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君の背中にはレッテルがある  作者: 川住河住
第三章【傷女】
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27話 真実のキス

「レッテルのことは、聞かなくて良かったのか」

 まだ怒りが治まっていない様子の幽霊が話しかけてくる。

「もう聞きたくもないよ。【傷女】のあなたにしか使えない『おまじない』だから。【傷女】のあなたにしかできない役目だから。きっとそんな風に教え続けていたんだろう」

「恐ろしい家庭教育だな。まるで【魔女】の呪いじゃないか」

 本当に恐ろしい。幼少期からそのように言い聞かせてきたと思うとゾッとする。僕がもっと早くレッテルの存在に気づいていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。

「それで、これからどうするんだ」

 幽霊の声に反応して体を反転させると、布団で眠るあかねの枕元に座る。何も知らない人が見ればただ眠っているだけに見えるだろう。しかし彼女は、心の傷を溜めこみ過ぎたから意識を失っている。このまま何もしなければ彼女は目を覚まさない。永遠に眠り続けるだろう。

「おい。まさか……」

 幽霊が何か言いかけた。構わず僕は顔を近づけ、あかねの唇に自分の唇を重ねる。

「痛っ!」

 唇を合わせた瞬間、心臓を刃物で突き刺されたような感覚に陥った。

 もちろん、本当に心臓が切られたわけではない。だが、そうとしか言い表しようがないほどの激痛が僕を襲う。

 念のため上着を脱いで体を確認するが、どこにも血は出ていない。少しホッとして左胸に手を当てた瞬間、また激痛が走る。声こそ出なかったものの、あまりの痛さに顔をしかめる。

「おい! 真実! 大丈夫か! しっかりしろ!」

 心配した幽霊が僕の両肩に手をかけようとする。だがその手は、無情にもすり抜けてしまう。

「大丈夫だよ。この程度の痛みなら問題ない。大丈夫。本当に大丈夫だから。気にするな」

 笑ってごまかそうとしたが、今の僕にはそれさえ難しい。笑えない。

 【魔女】は、痛みと共にあかねがストレスだと感じた背景が映像として流れてくると言っていた。しかし、そんなものを見ている余裕なんてなかった。そもそも映像が流れたかどうかも気づかない。

「あかねは、毎日のようにこんな痛みを味わっていたのか……」

 そんな能力を得られるように教育した【魔女】が憎い。

 それを知らずに『おまじない』を受けていた自分も憎い。

 そう考えると、自然に体が動いていた。

「やめろ! お前の体が傷つくだけだ! 他にも救える方法があるかもしれないだろ!」

 幽霊が必死になって止めようと声をかけてくる。手も出してくる。しかし、何を言っても何をやっても僕の体をすり抜けていってしまう。

「だから大丈夫だよ。僕の体は、存外、丈夫にできているんだ」

 心配してくれてありがとう幽霊。だがこれは、僕の役目だから。

 意を決し、また唇と唇を重ね合わせる。触れた瞬間からまた刃物で全身を切られるような感覚に襲われる。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 痛いと思うから痛い。痛くないと思えば痛くない。

 そんな屁理屈をこねる余裕さえなかった。もう痛みしか感じられない。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 あかねがストレスを感じた時の映像なんて見えてこない。

 もう無理だ、そう思った。

 意識が遠のく中、誰かが何か言っていることに気づいた。

「お前だけずるいぞ! かわいい女子高生とチューしやがって!」

 あまりに最低な呼びかけだったので思わず唇を離してしまった。その拍子に後ろにバタリと倒れた。だが危なかった。幽霊の声がなかったら意識が飛んでいただろう。けれど、いくら体が傷ついたとしても関係ない。僕は、あかねを救わなければいけないのだ。

 起きることもままならないので、体を引きずりながら彼女に近づいていく。

「おい、もうやめろ! 体から血が出てるぞ! シャツがもう真っ赤だ!」 

 その言葉を聞いて体を見ると、白いワイシャツがいつの間にか赤く染まっていた。腹部から胸部にかけて鮮やかな赤で染まっている。部屋の床も同じように真っ赤だ。

「な、何じゃこりゃー!」

「バカ! こんな時にふざけている場合か! アホ!」

 こんな時にバカやアホとは失礼な。確かに血は出ているが、脳みそまでは出ていない。それにふざけているつもりは全くない。僕は本気で驚いているのだ。

「刃物で切られるような感覚はあったけど、まさか本当に切られているとは……痛っ!」

 恐る恐る腹部を触ったら、痛みと共にワイシャツがさらに赤くなった。傷を見るのが怖い。

「ぺったんちゃんの体を見たんだから、どうなるか分かるだろ。お前も傷だらけになるぞ!」

 この変態幽霊は、こんな状況でもあかねのことをそう呼ぶのか。

 いつもなら笑わないのに、血を出し過ぎたせいか、そのつまらない冗談に笑ってしまった。

「幽霊。お前って本当に失礼な奴だな。胸が小さいからぺったんちゃんて……。痛っ」

 笑いすぎて腹部の傷が開いた気がする。それでも僕は、やらなければいけない。

 再び覚悟を決めて、あかねの顔をしっかりと見る。だが、視界がぼやけてしまう。

「これはもうPPを消費するしかないな。真実、体を借りるぜ!」

 待て。やめろ。何をするつもりだ。

 だがその声は、僕の耳には届かなかった。

「へへっ。お前だけに良い思いをさせてたまるか。医療行為と称して女子高生に色々してやる!」

 最強の協力者が最低の協力者になった。いや、元々こいつは、こういう奴だったか。

「安心しろよ。舌は入れないから」

 そういう問題ではない。

「それでは、いただきまーす!」

 どうしてこいつは、こんなにノリノリなのだ。

 どうして利益もないのに助けてくれるのだ。

 そして僕の体を乗っ取った幽霊があかねにキスをする。

 だがすぐに顔を離した。約一秒。

「痛っ! 何だこれ。めちゃくちゃ痛い! キスってこんなに痛いものだったか」

 お前は今まで何を見ていた。

 僕の血を見て、トマトジュースか何かと勘違いしていたのか。

「お前、さっきまでこんな痛みに耐えていたのか。すげーな、おい」

 僕の声で感心したような声を出す。何度も体験したけれど、やはり不思議な気分だ。

「さてと、気を取りなおして女子高生とのお医者さんごっこを再開するか。くくく」

 僕の体を使ってなんてことをしやがる。しかし、こいつに意識を奪われてからあまり痛みを感じない。先ほども一瞬だが、【魔女】の言う映像というものが見えた。

 再びあかねの唇に自分の唇が重なって痛みが走る。

 やはり先ほどと比べてもあまり痛くない。少しだけ余裕ができて、冷静に考えることができる。

 見えていなかったストレスの原因という映像も見えてくる。

 あかねが顔を歪ませながら【魔女】の手を握っている。しばらくしてから手を離すと【魔女】は笑みを浮かべてあかねを抱きしめた。そして何やら呟いている。だが、何と言ったのか分からなかった。

 音声はないのか。せめて字幕くらいつけてくれよ。

 映像が切り替わった。だが、やっていることは同じだった。あかねが【魔女】に対して『おまじない』を行っているところだ。苦笑いを浮かべて、ひどく辛そうにしている。

 途中、心配になって幽霊に声をかけると、彼はビクッと体を震わせた。こちらにも痛みは伝わってきているが、あいつが僕の肉体で感じている痛みはどれほどだろう。心配でならない。さらに僕の意識が体に戻った瞬間、どれほどの痛みが一気に押し寄せるのか考えると、ゾッとした。

「ぐっ……がっ……イッダァァァ……イタイイタイ……イタイ……」

 幽霊が重ねていた唇を離して唸る。知らない人には滑稽に思える悲鳴だが、あの痛みを味わったらそんな声が出てもおかしくない。鋭い刃物で切られる感覚を何度も味わうのだから。

「きっつぅ……。告白した女に金的を蹴られた時よりも痛い。これは死ねる」

 表現が最低すぎる。そしてお前はもう死んでいる。だから、僕と交代してさっさと成仏しろ。

「バカ野郎。こんな危険なこと、俺の生徒にさせられるか」

 バカ野郎とは失礼な奴だな。しかし、生徒……ね。

「あ、いや……女子高生とキスができるなんて役得を譲ってたまるかよ」

 幽霊は、適当にごまかしてまた唇を重ねる。その直後、最も強烈な痛みが走った。

 そしてまた映像が流れ始める。今度は、【魔女】に『おまじない』を施しているところの他に僕が映っている。教室でお弁当を僕の鞄に入れているところ、ドア越しに僕と話しているところ、図書室への渡り廊下ですれ違うところ、僕に話しかけて無視されているところなど。

 僕にとっては『おまじない』を受けないため、レッテルを見ないために関わらないようにしていた。

 しかし、あかねにとっては、それが逆にストレスになっていたのだと気づかされる。

 ごめん。ごめんなさい。すみません。申し訳ありません。申し訳ございませんでした。

 どんなに謝罪しても、謝罪し足りないことをしてしまった。

 あかねのレッテルを剥がすための行為が全部裏目に出ていたなんて……。

 僕は、なんてバカなことをしてしまったのだ。

 【魔女】があかねの腕を掴んでいる映像に切り替わる。無理矢理能力を使わせようとしている。

 やめろと叫んだが、声は出ていない。無駄だと分かっていてもさらに叫ぶ。やめろー!

 次の瞬間、目の前が真っ暗になった。どうなったのか僕にも分からない。幽霊に呼びかけても返事がない。これは、意識を失ってしまったのだろうか。それとも出血多量で死んだかな。

 ああ、最後に一度でいいからあかねに謝りたかった。僕は、無駄だと思いながらつぶやいた。

「本当にごめん、あかね」

 気づけば声が出ていた。同時に、全身に鋭い痛みが走る。

「痛っ! なん……だこれ……!」

 あまりの痛さに目から涙があふれてくる。涙でぼやけて前もよく見えない。

「おっ。気がついたか?」

 ぼやけた視界で前を見ると、真っ黒い何かがいる。これは何だろう。

「ああ、そうか。死神か。僕を迎えにきたんだな。天国でも地獄でも連れて行ってくれ」

「そうです。私が死神です……って何やらせんだ、バカ! 寝ぼけてんのか!」

 震える腕をなんとか目元にやり、痛みをこらえて拭う。

 目の前にいるのは、黒いスーツと紺色のネクタイを締めた若い男だった。

「ごちそうさまでした!」

 幽霊は、良い笑顔でそう言い放った。

「死ね!」

 僕は痛みも忘れて大声で叫んでいた。傷口がまた開いた気がする。

「残念だったな。俺はもう、死んでいる」

 そう言ってまた笑った。だが、その姿に少しだけ違和感を覚える。

 以前は、本物の人間と見間違えるほどはっきりと見えていた。けれど今は全身薄く見える。

 涙を流しているせいか、血を流し過ぎたせいか。それとも憑依合体のせいか。色々な考えが僕の頭をよぎっていく。

「あー、心配するな。お前に原因があるわけじゃない。俺に原因があるんだから」

 慌てる僕に幽霊が声をかけてくる。どういうことかと尋ねる。

「最初に言っただろ。三人を救ったら成仏すると」

 確かに言った。ということは、あかねはもう救われた。無事ということなのか。

 激痛が走る体を引きずりながら布団に寄ると、彼女にキスをする。新たな痛みは感じない。

「さて、これでこの世への未練もなくなったから、そろそろ逝くわ」

 幽霊は、一仕事終えた後のように大きく伸びをした。その時、ほんの少しだけ体が浮かぶ。

 だが、そんな軽い調子で成仏させてやるものか。お前には、まだ言うことがあるのだ。


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