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君の背中にはレッテルがある  作者: 川住河住
最終章【  】
31/32

31話 過程と結果

「おいおい。【魔女】の甘い言葉に騙されるなよ。お前はもらった毒りんごを疑いもせず、丸かじりするような奴じゃないだろ。屁理屈と嘘を並べて、逆に毒りんごを食わせるのがお前だろ?」

 その懐かしい声を聞いて、すぐに【魔女】と距離を取る。

 それから背後を振り返った。

「よう。地獄の底から帰ってきたぜ!」

 なぜか全裸の若い男が仁王立ちしていた。

 頭が痛い。気分も悪い。幻覚だと思いたい。

 もう一度見るが、やはり真っ裸の男が立っている。

 いつもの黒いスーツはどうした、幽霊。

「地獄で見知らぬ婆に身ぐるみ剥がされたから逃げてきた。いや、マジで危なかったぜ」

 もう少しマシな嘘はつけないのか。せめて葉っぱか何かで股間を隠しておけ。

 だが、あまりに馬鹿馬鹿しいものを見たおかげか、思考を整理することができた。

「これからどこに行くんですか」

「そうね。この国の首都、中央にでも行こうかしら。今までは中年の男たちばかりだったから、今度は若くて将来有望な男を見つけるのもいいわね」

 あかねといっしょに離れ屋を片づける約束があると嘘をついてその場を離れることにした。

「最後に一つだけ教えてくれる?」

 逃げるように立ち去ろうとしていた僕に【魔女】が声をかけてくる。

「何ですか」

 振り返らずに僕は、背中越しで【魔女】の問いかけを聞く。

「どうしてあなたは、私の【魔女】、あかねの【傷女】という呼び名を知っているのかしら」

 やはり【魔女】の言葉は心臓に悪い。【秋葉】家直属の探偵に調べさせた、と嘘をつく。

「あなたは【嘘つき】ね。私を【魔女】と呼んだかつての親友は、もうこの世にいないわよ。遺書に『【魔女】に殺された』と書いて自殺してしまったもの」

 あまりの衝撃発言に思わず振り返る。【魔女】は、楽しそうに笑っている。

「言っておくけど、私は殺していないわよ。でも男を取られたくらいで死ぬなんて馬鹿みたい」

 幽霊のおかげで助かった。数分とはいえ、こんな性根の腐った人間の言葉に惑わされていた。

「僕はあかねに能力を使わせません。あなたに【傷女】とも呼ばせません」

「【傷女】ね。傷を与えるから、傷を受け入れるから、傷がつくから、色々な意味を込めて【傷女】と名付けたのだけど。あなたは、どうしてそれを知っているのかしら」

「あかねに教えてもらったんですよ」

「ほら、また嘘をつく。あの子は、約束したことを必ず守る子よ。口外するわけないでしょ」

 確かにそうだ。あかねは、どんなに辛く苦しくても直接助けを呼べないでいた。

 だから僕に、大丈夫か、と問いかけることで遠まわしに助けを求めていたのだ。

 【傷女】と呼ばれていることを話してはいけない、と言われたら、どんなことがあっても話さないだろう。

「もしかしてあなた、他人の呼び名が見えているの?」

 ほとんど正解に近い。だが僕は表情にも声にも出さない。

「いえ、違うわね。呼び名、イメージ、評価……レッテルが見えているんじゃないの?」

 今度は見事に当てられた。心の傷を与えたり受け入れたりする能力があるのだ。レッテルが見える能力があると考えてもおかしくないか。

「もしそんな能力が本当にあるとしたら、おもしろいわね。あなたにレッテルを付けてあげる。そうね、あの子が【傷女】だから、あなたは、よく笑っているから【笑年】なんてどう?」

 【魔女】は楽しそうに笑っている。僕は苦笑した。

「僕はそんなに笑っていますか?」

「いいえ。あなたの笑顔が嘘をついているように思えるからよ」

 【魔女】は笑う。僕は笑わなかった。

「作った笑顔を浮かべて、優しくて甘い言葉をかけて、自分に依存させて心酔させる。やはりあなたは異質ね。【秋葉】真実さん」

「おい。こんな話聞くなよ、真実」

 【魔女】の言葉を聞かせないように、幽霊が目の前に現れる。全裸で。これはこれで苦痛だ。

 目のやり場に困って遠くを見ると、いかにも高級そうな車がこちらへ走ってくるのが見えた。

 その車は、エンジンをふかして大きな音を出して門の前で止まった。運転席には派手な髪色の若い男が座っている。彼もまた、【魔女】の色香に魅了された男の一人だろうか。

 運転手の若い男が【魔女】の荷物を車に積み込んでいく。【魔女】はそれを黙って見ている。数分で全ての荷物を積み終え、【魔女】が車の助手席に乗り込んだ。そして車の窓を開けて話しかけてくる。

「どうしてあの子が、庭で泣いているあなたに『おまじない』を使ったか、分かる?」

「あなたの策略でしょう。誰にも言ってはいけない、誰にも使ってはいけないと約束していたのに、見ず知らずの僕に使うなんて怪しいと思いましたよ」

「あら、気づいていたの。残念」

 そういう割に嬉しそうに笑っている。

 僕がそれに気づいたのは、つい最近のことだが。

「でもあの子は、約束を守っただけ。あなたにも『おまじない』を使っていいと告げただけ。だからあの子を責めないであげて。あの子は、何も知らなかったんだから」

 あかねは何も悪くない。悪いのはいつも【魔女】だと、いにしえの物語から決まっている。時代や土地が違えば【魔女】には、傾国というレッテルが貼られていたかもしれない。

「そんなにもこの家との繋がりが欲しかったんですか。たかが田舎の権力者一族なのに」

 【魔女】は、元々この町の人間ではなかったはずだ。それなのにどうしてと疑問に思う。

「都会側、西側、0番街側の人間にとって、昔から【秋葉】の家は羨望と畏敬の対象なのよ」

「え……?」

 詳しく聞こうとしたら、車は急発進して行ってしまった。

 直後に強い風が吹き、思わず目を閉じる。目を開けた時には、その姿が見えなくなっていた。



 しばらく門の前に座り込んで考え込む。これからどうするか、と。

「なんだよ。ぺったんちゃんの部屋の掃除を手伝うんじゃないのか」

「あれは【魔女】から逃げるための嘘だよ。ていうかお前、その格好はどうしたんだ」

 つい先ほどまで全裸で立っていたはずの幽霊が服を着ている。

 黒いスーツ、白いワイシャツ、紺色のネクタイ、黒の革靴。初めて会った時と同じ服装に戻っている。地獄で何者かに衣類をはぎ取られたのではなかったのか。

「PPを消費して衣類を作ってみた。意外とイケるもんだな」

 だからPPって何だ。どういう仕組みだ。万能すぎるだろ。

「なあ、お前のレッテルは何なんだよ」

 幽霊が僕の正面に立って聞いてくる。その表情は真剣だった。

「さっき付けられたばかりの【笑年】。それと【秋葉】だよ。この町では、一族の苗字が有名なんだ。市名の由来にもなっているし、市長をやっていたこともあるし、政治家とか企業経営者、医者や弁護士の親戚も多い。だから周りの大人には【秋葉】の子って言われ続けた」

 僕は少しもごまかさず、正直に話してから立ち上がる。それから離れ屋に向かうことにした。

 逃げる口実として言ったものの、あかねが離れ屋の掃除をしているのは本当だ。一人では大変だろうから手伝おう。

「他には?」

 僕が幽霊に背を向けて歩きだすと、背後から呼び止められる。無視して歩き続ける。

「おい。他にもあるんだろう」

 僕は、そのまま歩いて行く。振り向かずに、もうないよ、と答えて歩みを止めない。

「嘘をつくな。俺は、お前の背中に貼られたレッテルを見たんだ」

 そこでようやく歩みを止める。聞き間違いかと思って振り返ると、彼の表情は真剣だった。

「ちょっと待て幽霊。お前は、黒い影が見えるだけじゃないのか」

「ああ。だけど、お前のレッテルは見えたんだよ」

 意味が分からない。今までずっと背後にいたのに、なぜ今になって言うのだ。

「成仏する直前、俺の目で見える景色が変わった。その時、お前の背中を見たんだ」

 いつも冗談や下ネタばかりの幽霊が真面目に話している。なら嘘ではないだろう。

 それに、蒲原を助ける時、僕も少しの間だけ黒い影を見ることができた。今回はその逆ということか。そうなる可能性を考えていないわけではなかったが、まさか本当に起こるとは思わなかった。

「そっか。見えたんだ」

 僕は苦笑して頭をかいた。

「レッテルは、今も見えているの?」

「いや、見えたのは成仏する直前だけだ」

 なんだ、そうなのか。できればそのまま成仏してくれたら良かったのに。

「でも、レッテルが複数貼られている人は珍しくないよ。蒲原のお母さんもそうだし、僕の家族の背中にも何枚も貼られている。何もおかしいことではない。普通だよ、普通」

「じゃあ、背中に何百枚もレッテルが貼られているお前は普通なのか。おかしくないのか」

 僕はまた苦笑した。いつもは感情表現が豊かな奴なのに、彼は表情一つ変えていない。

 そうか。アレを見たのか。

 僕は毎日のように見ているし、それを貼りつけた状態で動いているから、あまり気にしたことがなかった。レッテルは、手で触れることもできなければ剥がすこともできない。だから重さなんてない。けれど、他人から見たらおかしいものなのか。

「でも僕は、あまりおかしいと思っていないよ」

「あのな、はっきり言わせてもらう。真実、お前のレッテルの数はおかしい。普通じゃない」

「どうして?」

 僕が真顔で聞くと、幽霊は意表を突かれたような顔になる。

「僕のレッテルは、百枚以上あると思う。途中で数えることを辞めてしまったから正確な数は分からない。だけど、僕の心にも体にも影響は全くない。レッテルに埋もれて死ぬなんてこともあり得ない。普通に生活できている。それなら、何も問題はないと思わない?」

 事実、僕は高校に入学してからこれまで欠席したことがなかった。あかねの傷を受け入れたことで全身傷だらけになり、入院しなければ皆勤賞も狙えたほどだ。まあ、そんなもの何の得にもならないからいらないけれど。

「それに、僕に黒い影は見えていないんだろ?」

「ああ。お前には、黒い影が見えない」

「それなら何も問題がないだろ」

「それがおかしいんだよ。お前は、大量のレッテルを貼りつけられて、ストレスを感じていないのかよ。他の三人は一枚しかレッテルがないのに、真っ黒な影を抱えていたんだぞ。なのに、何百枚もレッテルを貼りつけられているお前が、どうして平然としていられるんだ」

 幽霊は、怒っているような悲しんでいるような表情に変わっている。目には、涙も溜めている。もしも僕のことを想ってのことなら、どれだけ感情豊かなのだ。幽霊のくせに。

「改めて自己紹介をするけど、僕の名前は【秋葉】真実。ずっと昔からこの土地を治めていた一族らしい。だから、市の名前にも使われている。僕がレッテルを見られるようになってから、自分の背中を確認して初めて見たレッテルが【秋葉】。最初のレッテルだ」

「苗字がレッテルか。ふかふかちゃんと似たようなものだな」

 幽霊が話を聞きながら何やら呟いている。

「【秋葉】の血筋の人間全員、同じように【秋葉】のレッテルが貼られている。それほど有名な家柄だから。昔から家族には、他にもレッテルが貼られていた。昔はその意味を理解していなかったから、自分もいつか何枚も貼られたいなんて思っていたよ。さすがに何百枚も貼られるとは思わなかったけどね、あはは。今では家族のレッテルを見るのも嫌だから、自分だけ部屋で食事をしているんだ」

 僕は、笑顔を作って冗談を言う。だが幽霊は、ピクリとも笑わなかった。

「お前にレッテルを貼りつけたのは、誰なんだよ」

「家族、親戚、周りの大人達じゃないかな。あとは、クラスメイトも含まれるかな」

 気づいた時には、もう何枚も貼られていた。【期待はずれ】【出来損ない】【劣等生】【落ちこぼれ】【無能】など色々。幼い僕でもそれが悪い意味の評価だということは、すぐに分かった。すぐさま背中に手をやって剥がそうとする。しかし、触れることもできないのだから剥がせるわけがない。レッテルは僕の目に見えたとしても、実際そこには存在しないのだから。それでも壁に背中を押しつけて擦りつけたり、服を脱いで背中をかきむしったり色々と試した。だが何を試しても無駄だった。

「そのうちレッテルは増え続け、取ることもできないんだと分かったから。もう諦めた」

 僕の評価はそんなものだ、と受け入れることにした。その方が楽だったから。もちろん、そのことでストレスを感じないわけがない。ストレスを一切感じない人間なんていないだろう。それこそ人間を辞めるか、死ぬか、どちらかを選ばなければ無理だろう。この国、いや、この世界でストレスを感じないで生きている人はいないだろう。

 僕は【秋葉】の人間として期待されていない。昔から勉強も運動も人並み程度にしかできない。秋功学園では試験の成績が良い一組に所属しているけれど、学年トップというわけではない。スポーツや武道も色々やってみたけれど、全国大会に出場できる実力もない。今でも勉強や鍛錬は続けているけれど、皆の評価をガラリと変えられるほど成長することは難しいだろう。

「この家では、結果が全てなんだよ。結果が出せなかったら何の意味もない。だから僕のレッテルは、偏見でも勝手なイメージでもなく、そのまま正しい評価なんだよ」

「そんなことはない」

「いや、そうだよ」

「結果は大事だ。だが、努力した過程も無駄じゃない。次に活かせばいいだろ」

「次に活かせばいいと言うけれど、次がなかったら?」

 幽霊が黙った。教師になれずに死んでしまった彼には、酷な言葉だったかもしれない。

 けれど僕のレッテルについては、もう何も言わなくていい。

 家族や親戚は、望むような結果が出るまで待ってはくれない。

 多くの負のイメージのレッテルを貼られた僕に、次のチャンスが来るとも思えない。

「そうだとしても、やっぱり過程は大事だ!」

「それなら結果が全てではなく、過程も重要ということを説明してみてよ」

 僕はさらに意地悪なことを聞く。幽霊からすぐには返事がなかった。

 結果が全てか、過程も大事か。

 この手の問題は昔からたくさんの人の間で議論になっている。

 しかし、未だにこれだという答えは見つかっていない。

 当然だ。この手の問題には誰もが納得できる答えなんて存在しないのだから。

 幽霊だって分かっているはずだ。

 それでも必死にうんうんと声を出して悩んでいる。

 少しわざとらしいが、僕のことを考えてくれているのは分かる。

 本当に、こいつはバカだ。アホだ。お人好しだ。

 きっと生きていたら生徒想いの良い教師になっていたに違いない。

 それだけに、彼が教師になる夢を叶えられずに死んだことが悲しい。

 だから、僕のことは構わず成仏してほしい。来世でまたがんばってほしい。そう思っている。

 しかし、これもまた、【魔女】の言う一族的思考なのだろうか。

 いなくなってもなお【魔女】の言葉が思い出される。

 呪いは、まだ解けていないようだ。

 ああ、笑えない。


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