21話 そして扉は開かれた
「それから僕は、あかねと距離を取るようにした。『おまじない』に頼りすぎたから。能力を使わせすぎたせいで、あんなことになったんだから……」
「だから、校内であんなに顔を合わせないようにしていたのか」
「うん。家の中でも部屋には入れないし、できるだけ顔を合わせないように過ごしてきた」
「でも、あかねちゃんの意識は戻ったし、大事にはならなかったんだろ。それなのにどうしてお前がレッテルを貼ることになるんだよ。そもそもあの子のレッテルは何だ?」
幽霊が背後から身を乗り出して聞いてくる。
「栃尾あかねのレッテルは【傷女】。傷の女と書いて【傷女】。それは僕が貼り付けた。でも」
「でも、何だよ?」
「……どういう経緯で貼り付けたのか、正直よく覚えていないんだ」
「はぁ? どういうことだよ」
彼が呆れと怒りのこもった声を上げる。だが、それも無理はない。あかねの両腕の傷を見たところまでは、僕もはっきりと覚えている。しかし、その後のことがどうにも思い出せない。そこだけぽっかりと記憶が抜け落ちていしまっているのだ。
「いつの間にか僕も眠ってしまっていて、目が覚めたら布団の上だった」
「はぁ? 倒れたぺったんちゃんと添い寝したのか? 意味が分からん」
「違う違う。なぜか僕は布団に寝ていて、あかねは意識を取り戻していて立っていたんだよ。それを見て僕は、彼女に対して【傷女】と言ってしまったんだよ」
「ますます意味が分からん! よく思い出せ!」
先ほどから幽霊は、そればかり言っている。だが、支離滅裂な説明を聞けばそんな反応になっても無理はない。けれど、本当に覚えていないし思い出せないのだ。
「思い出す努力はするけど、こっちの問題はどうするかな」
僕は固く閉じられた離れ屋の戸を指さす。幽霊は低い声でうーんと唸る。
先ほど離れ屋の戸は開かれた。しかし、すぐに閉じられてしまった。あかねの姿を見ることはおろか、声さえ聞くことができなかった。これでは救いようがない。
「幽霊の俺が戸の前で裸踊りをしても効果がないだろうからな。どうしたものか」
たとえお前が生身の人間だったとしても、男の裸踊りなんて見たいとは思わない。それに、そんなことで戸を開けてくれるものか。もしそれで成功したら神様も驚く奇跡だろう。
「あの、真実さん。ここに来るなんて珍しいですね。どうかなさいましたか?」
戸の向こうから小さな声が聞こえてくる。その声は、紛れもなく栃尾あかねのものだ。
僕は一度深呼吸して、気持ちを落ち着かせてから返事をする。
「今日、学校を休んだから心配になって来たんだよ。体調はどう?」
「ご心配をおかけしてすみません。もう大丈夫です。明日には学校に行けると思います」
本当だろうか。声だけ聞くと元気がないことは明らかだ。
「そうだ、お弁当ごちそうさま。でも、体調が悪かったらお弁当作りは休んで良かったのに」
「お気遣いありがとうございます。でも真実さんのお弁当は、どうしても私が作りたくて……」
それを聞いて少し恥ずかしくなった。だが、背後からの冷やかしですぐ冷静になる。
「ねぇ、あかねさん。あの約束は破棄するから。ここを開けて顔を見せてくれないかな」
かつて僕とあかねの間で結んだ約束。家でも学校でもお互いに顔を合わせないというもの。家ではドア越しに話をするようにした。学校でも余程のことがない限り、話さないよう努めた。だが最近は、学校で何度か彼女から話しかけられたことがある。
「最近は、約束を破っていたよね。だから、もういいんじゃないかな」
この約束は、あかねが倒れて以降に結んだ。
理由は二つ。
これ以上、彼女の能力に頼らないという戒め。
そして僕が彼女のレッテルを見たくないという身勝手な理由。
あれからずっと約束は守られてきた。もちろん、同じ学校で同じクラスにいる以上、完全に顔を見せないなんてできるわけがない。それでも何か理由がない限り、小中高とお互い顔を合わせず、話さずに生活してきた。それなのにどうしてだろう。
「申し訳ございません。真実さんの顔色があまり良くなかったので、つい声を……」
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。僕は、見た目よりも丈夫なんだよ」
「はい。昔はいつも泣いていらっしゃいましたけれど、今は泣かなくなりましたものね」
使用人、いや、幼馴染からの強烈な言葉の暴力。レッテルを言い当てられるよりも強力。
「あ、すみません。失礼なことを……」
「いや、あかねの言う通りだよ。あの頃の僕は、いつも泣いてばかりいたから」
丈夫にならなければいけなかった。
強くならなければいけなかった。
そうしなければ、また彼女に頼ってしまうと思ったから。
「……懐かしいです」
「え?」
「昔は、家でも学校でも名前で呼び合っていましたから」
「ああ、うん。初めて会ったのは小学生の頃だし、呼び捨てが普通だったから」
「いっしょに登下校もしていましたよね」
「そうだね。いっしょに寄り道したり公園で遊んだりもした」
「あの頃は毎日がとても楽しかったです。また……できたらいいのですけれど……」
あかねのか細い声が聞こえてくる。それは、悲痛な叫びにも聞こえる。
約束を結んでからは名前で呼び合うことも、いっしょに帰ることも、遊ぶこともなくなった。
『おまじない』は言うまでもないことだが、あれから一度もしてもらっていない。
「ねぇ、あかね。ここを開けてほしい。直接顔を合わせて話がしたいんだ」
返事はない。
しかし、扉の向こう側にまだ彼女がいることは確かだ。
「ここを開けてくれたら、明日からまたいっしょに登下校するから」
「お。いつになく必死だな」
黙っていた幽霊が茶々を入れてくる。何とでも言えばいい。あかねのレッテルは、僕が貼りつけたものだ。だから、僕が剥がさなければいけないのだ。それが僕の役目だから。
扉の向こうから僕の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。やはり彼女は、そこにいてくれる。
「今まで無視してごめん」
「いいえ……」
「今までつき離してごめん」
「いいえ……」
「自分勝手なお願いだとは思っている。だけど、あかねを助けたいんだ!」
返事がなくなった。
ダメか。そう思った時、カチャリと鍵の音。閉じられていた扉は、ゆっくりと開かれる。
「あかね!」
目の前に立つ彼女を見て、叫ばずにいられなかった。
あの冬の日の姿と重なって見えたから。
顔色は悪く、ひどく虚ろな目をしていて、立っているのもやっとのように震えている。
「真実、さん……」
ハッキリと僕の名前を呼んでくれた。だが次の瞬間、ふっと前のめりに倒れ込んだ。
慌てて支えるが、彼女は足に力が入っていないのか、ぐったりとその場に崩れ落ちる。
「おい! あかね! しっかりしろ! あかね!」
僕は大声で呼びかける。起きろ。起きてくれ。お願いだから、目を覚ましてくれ。
しかし僕の声が玄関に虚しく響くだけで、彼女は一向に目を開けようとしない。それでも、彼女の手を握って何度も呼びかけ続ける。諦めてたまるか。




