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君の背中にはレッテルがある  作者: 川住河住
第三章【傷女】
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26話 おまじないと呪い

 【魔女】が無表情になった。それを見てさらに続ける。

「本当は父親ではなく母親のあなたが『おまじない』を使わせていたのではないですか」

「あなた、何を言っているの?」

 【魔女】は怒りの表情を出しているけれど、全く怖いとは思わない。

「お風呂で抱きしめていたのも、能力を『おまじない』と名付けたのも、あかねをストレスのはけ口として使っていたのも、父親ではなく母親のあなたではないですか?」

「黙ってください」

「それを旦那さんに見つかり、あかねを連れて逃げてきたのではないですか?」

「黙って」

「あかねさんは、僕にこんなことも言っていました。辛い人を助けるのが私の役目だと。そう教え込んだたのは、父親ではなく母親のあなたではないですか?」

「黙りなさい! 失礼でしょ! 証拠もないのに何を言っているの!?」

 【魔女】は激しい剣幕を見せる。今にも殴りかかってきそうなほど顔が真っ赤だ。

「証拠はありませんが、証言ならありますよ。あなたの元夫で、あかねの父親に聞きました」

 僕の言葉に一瞬だけハッとした顔を見せたが、すぐに口元を歪ませる。嘲笑といった風に。

「嘘をつかないでよ。ただの高校生のあなたにそんなことできるわけがないでしょ」

「ええ。【無能】な僕には、そんなことできません。しかし、僕の家ならそれができるんです」

 見えない協力者の存在を仄めかす。これは相手を選ぶけれど効果的な手段だ。

「はっ。だったら、あの男が嘘を言っているかもしれないじゃない」

 その手段が効く【魔女】がこちらを睨みつけてくる。しかし、仮にも雇用主の家族に対して、この態度と口の利き方はどうなのだ。

「ところで、あかねさんの腕を見ましたか?」

「腕? 傷が新しいから最近まで私が能力を使わせていたと言いたいの?」

 おっと困った。僕が指摘しようと思っていたところを切り返されてしまった。

「それは誰かの心の傷を癒してあげていたんでしょう。あかねは優しい子だから。それから昨日すぐに倒れなかったのも、前回で耐性がついてしまって倒れるのに時間がかかったのよ」

 それも、昨日僕が帰ってから能力を使わせたので倒れたと指摘しようと思っていたのに。

 反論する余地を与えず、終わらせるつもりだったのだが、なかなか上手くいかないものだ。

 仕方ない。僕は、用意していた三つ目の問いを彼女に投げかける。

「なら、これは気づきましたか。先ほどあかねの腕を見たら、なぜか痣ができているんですよ」

 【魔女】が動揺した顔を見せる。僕は、それを見てここぞとばかりに話す。

「おかしいですよね。今まで能力の代償は、刃物で切られたような傷しかなかったのに」

「嘘でしょ。そんな強く握ってなんか……」

 【魔女】が慌てて口に手を当てた。なんてわざとらしい慌て方だろう。

 だが、もう遅い。

 一度言葉を口に出してしまったら、それが相手の耳に届いてしまったら、もう遅いのだ。

「すみません。また嘘をつきました。本当は、痣なんてありません。あるのは、鮮やかな赤い切り傷です。でも、娘の腕をそんなに強く握るなんて……何かあったんですか、お母さん?」

 どんどん青ざめた顔になる【魔女】。それを見て笑顔になる僕。

「あかねさんに無理矢理でも能力を使わせたんじゃないですか?」

「そんな訳ないでしょ」

 顔は怒っているけれど、声に力がこもっていない。明らかに弱っている。

「昨日、僕はあかねさんと約束しました。もう二度と能力を使わないように、と。彼女は約束を破ってはいけないと必死に抵抗したのでしょう。けれど【魔女】の呪いには勝てなかった」

 紅葉の庭で初めてあかねと会った時、彼女は助けを求めるために能力を使ったのではないか。母親との約束を破ってでも助けてほしいと思ったから。これは僕の推測でしかないけれど。

「さっきから【魔女】って何なのよ。いい加減にしなさい!」

「話は最初に戻りますが、それは解雇の件にも繋がるんですよ。家政婦が勤めている家の人間と不倫関係になったらダメでしょう。相手が独身ならまだしも、既婚者なんですから」

 【魔女】が何か言いかけたが、僕の顔を見て口を閉じた。もう全て知られていると悟ったのだろう。理解が早くて助かる。

「正確には、この家の人間ではなかったです。離れ屋を尋ねる僕の親戚の人、でした」

 僕の部屋の窓からは、モミジの庭や離れ屋がよく見える。母屋に用がある人間は多いけれど、離れ屋に赴く人間はほとんどいない、だから、これまで見て見ぬふりをしてきたが、離れ屋に足繁く通う親戚の男のことを告発することにした。伝えるのは、警察でもその配偶者でもない。この家を牛耳る当主にである。

 親戚男性には申し訳ないが、あかねを救うための大いなる犠牲となってもらおう。しかし、妻や子どもを置いて【魔女】の色香に溺れて楽しんでいたのだから。自業自得である。

「僕があなたのことを【魔女】と呼ぶのは、いくつか理由があります」

 【魔女】は、もう観念しているのか、興味がなさそうな目をしている。

「娘に『おまじない』と称して危険な能力を教えたから【魔女】。男を家に誘いこんで誑かしていたから【魔女】。さらに……薬を使って人を利用しようとしたから【魔女】」

 僕は、唇を付けただけのコーヒーカップを指し示す。

「キッチンに調味料と同じように怪しげな薬を隠していたぞ、この女」

 本物の見えない協力者。今回ばかりは本当に活躍してくれた。とても感謝している。

 しかし、蒲原の件を許したわけではない。こいつは、必ず地獄に落としてやる。

「薬を使って僕に何をさせようとしたんですか。また、と言っていましたね。前回倒れた時は、僕を眠らせて何をさせたんですか?」

「バレてしまったのならもう意味がないわ。その子は、もう助からないから」

 【魔女】は捨て台詞を吐いて出て行こうとする。だが、それでは困るのだ。

「それはこちらで判断します。どうやったらあかねさんを救えるのか、教えてください」

 僕はその背中に声をかけて制止させる。

 てっきり怒りや悲しみの感情を露わにしていると思っていた。

 しかし、振り返った【魔女】の顔には、そのどちらもなかった。ただ、笑っているだけだ。

「私がどうやってあかねの能力を知ったと思う?」

 それは、僕が疑問に感じていたことだ。どうやって知ることができたのだろう。魔法のように手から炎を出せるわけでも、水を出せるわけでもない。偶然、能力が使用されて自分の心のストレスを吸い取られたからか。それとも幼いあかね自身が能力のことを認知していたのか。

「何か特別な検査方法があるんじゃないのか。血液とか脳波とか」

 幽霊が自分の考えを述べる。だが、そんな簡単には分からないと思う。

「分かりません」

 僕は素直にそう答えた。色々考えてみたが、どれもしっくりこない。なら聞いた方が早い。

 【魔女】は、ニヤニヤとした不気味な笑みを崩さぬまま話し始める。

「むかしむかし、私と幼いあの子の唇と唇がぶつかってしまった。その瞬間、小さな痛みが全身に走ったわ。それといっしょに頭の中で映像が駆け巡った。あの子が犬に吠えられているところや男の子に叩かれているところ。最初は、それが何を意味しているのか分からなかった」

 僕は黙って【魔女】の話を聞く。

「その後、仕事から帰ってきた夫があの子にキスした時は、何ともない様子だった。だから、気のせいだと思ってしばらく過ごしていた。だけど、ふと思い出してまたキスをしたら、今度は前回よりも強い痛みと前回と異なる映像が見えたのよ」

 あかねとキスをすると痛みが伴い、同時に映像が見える? どういうことだ?

 幽霊も黙って首を横に振っている。彼も【魔女】の話の意味が分からないようだ。

 【魔女】は、ニタニタと笑みを浮かべている。僕は、早く話すように催促する。

「どういうことですか。それとあかねさんを救う方法に何か関係があるんですか?」

「あかねの本来の能力は、自分の心の傷をキスした相手に与えるという物。私が感じた痛みはあの子のストレスで、映像はあかねがストレスを感じた時の様子を映し出しているの」

 同じ日に旦那さんがキスしても痛みを感じなかったのは、その直前に【魔女】とキスをしてストレスを発散していたから。そう言いたいのだろうか。

「別の日に夫があの子にキスした時は、思い切り痛がっていたわ。あかねに噛まれたと言って笑っていたけれど、その時に気づかれなくて良かったわ」

 【魔女】は、昔を思い出すように微笑んだ。だが、少しも優しい母親の顔には見えない。

「あかねさんの本来の能力、と言いましたよね。それはどういう意味ですか?」

「そのままの意味よ。あの子には、自分の心の傷や精神的苦痛、いわゆるストレスを人に与える能力はあっても、人の心の傷やストレスを受け入れる能力なんてなかったのよ」

「ん? どういう意味だ?」

 幽霊は、疑問に思ったことをそのまま言葉にする。僕も同じことを考えていた。

「それなら、どうしてあかねさんは、人の心の傷を受け入れられるんですか」

「まだ分からない? あかねは、特別な能力を持っているのよ。他の子とは違う特別な才能があるのよ。だったら、そういう能力も持てるように教育してあげることが親の務めでしょう」

「ん? んむ?」

 幽霊は、【魔女】の言葉を理解するのに時間がかかっているようだ。

 言葉の意味は理解できた。しかし僕は、本当にそんなことができるのかと疑う。

「だっておかしいじゃない。自分の痛みを他人に与える特別な能力があるのに、他人の痛みを受け入れる能力がないなんて。特別な才能を持っているなら、できない方がおかしいでしょう」

「いや、お前の考え方がおかしい」

 幽霊が僕の気持ちを代弁してくれた。だが【魔女】は、相変わらず笑っている。

「つまりあなたは、あかねさんに人の心の傷を受け入れる能力を与えたんですか?」

「いいえ。そんな魔法みたいなこと、ただの人間の私にできるわけがないでしょう」

 僕の考えは即座に否定された。いくら【魔女】というレッテルを持っていても無理か。

 では一体、この女はどのようにしてあかねに能力を持たせることができたのか。

「鈍感。察しが悪いのね。私はあの子の母親よ。親として子どもに教育しただけ」

「教育したってどうやって。自分の心の傷を相手に与えるという能力だけでもすごいのに、全く新しい能力を開花させるなんてそんなこと……」

 そこまで言ってからあることを思い出した。昔、僕がこの家で受けていた教育方法である。思い出したくもない嫌な思い出。その教育方法とあかねの傷痕が……なぜか合致した。

 まさか……。

「あら、気づいたの。そういうところは察しが良いのね」

 僕の血の気が引いた顔を見て、【魔女】が感心したような台詞を吐く。

「あかねの腹部の傷痕……。あれは、代償じゃなかった」

 気がつけばそんな言葉が口から出ていた。

 嫌な予感がする。当たってほしくない。絶対にこれだけは当たってほしくない。

「ご明察。人の心の傷、ストレスを受け入れられるようになるまで訓練した時にできた傷よ」

 的中してしまった。だが、怒りも悲しみも何の感情も湧いてこなかった。怒りや悲しみを通り越してしまったのかもしれない。これが虚無感と言うのだろうか。

「私もやらせてすぐにできるなんて思っていないわ。だから毎日百回ずつ試した。百回試してできなかったら罰としてお腹に傷をつけた。次の日、百回やってできなかったらまた一つ傷をつける。でも、女の体に傷がつくなんて可哀想だから。小さな果物ナイフにしてあげたわ」

「虐待……」

 どうしようもない虚無感に襲われる中、無意識のうちに言葉が出ていた。

「あなたも夫と同じことを言うのね、でも、虐待じゃないわ。これは家庭教育よ。しつけよ!」

 【魔女】は、ひどく激昂している。しかし、それを見ても何の感情も起きなかった。

「子どもを傷つけるしつけって何ですか。傷つけなければできない教育って何ですか」

 今の時代、言葉が通じない動物に芸を教える時だって傷つけることなんてしない。それなのに、同じ人間で自分が産んだ子どもの教育に、言葉ではなく暴力を使うなんて間違っている。

「毎日続けても結果が出ない。こんなに辛いことはなかったわね。でも私は、あかねの才能を信じていた。そして私の教育方法に間違いがないと信じていた。だから、できるまで続けた」

 黙ってほしい。

 口を閉じてほしい。

 これ以上何も言わないでほしい。

「そしてある時、あかねに緊張感が足りないのかと思ってナイフを替えてみたのよ。すごく切れ味鋭いやつにね。そしたらあの子、ちょうど百回目で今の能力を使えるようになったのよ!」

 【魔女】は、我が子の功績を自慢するように話している、僕は、笑えるわけがない。

「でも、残念なこともあるわ。他人の抱える大きなストレスを受け入れると体に傷がつくこと。能力が安定して使えるようになってからは、もうナイフで傷つけないと言っているのに。それから、あの子自身がストレスを溜めこみすぎると意識を失ってしまうこと。ほら、こんな風に」

 そう言って布団に眠っているあかねを指さした。その目は、まるで物を見ているようだった。

 僕はそれを見た瞬間、今まで襲っていた虚無感が一気に吹き飛んだ。さらに、今までくすぶっていた怒りの火種が一気に燃え上がった。

「あなたは間違っています。そんなの絶対におかしいです」

 僕は目の前の悪を睨みつける。だが【魔女】は涼しい表情でこちらを見ている。

「あなただってこの家で似たような教育を受けていたじゃない。それは、おかしくないの?」

 その言葉が僕の胸に突き刺さる。

 それは昔のことだ。もう終わったことだ。思い出させるな。

「私が知らないとでも思った? 家政婦と言う仕事柄、家の中のことは、よーく見えるのよ」

 僕の顔を見て何か察したのか、【魔女】が上機嫌に口を開く。

「言う通りにしなければ怒る。望み通りの結果を出さなければ殴る。名家に生まれた子どもは、大変ね。どんなことでも人並み以上の結果を求められるから。生き苦しくないのかしら」

「他人より自分はどうなんですか。あなたもあかねさんに対して同じことをやったでしょう」

「あら、私はあの子のためを想ってやったのよ。あなたの家族といっしょにしないで欲しいわ。でも一つだけ同じだと言うなら、親が子に成長を期待するのはおかしなことではないわね」

 あかねにあんな傷を負わせておいて何を言っているんだ。呆れて何も言えない。

「おい真実。お前の体を貸せ。こいつに言ってやらないと気が済まない」

 背後から幽霊が話しかけてくる。その声は、少し震えている。

「俺は、自分の考えが絶対に正しいと思っている奴が大嫌いなんだ。言って聞かないから殴って言うことを聞かせる親や教諭が大嫌いだ。体罰が怖くて生徒を指導できるか、と息まいていたが、どんなに生意気でもムカついても生徒は子どもだ。教諭は教え諭すから教諭なんだ!」

 僕は【魔女】から目を離さない。そして幽霊の怒りの声にじっと耳を傾ける。

「どんな理由があっても、子どもを傷つけていい教育なんてあるか!」

 その言葉を聞いて僕は、こいつをしっかり成仏させてやろう、そう思った。

「話を聞いて、大体分かりました。助ける方法も、あの冬の日に僕に何をさせたのかも」

 あの冬の日、僕に睡眠薬を飲ませて眠らせてから実行したのだろう。小学生の男の子なら、成人女性一人でも持ちあげることは容易だろう。それにしても、厄介な救助方法だ。

「【魔女】に呪いをかけられた姫は、王子の真実のキスによって目覚める。素敵でしょ?」

 そう言ってニタニタと笑う【魔女】。なんて悪趣味な女だ。

 しかし、眠っている状態でも能力を使うことができるなら、どうして無理矢理『おまじない』を使わせようとしたのか。僕は、最後の疑問を投げかける。

「心の傷を相手に伝える能力は、意識がなくても寝ていても使えるわ。でも『おまじない』は、意識があって自分の意思がないと使えないのよ。後から作り出した能力せいかしら」

 【魔女】もあかねの能力を全て把握し、理解しているようではなかった。

 今後はあかね自身に色々と聞いて、調べていく必要がありそうだ。

「いつもなら【傷女】と言えば『おまじない』を使っていたのに。今日だけは、頑なに使おうとしなかったわ。あなたと約束したから。もう【傷女】じゃないと言ってくれたからって」

 【魔女】は、それだけ言って部屋から姿を消した。


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