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君の背中にはレッテルがある  作者: 川住河住
プロローグ
2/32

2話 笑えない

 四月。この時期の学校には、桜が咲いているのが一般的だろう。

 しかし、秋功学園(しゅうこうがくえん)の校舎に桜は咲かない。

 校舎へと続く緩やかな上り坂。生徒達にとっての通学路にも桜の木の姿はない。

 そのかわり、坂の始まりから終わり、校内に至るまで数えきれないほどのモミジが植えられている。また、学園の中庭には樹齢百年以上のモミジの大木がある。その木の下で愛の告白をして結ばれた二人は、一生幸せになるという言い伝えまである。この他にもいくつか伝承があり、生徒たちの間では『秋功学園の七不思議』と言われているらしい。

 まだ芽吹き始めたばかりのモミジ並木の坂道を上りながら、僕は独り言をつぶやく。

「どこまで自分大好きなんだろうね、この学校の創設者は」

 校門が見えてきたところで一旦立ち止まり、校章バッジを学生服の襟元に付ける。校章のモチーフは、もちろん紅葉だ。鮮やかな朱色の校章が日の光に当たってキラリと光っている。

「おはようございます」

「はい。おはようございます」

「おはようございます。校章はあるな」

 校門の両脇に立っている教師二人に頭を下げてあいさつする。

 それから、失礼しますと言って先に進む。

「君、校章はどうした?」

 後ろを振り返ると、後ろを歩いていた男子生徒が注意を受けていた。

 どうやら校章バッジを付け忘れていたらしい。教師が毎朝校門に立っているのはあいさつが目的ではなく、生徒が校則違反をしていないかチェックするためだ。

 入学式を終えたばかりでまだ一週間と経っていない。新入生なら校章をつける義務があることを知らなくても仕方ない。この時期の恒例行事だ。そのうち付け忘れることもなくなるはずだろう。

 前に向き直り、歩を進めようとしてすぐに足を止める。

 先ほどまで誰もいなかったところにスーツ姿の男が立っていたのだ。いつもは教師二人だけなのに今日は三人目がいたのか。

「お、おはようございます」

 驚きながらも僕はあいさつをする。

 名前も知らないし、顔も見覚えがないけれど。

 相手は何も言わない。ただ黙って驚きの表情を見せていた。

「失礼します」

 男の脇をすり抜けて小走りで正面玄関へ入った。

 下駄箱から上履きを取り出していると、正門から教師の怒声が聞こえてきた。

「その格好はなんだ!」

 玄関にいた生徒達が思わず正門に目を向ける。

 視線の先には、背の高い女の子が不機嫌そうな顔で立っている。しかしその姿は、この規律厳しい秋功学園には似つかわしくない格好をしていた。いや、確かにそれは制服と言えば制服だが……。

「学校指定の制服はどうした!」

 彼女が着用しているのは紺色のジャケットにチェック柄のスカート、いわゆるブレザーである。

 本来なら秋功学園の女子生徒は、黒のセーラー服に真紅のスカーフを巻く。男子生徒は詰襟タイプの真っ黒の学生服、いわゆる学ランを着る。それが百年以上続いている秋功学園の伝統的な制服だ。

「それからその髪も校則違反だ!」

 教師たちが大きな声で説教するからここまで内容が聞こえてくる。

 しかし、ここからではハッキリと判別できない物もある。

「彼女は【不良】かな?」

 目を細めて校門の前にいる女子生徒を見ていたら、ふと名前の分からない男のことを思い出した。

 辺りを見回したけれど、どこにも姿は見えなかった。

 その謎の男を見たのは、この時が初めてだった。


 次に見かけたのは、委員会の会合があった日のことだ。

「それでは来週から昼休みと放課後に図書当番をお願いします。今日はこれで解散ね」

 司書教諭の雪森良枝(ゆきもりよしえ)先生が委員会の会合終了を告げる。

 その言葉を受けて、生徒達は椅子から立ち上がって図書室をぞろぞろと出ていく。学校の授業はもうないので部活動に行くか、帰宅するのだろう。

 僕も帰ろうと思い、椅子に座ったまま軽く伸びをした。

「まーさーみーちゃん」

 背後から声がかかった。

 男の僕をちゃん付けで呼ぶのは、あの人だけだ。

「何ですか先輩。あ、これからは津川委員長と呼んだ方がいいですか?」

「今まで通り先輩でいいよ。でもうれしいなぁ。また図書委員会に入ってくれるなんて思ってなかったから」

「約束したんだから当然ですよ。先輩との約束を守るのが後輩としての役目ですから」

「あはは。でもいいの? 生徒会から誘われていたんでしょ?」

「いいんですよ。生徒会には優秀な人が必要ですから。【劣等生】の僕では務まりません」

「こら。真実(まさみ)ちゃんのそういうところ直した方がいいよ。去年の図書委員会の仕事ぶりを見たら君も優秀だって分かるもの。だから、そんなに自分を卑下しないで。ね?」

 津川香夏子(つがわかなこ)先輩は、屈託のない笑顔でそう言った。首を傾げた時に少しだけ眼鏡がズレた。落ち着いた色合いの縁の眼鏡が彼女にとても似合っていると思った。

「ありがとうございます。先輩」

 自分もできる限りの笑みを浮かべて感謝を述べる。

「あらあら。あなた達の仲の良さは変わらないわね。それで本当に付き合っていないの?」

 司書室に引っ込んでいた雪森先生が本を何冊も抱えて出てきた。

「違いますよー。私と真実ちゃんは……そう、姉と妹みたいな関係ですね」

 変わらず屈託のない笑顔で言う先輩。しかし、聞き流してはいけない言葉が聞こえてきたぞ。

「いやいや先輩。僕は男ですから。そこは普通、姉と弟じゃないですか?」

 関係性についてはどうでもいい。けれど、せめて男として扱ってほしい。

「えー、やだ。なんかやだ。私は妹が欲しいの。だから真実ちゃんは妹!」

 なんてわがままだ。しかし、先輩のわがままを聞くのは後輩の役目ではないと思いたい。

「そういうことは、先輩のご両親にお願いしてください」

「真実ちゃん。それは、私以外の人に言ったらダメだよ? セクハラだよ? 一発アウトだよ?」

「うふふ。本当に仲がいいわぁ。そんな仲良しの二人にお願いがあるの。いいかしら?」

 わざわざ僕たちをからかうために来たのかと思ったけれど、手に抱えた書籍は委員会の仕事だったか。こんなことなら早く帰れば良かった。

 そう思いつつ僕は二つ返事で了承する。同時に先輩も了承した。

「その本を棚に戻せばいいですか?」

「そう。ごめんね。これから職員会議に参加しないといけなくて」

「いいですよ。じゃあ私が一階をやるから、真実ちゃんは二階をお願い」

「はい。承知しました」

「ありがとう。助かるわ。帰る時は鍵をかけなくていいから。じゃあね」

 雪森先生は、急いで図書室を出ていく。僕は、少し開いていた戸をしっかりと閉め直した。

 津川先輩が一階と二階の棚に入れる本を素早く分けてくれた。さすがに三年も図書委員会に所属しているから慣れている。僕は、分けてもらった本を持って階段を上っていく。

 秋功学園の図書室は、図書館と言い換えても良いくらい広い。二階建て、地下室の書庫も含めれば三階建ての建物を図書室に使う高校は、なかなか見られない。蔵書数の多さは、全国でもトップクラスではないだろうか。その点だけは、この学園の創設者に感謝したいところだ。

 考え事をしながら歩いていると、棚の影から人が飛び出してきた。

「うわっ!」

 危うくぶつかるところを何とか避けた。幸い本も落としていない。

 ホッと胸をなで下ろして目線を前に戻すと、校門の付近でぶつかりそうになった男がいた。先日会った時と全く同じ格好をしている。僕も驚いているが、相手も心の底から驚いたような表情をしている。

「すみません。大丈夫ですか?」

 相手からの返事はない。男は驚いた表情を隠さぬまま、じっとこちらを見つめている。

「あの、職員会議に出なくていいんですか? もう始まっていると思いますよ」

 この男が誰なのか、僕には分からない。教師かどうかも分からない。

 もしかしたら、不審者という可能性だってある。

 しかし、ここは校舎の本館から離れた別館だ。こんなところで大声で助けを呼んでも気づいてもらえない。

 しかも今、一階には津川先輩がいる。もしこの男が不審者で下手に刺激してしまったらどうなるか分からない。

「ああ……」

 謎の男は、目をあちらこちらに泳がせながら答えた。その声は、喉の奥からしぼり出すように掠れていた。

 男はゆっくり立ち上がって、足早に一階へと下りていった。

 僕もすぐに振り返ってその後を追う。すると誰かが階段を上ってくる音がした。

「終わった?」

 津川先輩だった。その顔を見て緊張の糸が少し解けた。

「先輩。降りていった男の顔を見ましたか?」

「誰とも会わなかったけど?」

 予想していなかった返答に面食らう。だが先輩は、再び語気を強めて返答する。

「だから誰とも会わなかったよ。それに、誰かが出たり入ったりすれば扉の開け閉めの音で分かるでしょ?」

 先輩は残っていた本の一冊を棚に戻すと、先に階段を下りていった。

 僕も最後の一冊を戻してすぐに先輩の背中を追った。

「【ズレ】って何だろう」

 先輩に聞こえないように小声でつぶやいた。



 そして今日の昼、僕は正体不明の謎の男を見た。これでもう三度目だ。

「あっ」

「どうした?」

 僕が急に足を止めたので友人も足を止める。

 化学室から自分の教室に戻る途中、弁当を家に忘れてきたことに気がついたのだ。食卓の上に置いてあった弁当箱を持ち、玄関先まで来たことは覚えている。

 しかし、今日は鞄に入れる教科書が多くて入れ忘れてしまったのだ、と言い訳する。ああ、笑えない。

「だったら今日は、購買でパンだな。仕方ないから俺も付き合ってやるよ」

 友人は、慰めるような口調でそう言った。

 普段、僕が持ってくる弁当のおかずをおすそ分けしてもらっているせいか、その表情は少しだけ暗い。だが僕の立場からすると、おすそ分けというよりも横取りされているという感覚に近い。

 仕方ないと諦めて再び歩き出そうとしたところ、僕たちの脇を一人の女子生徒が通り過ぎていく。すぐに誰か分かって咄嗟に目を逸らした。

 友人の顔を見ると、彼女に見惚れてボーっとしている。きっと背筋をピンと伸ばして前を向いて歩いているだろう。

栃尾(とちお)さん、なぁ。なんていうか、なぁ」

「なぁって何だよ。言いたいことがあるならハッキリ言えよ」

「あの長い黒髪はすごく綺麗だ。でも、顔はあまりパッとしないというか地味というか」

「失礼な奴だな」

「それから胸がもっと大きければ最高! 言うことなし!」

 僕はため息をついてまた歩き出す。慌てて友人もついてきた。

 二年一組の教室に戻ってきたら昼食の時間である。友人と共に購買に行こうと、鞄から財布を出そうとしたらなぜか弁当箱が入っていた。

 先ほどまで鞄に入っていたはずの教科書は、ご丁寧に机の中に入れられている。

 家に忘れた弁当箱を誰かが届けてくれたのだ。その誰かは、考えるまでもない。

 まだ近くにいるかもしれないと思い、慌てて廊下に出るとすぐに見つけた。彼女の後ろ姿を。

「あ……じゃなくて、と……」

 声を出して呼び止めようとするが、上手く言葉にならない。 

 いつの間にか謎の男が目の前に立っていたからだ。今日も黒いスーツを着ている。おそらくネクタイも同じものだと思う。

 男の目線と僕の目線が合う。睨みつけるでもなく眺めるでもなく、じっくりと観察するような目をしている。

「失礼します」

 僕は頭を下げて教室に戻った。



 そろそろ男の正体をしっかり調べないといけない。そう思っていた矢先のことだった。

「まさか能力のことがバレるとは思いもしませんでしたよ」

 ふて腐れたようにつぶやいて自分の席に座った。

 男は教壇に立ったまま笑う。

「俺は最初に会った時、こいつはもしかしたらって思ったぜ。二度目に言葉を交わした時は、確信に変わった」

 最初に会った時にすでに気づかれていたのか。

 この能力は使っている時と使っていない時で僕の見た目に変化はない。目を開けていれば常に能力を使っているようなものだから。

 能力を使うと目が真っ赤になるわけでも、髪の毛が逆立つわけでもない。

 だとすると、やはり声に出していたのがいけなかったかもしれない。

「三回目の今日は、僕がどのクラスにいるのか探していたってところですか」

「ああ、その通りだ。それで、俺の頼みを聞いてくれるか?」

「いいですよ。そのかわり、僕の能力のことは他言無用でお願いしますよ」

「ああ。といっても、俺がいくら言葉を発しても誰も気づいちゃくれないがな」

 何だろう。彼の話と僕の話がかみ合っていない気がする。

「しっかし、見える奴なんてすぐに見つかると思ったけど、意外といないんだな。テレビじゃその手の番組がバンバン放送されているのに。ようやく協力者が見つかってよかったぜ」

「他人に貼られたレッテルが見られる能力を持つ人間なんて、そういないと思いますけどね」

「は?」

「え?」

 どういうことだ。何か間違ったことを言っただろうか。

 疑問符が頭の上に二つ三つと浮かび、その間に謎の男がゆっくりとこちらに近づいてくる。

 しかし、その動きはおかしいとすぐに感じた。

 本来なら教壇から降りて歩いてくるところ、彼は真っ直ぐ教卓に向かってくる。

 けれど男の体はぶつかることなく、教卓をすり抜けた。生徒の机も椅子もすり抜けて、ふわふわとこちらに飛んできたのだ。床に足はついておらず、常に体が浮いている。

「我輩は幽霊である。名前はまだない。というか、覚えていない」

 何がおかしいのか、謎の男はニヤリと笑ってみせた。

「笑えない……」

 そこで僕は、ようやく自分の勘違いに気がついた。


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