表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君の背中にはレッテルがある  作者: 川住河住
第三章【傷女】
20/32

20話 過去

 栃尾あかねと出会ったのは小学生の時だ。

 その頃の僕はいつも泣いてばかりいた。ほとんど毎日、家族から理由もなく怒られて、その度に泣いていた。ひどい時には、殴られたり蹴られたりすることもあった。そのうち怒られるから泣くのか、泣くから怒られるのか分からなくなる。

 そんな時、いつも庭に逃げ込んでいた。モミジの木が何本も植えられた広い庭は、子どもにとって絶好の隠れ場だった。遠くで家族の怒鳴り声が聞こえてくると必死に声を押し殺した。

 いつものように木陰に隠れてうずくまり、声を押し殺して泣いていた。すると近くで木の枝や葉を踏む音がした。家族や親戚の誰かが探しにきたと思った。だが、音は近くで聞こえたからすぐに見つかってしまう。僕は体を丸めて小さくなることしかできなかった。

「ねぇ、どうしたの?」

 女の子の声が聞こえて驚く。恐る恐る顔を上げると、そこには見知らぬ少女が立っていた。

「大丈夫? どこか痛いの?」

 涙で濡れたまぶたを腕で拭い、もう一度見る。長い黒髪を持つ同い年くらいの女の子である。泣き顔を見られて急に恥ずかしくなってきた。また、散々泣いて疲れていたので声が出せない。それでも男の矜持か見栄が働いたのか、どうにか言葉を発する。

「だ、だい、だいじょう、ぶ。な、なんで、なん、なんでも、ない、から」

 昔のこととはいえ、今思い出しても恥ずかしい。涙で目を真っ赤に腫らし、鼻からは鼻水を垂らし、やっと出た声は震えている。家族に怒られて泣いていただけなのに、その姿を見知らぬ少女に見られて尚更泣きたくなった。僕のことは気にせず、どこかへ行ってほしいと思った。

「大丈夫だよ」

 僕の願いとは裏腹に、見知らぬ少女は笑顔を浮かべてこちらに近づいてくる。

「くるな。あっちいけ!」

 涙声で悪態をついて顔を伏せる。これ以上の醜態を晒したくなかったから。

「大丈夫。私が『おまじない』をかけてあげるから」

 気づけば彼女が僕の両手を掴んでいた。それを振り払おうとしても、相手は一向に離そうとしない。もういい。放っておいてほしい。暴れて逃れようとする僕に、彼女は優しい言葉をかける。

「みんなにうるさいと怒られて辛かったね。でも君は悪くないよ。君は廊下を走っただけ。広間でお話しをしているなんて知らなかったんだもの。だからもう泣かないで。ね?」

 驚いて暴れるのをやめた。それからゆっくり顔を上げて彼女の顔を見る。近くで見ても会ったことのない女の子だと分かる。

 しかし、まるでその場にいて、全てを見ていたかのよう原因を言い当てた。

「なんで? どうして分かったの?」

「私が『おまじない』をかけたから、君の心が教えてくれたの」

 そう言って彼女は微笑んだ。

 その日は庭のモミジが真っ赤に染まり、とても美しかったことを覚えている。



 その少女は、新しい住み込みの家政婦の娘だと教えられた。その子の名前は、栃尾あかね。

 僕と同い年らしい。けれど彼女の長い黒髪はとても綺麗で、落ち着いた雰囲気を持っていて、僕よりもずっと大人に見えた。

 あかねは僕と同じ小学校に通い始め、しばらくいっしょに登下校することにした。別の町から引っ越してきた彼女に学校の場所と道順を覚えてもらうためだ。そのことでクラスメイトにからかわれることもあった。けれど、その程度のからかいは苦にならない。だが、家族からの理不尽な怒りには耐えられず、いつも庭で泣いてばかりいた。

 そんな日は決まってあかねが僕を見つけてくれてこう告げる。

「大丈夫。私が『おまじない』をかけてあげるから」

 それから僕の両手を自分の両手で包みこむ。それは、まるで祈るような仕草だった。

 最初は何の効果もない気休めだと思っていた。けれど、実際にそれをしてもらうと不思議と癒される。

 僕は『おまじない』について尋ねた。どうやったらそれができるのか知りたかったからだ。けれど、あかねは申し訳なさそうに答える。

「ごめんね。この『おまじない』は、私しか使えない特別な力なの」

 それでも僕は、その能力のことをもっと知りたいと思った。だから、『おまじない』のことを教えてもらうかわりに、自分の能力のことを話すと提案する。

「僕にも他の人にはできない、特別な力があると言ったら……信じる?」

 今まで誰にも話した事がない僕の秘密。だが、彼女なら信じてくれると思った。

 正確な時期はハッキリと覚えていないけれど、あれは小学校に上がる前のことだ。

 ある日、家に来た客の背中に白い紙が貼られているのが見えた。だが、家族は何も言わない。家政婦に尋ねてみても何も貼られていないと言う。

 もう一度見ると、客の背中には何もなかった。だが、どこにも白い紙は落ちていない。その時は僕の見間違いだと思った。

 別の日、今度は家族の背中に紙が貼られているのが見えた。しかも何か文字が書かれている。難しい字で何と書かれているのか分からないけれど、今度は見間違いではないと思い伝える。だが、家族が背中に手をやっても紙が剥がれることはなかった。

 僕がやってもそれは同じだ。そのうち紙は見えなくなり、また見間違いなのかと自分の目を疑った。

 家族で買い物に出かけた日、信じられない光景を目の当たりにする。目に見える人、全ての背中に文字が書かれた紙が貼られているのだ。しかし、誰もその紙の存在に気づいていない。

 僕は洗面所に駆け込んで冷水で顔を洗う。頬をつねってもみる。夢か何かだと思ったからだ。

 だが残念ながら水は冷たくて、つねった頬は痛かった。そこでようやく現実なのだと理解する。

 背中に貼られた紙は見間違いなんかではない。僕にしか見えないのだと気がつく。

 その後も紙が見えたり見えなくなったりを繰り返した。今では嫌という程はっきり見えているけれど、当時は能力が不安定だった。小学校に入学してから本を読んだり国語の勉強をしたりするようになり、少しずつ紙に書かれている内容も理解できるようになった。

「人の背中に文字が書かれた紙が見えるんだ。その紙は、その人の評価を表している。今まで誰にも話したことがなかった。でも、あかねなら信じてくれるかなと思って……」

 あかねは黙って聞いてくれている。彼女の目は真っ直ぐに僕を見ている。

「大丈夫。信じるよ。『おまじない』をかけた時に真実の心が教えてくれたから」

 初めて会った時と同じ言葉。あれからずっとその意味を考えていたけれど、いくら考えても答えは見つからずにいた。

「『おまじない』は、心の傷を癒すだけじゃない。その傷ができた原因や経緯も教えてくれるの」

 それを聞いて合点がいく。だから初めて会った時に僕が怒られた原因を言い当てられたのか。

「本当はこの能力を人に使ったらいけないし、人に話してもいけないんだけど。真実は特別」

 そう言って優しく笑いかけてくる。それを聞いた僕は真剣な表情で答える。

「誰にも言わない。約束するよ」

 しかし、あかねは僕に全てを打ち明けてくれたわけではなかった。

 後に僕は知ることになる。

 『おまじない』には、大きな代償が伴うということを――。



 十二月。秋葉市の冬は、とても寒い。

 小学校の終業式を終えた僕とあかねは家路を急いでいた。

 ふと空を見上げれば、ちらちらと白い物が降ってくる。例年よりも少し遅い初雪だった。

「ねぇ、あかね。雪が降ってきたよ」

 僕は後ろを振り返って声をかける。

「うん。雪の匂いがするね、真実」

 あかねの顔が朝見た時よりも赤い。無理もない。ここ数日間、彼女の体調は良くないのだ。けれど、一日も休まず学校に通い続けている。明日から冬休みなのでゆっくり休んでほしい。

「大丈夫? このままだと風邪を引いてしまうよ。早く帰ろう」

 最初は、学校までの道順を覚えるまでと思っていた。しかし、それ以降もいっしょに登下校している。学校から帰ると屋敷の門ので『おまじない』をかけてもらって別れることが日課になっていた。だが最近は、あかねの体調が悪いことを理由に拒否している。

「ほら。もうすぐ着くよ。ランドセルは僕が持ってあげるから。がんばって」

「心配掛けてごめんね。今日は『おまじない』かけてあげるからね。待っていてね」

「そんな体調なのに何言ってんだよ。『おまじない』なんてしなくていいよ」

「いいの。私が真実にしてあげたいから言っているの」

 あかねは微笑んだ。僕は、とても辛そうにしている彼女を見て何も言えなかった。

 僕らの遅い歩みを嘲笑うかのように、雪の降る勢いは止まらない。むしろどんどん強まっていく。朝の天気予報では、今夜から翌朝にかけて雪が降ると言われていた。僕もあかねも傘を持っていないため、次第に頭にも雪が積もり始める。

 時折自分とあかねの頭に付いた雪を払い、ようやく屋敷の門の前まで着いた。秋には綺麗な紅葉を見せてくれていた木々も、冬になれば葉を全て落としてしまっている。彼女は、ひどく虚ろな目をしている。今にも倒れてしまいそうで不安だ。

「あかねのお母さんを呼んでくるから。先に離れ屋に戻って休んでいた方がいい」

 少しでも寒さを和らげるために自分の手袋を外し、あかねの手にはめてあげようとした。彼女の手は、顔と同じくらい赤くなり、ぶるぶると震えていた。

「辛い人を助けるのが私の役目だから。私は、それぐらいしか役に立つことができないから」

 あかねはそう言うと、僕の手を力強く掴んだ。すぐに振り払おうとしたが、もう遅かった。一気に僕の心が晴れやかになり、モヤモヤとしていた気分はどこかへ消えてしまった。

「真実は、優しすぎるから。それが心配だよ……」

 それだけ言うと、ふらふらと庭の方へ歩いていく。その足取りはおぼつかない。心配になって声をかけようとした時、彼女の背中に紙が貼られているのが見えた。しかし、今朝までそんなものはなかったはずだ。一体、いつの間に貼られたのだろう。さらに雪が勢いよく降り始め、視界が遮られてしまう。

「あかね!」

 僕の声に気づいて彼女は振り返り、ほんの一瞬微笑むと、その場に倒れた。



 すぐにあかねの元へ走って駆け寄った。声に気がついたのか、この家の家政婦であり、彼女の母親もすぐに玄関から出てきた。そして倒れたあかねを抱えて離れ屋に向かう。

 あかねは寝間着に着替えさせられ、布団に寝かされる。僕はその横でずっと彼女を見守る。布団から腕が出ていたので入れてやろうとした時、僕はそれを見て驚いた。その腕には、刃物で切りつけたような傷痕がいくつもあった。一目見ただけでゾッとする。だが僕は目を離すことができない。もう片方の腕を見ると、そちらにも鮮やかな赤い線が縦横無尽に走っている。

 これは、あかね自身が刃物で腕を切りつけたのか。

 いや違う、とすぐにその考えを打ち消す。

 怖がりな彼女が自傷行為をするなんて思えない。

 これはきっと……『おまじない』のせいだ。

 あかねの能力は、人の心の傷を癒し、その傷ができた原因や経緯を知ることができる。

 だが、それらを知る過程で、他人の傷を自分の中に受け入れていたのだ。

 それが心なのか、体なのかは分からない。

 しかし、他人の傷を受け入れ続けた結果、彼女の心身は耐えきれなくなった。

 限界を迎え、体には無数の傷がつき、体調不良が続き、とうとう倒れてしまったのだ。

 そしてあかねが意識を失って倒れる原因を作ったのは――僕しかいない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ