も多いが、この手帳には持ち主の顔写真もしっかりと貼られていた。

「なんだそれ。生徒手帳か」

 幽霊が僕の手元をまじまじと見つめている

「誰のだと思う?」

「こんな薄暗い地下書庫に来るのは、司書や図書委員くらい……。ってまさか」

 察しの良い幽霊で助かる。

 生徒手帳に貼られた写真を見せる。そこには、真面目な顔で写る津川先輩の姿が。

「おいおい。勝手に中を見る気か?」 

 先ほどまで欲望にまみれた言動と行動しかしていない奴の台詞とは思えなかった。こいつにも道徳的な言葉を発する時があるのかと心底驚いた。

「先輩のレッテルや黒い影の手がかりになるかもしれないんだ。少し見るだけだよ」

 秋功学園の校則により、学生手帳は常に携帯が義務付けられている。校門の服装チェックでは校章バッジだけで済むが、学生手帳の所持確認も抜き打ちで行われる。きっと先輩は、どこかでなくしたと思って困っているだろう。後でちゃんと返そう。

 何が出るかな、何が出るかな、とつぶやきながら手帳をパラパラとめくる。だが、中には校則がびっしりと書かれているだけ。メモ帳の欄には、なんの書き込みも見られない。

 ダメか、と思いつつ学生手帳のカバー裏に指を入れてみた。

「ん?」

「どうした。コンドームでも入っていたか?」

 肉体がないくせに、どうして下半身に直結するような考えしか出てこないんだ、こいつは。

 学生手帳の裏に入っていた何かを傷つけないように取り出す。それは、写真だった。

「誰だそのカッコいいの。メガネちゃんの彼氏か?」

「知らないのか、それとも記憶をなくしているのか。有名なアイドルだよ」

 今でもその男性アイドルは、テレビ番組や映画に出演している。確かデビューはアイドルだったけれど、今では俳優としての活動が多いと思う。写真に写っている男性を見ると、今よりも少しだけ若そうだ。おそらく二年か三年ほど前に撮られた写真だろう。

 僕は、写真を学生手帳のカバー裏に入れ直した。

「好きなアイドルの写真を入れるのは、まあ珍しいことでもないか」

「ああ。少なくともズレていないと思う」

 おそらくこれは、雑誌か何かの付録だと思う。それを切り抜いて持ち歩いていても、別におかしくない。好きなアクセサリーを鞄に付けたり持ち歩いたりするのと同じ感覚だろう。

「美人先生を見て思ったが、メガネちゃんのブラがズレてるという意味ではないよな?」

 先輩にとっての【ズレ】とは何だ。



 昼休みに図書室へ行ってみた。津川先輩に会うためではなく、別の三年生に会うためだ。一階の図書カウンターに行くと、ちょうど三年生の当番の人が図書の貸出手続きを行っていた。手続きを終えた生徒が本を持ってカウンターを離れて行く。それを見計らって近づくと、向こうがこちらに気がつく。

「今日の昼は、お前が当番じゃないよな?」

 坊主頭の日焼けした顔の男が聞く。本よりも白球と太陽が似合いそうな見た目だと思った。

「ええ、違います。少し聞きたいことがあって来ました」

「聞きたいことって?」

「津川先輩のことです」

 それを聞いた男の顔が少しにやけた。。

「へぇー。知ってるか? 図書委員の間では、時々お前と津川のことが話題になるんだ」

 どうせあまり良い話題ではないだろう。そう思ってこちらからは詳しく尋ねない。

 しかし相手は、それを許してくれなかった。

「なあ、付き合ってどれくらいだ?」

 にやにやと笑みを浮かべながら聞いてくる。こちらとしては少しもおもしろくないけれど、僕も笑顔を作ってから答える。

「やだなあ。付き合っていませんよ。ただの先輩後輩の関係ですから」

「いやいや、みんな言ってるぞ。お前が委員会に入ってから、津川は変わったって。前よりも明るくなったとか玉の輿を狙っているとか」

 笑えない。面倒だ。ここは無理矢理でもいいから話題を変えておこう。

「ところで、津川先輩が他の人と違っていると思ったことはありませんか?」

「は?」

 彼は、急に問われて困惑している。突拍子もない質問だから無理もないか。しばらく待ってみたものの、難しい顔をしたまま何も言わない。津川先輩にとってのレッテル【ズレ】に関することは、聞くことができそうにないか。

「なあ。お前は、どうして図書委員会に入ったんだ?」

 諦めて帰ろうとした矢先に声をかけられた。

「生徒会に行けばよかったんじゃないのか。お前ならそちらの方が向いているだろう」

 この人は、僕の何を見て向いていると言っているのだろう。

 日焼け顔の男は、ニヤニヤと笑みを浮かべている。

「先輩は、野球部に所属されているんですか?」

「ああ、そうだ。それがどうかしたか?」

「今年は上の大会へ進むことができるといいですね。がんばってください【応援団長】」

 僕は、相手の反応を見ないで足早に図書室を後にした。

「【応援団長】ってどういう意味だ?」

「なんだいたのか」

 幽霊は、一時間目の授業から昼休みに入るまでずっと姿を消していた。それが突然、また背後に現れた。けれどだんだん慣れてきたのか、今ではあまり驚かなくなった。

「皮肉かな」

「皮肉?」

「先輩や自分のことを色々言われてちょっとイラッとして……。でも、悪いことしたなぁ」

「どうして【応援団長】が皮肉になるんだ」

「あの人の背中に貼られているレッテルだよ。多分、ずっと試合に出場するメンバーに選ばれていないんじゃないかな」

 野球部員が大会に出場する際、メンバーに選ばれなかった部員も試合会場に向かう。では、彼らは試合中に何をしているのか。僕は、野球部に所属したことがないから分からない。だが、おそらく試合会場で声を張り上げて応援しているのだろう。そして図書委員の彼は【応援団長】とレッテルが貼られるほど、試合に出場できていないということだ。

「あまり気にするなよ。惚れた女を悪く言われたら誰だって怒るものだ」

「いや、好きでもないし、付き合ってもいないから」

 僕は、津川先輩にとっての後輩であり、妹なのだから――。

 けれど妹か。僕はあまり気にしていないけれど、これは【ズレ】と言えるかもしれない。

「俺の目に狂いがなければメガネちゃんも着やせするタイプだな。間違いないぜ」

 幽霊にその考えを伝えようかと思ったが、やめた。



「ありがとう、真実ちゃん。なくして困っていたの」

「いえいえ。今日は抜き打ちの持ち物検査がなくてよかったですね」

「ねー」

 午後の授業が始まる直前、放課後に図書室へ来てほしいと先輩から連絡があった。生徒手帳を返す良い機会だと思い、すぐに了承の旨を返事した。

 放課後の図書館は、閑散としている。当番の図書委員も暇そうにしている。

「そういえば雪森先生に聞いたけど、今朝、図書室に来たの?」

「はい、来ました」

 雪森先生、なぜそのことを話したのですか……。

 前回、前々回と同じことがあった時、先輩からひどく怒られたことを忘れたのですか。

「うん。電車が遅延しちゃって遅刻ギリギリ。ところで、何もなかった?」

「地下書庫で先輩の生徒手帳を見つけたくらいです」

 先輩は、疑いの目で僕をじっと見つめてくる。彼女の目は、全てお見通しだと、訴えかけてくるように感じられた。もちろんそれは、僕の思い込みでしかないのだけれど。

 観念して本当のことを話そうと思って頭を深々と下げた。

「すみません。先輩の手帳の中に入っていた写真がはみ出ていて、見てしまいました」

「くくく。なかなか嘘をつくのが上手いじゃないか」

 幽霊が余計な茶々を入れてくることも次第に慣れてきた。しかし、年上の男が耳元でささやいていると思うと、やはり気分が良いものではない。

「あはは。気にしないでいいよ。写真のこと、自分でも忘れていたから」

 それを聞いてようやく頭を上げる。先輩はいつもの笑顔に戻っており、目には疑いの念が消えているように思えた。彼女は、自分の生徒手帳から写真を取り出す。

「中学生の頃に女子の間で好きなアイドルとか俳優の写真を持ち歩くのが流行ってね。本当は校則違反なんだけど、友達と見せ合うためにこうして生徒手帳の裏に隠して持ってきていたの」

 もしかしたら、僕の出身中学でもそういったことが行われていたのかな。

「高校に入学してからもなんとなく入れていたの。最近はあまり見ていなかったけど」

「じゃあ、先輩にとって思い出の品なんですね」

「うん。私にとっては、お守りでもあるかな。『おまじない』のかかったお守り」

「『おまじない』……ですか」

 彼女は、懐かしそうにその写真を見ている。けれどその目は、どこか寂しげにも見える。

「ところで真実ちゃん。今週末、時間ある?」


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