31話 レッテル
「よし真実。耳の穴をかっぽじってよーく聞けよ。荒んだお前の心を俺が癒してやるから!」
幽霊が自信満々といった顔を向ける。
どんな説明をするのか、と期待せず耳を傾ける。
「セックスだってたとえ子どもができなくても気持ち良くなる過程は大事だろ!」
うん、もういい。
僕が悪かった。
「むしろ結果が出たら困る奴の方が多いし、過程のためにヤっている奴が大半だろ!」
そうだった。
こいつは、いつだって下半身で物事を考える奴だった。
僕が何度も、やめろ、もう分かったから、と伝えても幽霊はしゃべり続ける。
「一族の評価なんて気にするなよ。メガネちゃんもお前のことを優秀だと言っていたろ。あの子、眼鏡の方が可愛いよな。ふかふかちゃんもお前のことを先輩先輩と慕ってくれているだろ。あの柔らかさは最高だったよな。ぺったんちゃんだってお前に救われて感謝しているよ。あの傷痕を綺麗だと真顔で言えるお前の神経は疑うけどな」
そんなふざけた励まし方があるか!
ほとんどお前の欲望まみれじゃないか!
僕は呆れて何も言えなかった。
けれど、こいつなりの励ましだと思うと無性に笑えてきた。
「俺だって真実のことは評価しているぜ。こんな俺を【先生】と呼んでくれたからな!」
ドキッとした。
あの時、打算で言ったのか、本心から言ったのか、今の僕には判断がつかない。
そんな僕をよそに、黒いスーツ姿の幽霊がくるっと振り返って見せた。
その背中には、レッテルがしっかりと貼られている。
以前よりも文字が太く、大きく、はっきりと書かれている。
つまりそのレッテルを強く意識しているということだ。
「俺には打算だろうと本心だろうと関係ないね。それでも言葉の意味は変わらない!」
どうしてこんなに自信を持って堂々と言えるのだ。この先なんて何もない幽霊のくせに。
おそらくそれはレッテルに秘密が隠されているのだろう。
初めて彼のレッテルを見た時、僕は悪い意味で貼られたレッテルだと思った。
成仏する前に幽霊の話を聞いて尚更そう思った。教師になれずに死んだ講師の無念が、そのままレッテルになったのだと。
しかし今はその考えが間違っていると断言できる。
そもそもレッテルとは、他人からの評価やイメージである。本来それは、他人から貼られるものだ。自分の考えや想いで自分に貼りつけるものではない。だから幽霊のレッテルも他人から貼られた物だろう。
幽霊の亡くなった友人が良い教師であろうとしたように、生前の幽霊もきっと良い教師であろうとしたはずだ。そうでなければ、死んでからも見知らぬ高校の生徒を救おうなんて思う訳がない。
そんな彼だからこそ、きっと生前はたくさんの生徒に慕われていたに違いない。
たとえ教師になれなかった講師だとしても、生徒にとっては彼も等しく【先生】なのだから。
「まったくお前は、死んでも熱血教師なんだな」
とうとう僕は笑いをこらえられなくなった。
「うるせぇ。俺は教師じゃねぇよ。教師になれずに終わった男だ!」
幽霊は背中をこちらに向けたまま自信満々に言った。
「だったら僕のことなんか放っておいてさっさと成仏しなよ。ほら、さっさと逝け」
来世では、女子校の教師になる可能性だってある。
たぶん、きっと、おそらく、あるはず。
「あー、それなんだけどな。俺、本当に死んでいるのかどうか分からないんだよ」
いきなり何を言っているのだ、こいつは。全てを思い出したのではなかったのか。
「いや、友人の葬式から帰ってきたところまでは覚えているんだ。だけど、その後の記憶が思い出せていないんだ。だから、いつ死んだのか、どこで死んだのか、どうやって死んだのか、全く分からないんだ」
自分探しの旅、終わっていないじゃないか。
秋功学園の講師でも、秋葉市の高校講師でもないのなら、どこか違う土地の講師なのだろう。
だったら、僕の背後霊なんて辞めてどこへなりとも行ってくれ。
「そこで俺に良い考えがある。聞いてくれ」
「断る!」
今までこいつの良い考えを聞いて、どれだけ僕が被害を被ったと思っているのだ。
「お前のレッテルを全て剥がしたら成仏する!」
僕の意見を無視して、幽霊が勝手に提案してきた。
しかもそれは、無謀とも言える条件だ。
そんなものすぐに却下しなければいけない。
「いくつレッテルが貼られていると思っているんだ。何年かかるか分からないだろ」
僕は呆れた目つきで一瞥する。すると彼はすぐに別の提案をしてくる。
「だったら、【魔女】の呪いを解いたら成仏するというのはどうだ?」
【魔女】の呪い。【笑年】【傷女】。それらは、僕とあかねに貼りつけられたレッテル。
僕はともかく、あかねのレッテルは剥がしてやりたい。いや、絶対に剥がす。
「どうだ? お前にとっても悪い話ではないだろ?」
確かにこれなら僕にもメリットがある。
しかし、幽霊の交渉術にまんまとハマったみたいで悔しい。
先に無茶な要求をして、その後に簡単な要求をすると相手は了承しやすいというもの。バカなふりをして幽霊もこれでなかなか頭が良いのだ。生前に教師を目指していただけのことはある。
「解けるのか?」
僕は尋ねる。
「解くんだよ」
幽霊は答える。
それからこう付け加えた。
「俺とお前の力でな」
自信満々で言ったわりに、少し恥ずかしそうにしている。
「全く、気障な台詞だな」
僕は笑った。幽霊も笑った。
了




