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君の背中にはレッテルがある  作者: 川住河住
第二章【春】
17/32

17話 将来

「たかがキスとハグした程度でぐだぐだ言うんじゃねぇ!」

 直後、蒲原の目がゴミを見るような目つきに変わった。

「最低ですね。幻滅しました。そんな人とは思いませんでした」

「ごめんなさい。すみません。今の無しでお願いします」

 まずいまずい。思考から口調まで全てあいつに似せてしまってはダメだ。

 深呼吸して考えを整理する。改めて僕の思考と口調で話す。

「蒲原は前に言っていたよね。将来なる職業があるって」

「ええ、言いました。でも、それと今回のことが関係あるんですか?」

「もしも将来そういう職業に就くなら、キスやハグ、胸を揉まれる程度では済まないよ?」

 蒲原が口をつぐんだ。

「名前も年齢も知らない男を一日に何人も相手にしなければいけない。拒否してはいけない。将来そういう職業に就くことを考えている女の蒲原なら……この意味、分かるよね?」

 彼女は目を伏せて、何も答えようとしない。

 もしも彼女が就活生だとしたら、業界研究と自己分析が足りませんと苦言を呈するところだ。

「やめた方が良いよ。蒲原には、その職業が向いていないと思うから」

「か、覚悟はできています。あたしにもできますよ」

 威勢は良いけれど、その声が震えているのは誰が聞いても明らかだ。

「でも、さっき体が震えていたよ。ごめんね。好きでもない男に抱きつかれて怖かったでしょ」

 蒲原がまた口を閉ざした。

 まだ高校生の彼女がどうして0番街で働こうなんて考えるのか。僕にはさっぱりわからない。

「怖くないです。全然怖くないです。怖かったとしても、そのうち慣れます」

「嘘をつかないでいいよ」

「嘘じゃありません! だって母は……その仕事であたしを育ててくれたから」

 蒲原は、今にも泣き出しそうな声で訴えてきた。

 ああ、この子は本当に優しい子だ。同時に、こうも思った。

「後輩はバカですか?」

 ついうっかり口を滑らしてしまった。

 だが以前、蒲原が僕に対して言ったことだ。前回の仕返しだと思って気にしない。

「それともアホですか?」

 僕は、ヘラヘラ笑ってさらに煽る。

 二言目を口にしたところで蒲原が怒りを露わにした。

「バカって何ですか。アホって何ですか。こっちは真剣に悩んでいるんですよ!」

「蒲原のお母さんが0番街で働いていたということは分かった。でも、だからといって蒲原も将来0番街で働く必要なんてない。政治家じゃあるまいし、【娼婦】は世襲制じゃないんだよ?」

「そんなこと分かってますよ! 何ですか。何なんですか。先輩は、あたしのことも母のことも何も知らないじゃないですか。それなのに、好き勝手言わないでくださいよ!」 

「なら話してほしい。どうして0番街で働こうなんて言うのか」

 いっしょに夕日を見た時、彼女はなりたい職業とは言わなかった。なる職業と言ったのだ。本当は、やりたいなんて少しも思っていないはずだ。それなのに、どうしてそんな将来設計を立ててしまったのか。

「母は0番街で働いていました。だから、私も将来は……」

「さっきも言ったけど、その職業って世襲制じゃなくて自由業だよ」

「分かっています」

「それに、蒲原の人生とお母さんの人生は別だよ?」

「それも分かっています……」

「だったらどうして」

「先輩は知っていますか? 【娼婦】の子どもは、将来【娼婦】になりやすいそうですよ」

「そんな話、聞いたことがないけど……」

 誰がそんなことを言ったのか、と思ったけれど、聞かなくても分かった。蒲原や彼女の母の背中にレッテルを貼り付けた奴らだ。

「母は、高校を卒業する年にあたしを産みました。周囲の反対を聞かず、自分一人で育てると言ったら、家を追い出されたそうです。実の父親のことは、詳しく知りません」

 彼女の赤みがかった茶髪。もしかしたらこれは、父親の遺伝ではないだろうか。

「実家を勘当されて頼れる人がいない。子どもを抱えた高卒の女が働ける場所……。この町の人間なら誰もがあそこだって考えますよね」

 蒲原が少しだけ悲しそうな顔をした。僕は、何も言わずに黙って彼女の話を聞く。

「母が0番街で働いていたことは、否定しません。ていうか、否定できるわけがありません」

 僕は黙って頷く。他人の人生を否定する権利など、誰にもないのだから。

「でも、ダメなんです。どうしても受け入れられないんです……」

 何のことか聞かなくても分かる。僕には優れた観察眼はないけれど、忌々しい見える能力があるから。

「母が必死に働いて、お金を稼いで、あたしを育ててくれたことには感謝しています……」

「うん」

「母が0番街で働いていたことも知った上で、再婚してくれた継父にも感謝しています……」

「うん」

「他人の継父が受け入れられたのにどうして……娘だから受け入れなきゃいけないのに……」

 血の繋がりだけが家族ではないように、家族だから受け入れなければならない訳でもない。むしろ家族だから受け入れられない。母親と同じ女だから、受け入れられないのではないか。感謝と嫌悪の気持ちがごちゃ混ぜになり、そのせいで気持ちの整理がつかないのだろう。

「蒲原は、本当に優しくて良い子だよね」

 自然と言葉が出ていた。けれども、その言葉は彼女の耳に届いていない。

「蒲原のお母さんとも少し話をしたけど、すごく頭が良い人だと思うよ」

「父親が誰かも分からない。実家から勘当される。育児できる環境が十分整っていないのに、高校生で妊娠して出産した女ですよ? 計画性がなさすぎると思いませんか?」

 顔では辛そうにしているのに、なかなか冷静で辛辣な意見が返ってきた。

 母親に似て、この子も頭が良いな。将来、どんな女性になるのだろう。

「それでも蒲原のお母さんは、困難な状況で最も合理的で現実的な判断をしたんだと思う」

 愛がなくても結婚はできるけれど、お金がなくては生活ができない。この国で母と子どもが二人で暮らしていくためには、たくさんのお金を稼がなければならない。数ある業種職種の中で、高校を卒業したばかりの女性が大金を稼げる仕事といえば限られてくる。しかもここは、都会ではない。大して栄えてもいない地方都市だから、選択肢はさらに絞られる。

「それは、短絡的の間違いじゃないですか」

 なおも冷静で辛辣な意見が飛んでくる。

「じゃあ、高い給料をもらえる仕事って他に何があると思う? 高校を卒業したばかりで、生後間もない子どもを連れた女性が就ける仕事って何?」

 少し意地悪かもしれないと思ったけれど、僕は彼女を救いたいという一心で口を開く。

「国からの手当や補助金もさほど期待できない。そんな中で最善策を選んだと思わない?」

「それは、先輩が他人だから言えるんですよ」

 その通りだと思う。もし僕が蒲原の立場だったらこんなことを言えるはずがない。けれど、他人だから言えることもあるはずだ。

「話は戻るけど、他人の僕から言わせてもらうと、やっぱり蒲原が【春】を売る必要はない」

 蒲原の母は、0番街でもかなりの有名人で売れっ子だったらしい。【椿姫】というレッテルが貼られるほどに。だがそれ以外は、貼り付けた奴らの神経を疑いたくなる。

「他人からなんて言われたか分からないけど、気にし過ぎだよ。自分は自分、他人は他人だよ。蒲原のことを何も知らない奴らの言うことなんて聞く耳を持たなければいい」

 蒲原の母は、時代や土地が違えば花魁や高級【娼婦】と呼ばれていたかもしれない。しかし、あまりにも有名になりすぎた。有名すぎる故に辞めた後も未だにレッテルが貼りついている。好きな男を見つけて再婚し、0番街から離れられたというのに、なんて皮肉な話だろう。

 そしてそれは、世代を超えて娘にまで影響を及ぼしている。きっと大人たちが蒲原を見る時、直接彼女を見ていない。0番街で働いていた女の娘として見ているのだ。いつからこの国の男は、股間で思考するようになったのだ。恥を知れ。

 そんな男達の欲望と蒲原の美貌が悪い方に作用した結果、レッテル【春】が貼り付けられた。蛙の子が蛙なら、【娼婦】の子は【娼婦】になれと言うのか。たとえ男の目を惹きつけて離さない体に育ったとしても、彼女が【娼婦】になる必要なんてない。そんな理屈が通るわけない。

「なら先輩も他人です。あたしのことを何も知らないじゃないですか」

「知っているよ」

「あたしの何を知っているんですか。嘘をつかないでください」

「嘘じゃない。蒲原を抱きしめた時、その体の細さと柔らかさに驚いた。僕よりも身長が高いから、もっとガッチリした体格だと思っていた。でも実際は、脂肪と筋肉がバランスよくついていて、ちょうど良い柔らかさで抱き心地は最高だった。その大きな胸もブラの上から揉んだのに柔らかさが手のひら全体を通して伝わってきた。そのうち温もりまで感じられるんじゃないかと錯覚したよ。生で触れば手が吸いついて離れなかったかもしれない。それからほっぺたも指で突いたらふにっと柔らかそうだし、お尻もきっと……」

「先輩は、変態ですか?」

「ごめん。今の言葉は聞かなかったことにしてください。もう一度チャンスをください」

 おかしい。まだ幽霊の思考にとらわれているのかな。スーツ姿の変態野郎と同じ思考回路になるなんて嫌だ。僕はこんなことを言いたいわけではない。蒲原を救いたいのだ。

「蒲原の髪は、すごく綺麗だと思う。いっしょに夕日を見た時、髪の毛が夕焼け色に染まってとても美しかったよ。だけど蒲原の魅力は、外面よりも内面にあると思うな」

 蒲原の汚物を見るような目に少しだけ光が射した。

「津川先輩も雪森先生も言っていたよ。蒲原は、素直で優しくて良い子だって」

 お持ち帰りしたい、と津川先輩が言っていたけれど、これは黙っておこう。

「僕も彼女達も他人だ。でも、赤の他人よりは知っているつもりだけど、どうだろう?」

 僕らの意見にほんの少しだけでもいいから耳を傾けていただけませんか、と問いかける。

 だが、彼女を説得するにはまだ言葉が足りない。

「蒲原のお母さんは、0番街で働くことを選んだ。それを僕は、現実的で合理的だと思った。けれど蒲原は、短絡的だと言った。これは合っているよね?」

「……はい」

「僕らの意見は本人の意見ではない。いわば他人の意見と言うやつだ。どちらかが正しくて、どちらかが間違っているなんてことは判断がつかない。でも……」

「……先輩は、何が言いたいんですか」 

 どうかもう少しだけ黙って聞いてほしい。僕の耳障りな屁理屈を。

「ついさっき思いついたんだけど、蒲原のお母さんの選択は正解だと断言できるんだ」

「どうしてそう言い切れるんですか。本人でもない他人なのにどうして分かるんですか」

 少しだけ元気を取り戻したのか、僕の言葉に喰ってかかる蒲原。

「なぜならこの国の憲法では、職業選択の自由が認められているじゃないか」

 僕は、笑顔を作ってそう言った。

「はぁ?」

 蒲原は、怒りと呆れの感情が入り混じった表情をしている。

「蒲原のお母さんは、自分の意志で職業を選んだ。だから国の視点で見ると、蒲原のお母さんの選択は、誰に責められる物ではないし、間違っていると言われる物でもないんだよ」

「国の視点って……職業選択の自由って……何ですかそれ」

 今度は、心底呆れた表情になった。真面目に考えたつもりだけど、やはり無理があったか。

「じゃあ、こういうのはどうだろう。【娼婦】は、一説によると世界最古の職業と言われている。その考え方でいくと、風俗産業というのは世界的に長い歴史のある産業ということになる」

「先輩は、何が言いたいんですか」

 今度は、今にも笑いそうな表情に変わっている。これは、呆れを通り越してしまったのか。

「つまり蒲原のお母さんは、世界最古の伝統産業の従事者だった……とは考えられない?」

 足りない頭をフル回転させて屁理屈を考えた。そして伝えてみたけれど、何を言っているのだ。かつてこんなにも頭の悪い説得があっただろうか。だが、僕の屁理屈はこれで撃ち止め。これ以上は何も出てこない。これでダメなら別の手を考えるしかない。

 蒲原は何も言わない。だが、そのうち両肩が震え、口元が緩みだした。

「先輩は、バカですか?」

 彼女は僕を見下ろして笑っている。

「失礼な奴だな。せめてアホと言ってくれ」

「えへへ。何ですか、職業選択の自由って。伝統産業って何ですか。バカです。アホです」

 改めて他人の口からそれを聞くと恥ずかしい。僕は何を熱弁しているのだ。

「蒲原が本当に0番街で働きたいというのなら、もう僕は止めない。むしろ応援したっていい。だけど、その気がないのなら僕は何度でも止める」

「先輩は……どうして私にここまでしてくれるんですか?」

 蒲原は不思議そうな表情で見つめてくる。

「後輩を救うのが先輩としての僕の役目だから」

 幽霊から、また気障なことを言いやがって、と言われると思った。だが、彼は姿を見せない。

「えへへ。ありがとうございます、真実先輩」

 そう言って笑う蒲原の顔は、母親によく似ている。

「あたしが間違った道に進んだり道を踏み外したりないように、ずっと見ていてくださいね。 約束ですよ?」

 正直、そんな面倒くさいことお断りしたい。けれど、断ることができる雰囲気ではないので、僕は苦笑することしかできない。

「あたしの胸を鷲掴みにして、唇まで奪ったんですから。それくらいの責任取ってくださいよ。初めてだったんですよ?」

 そう言って蒲原が指を口元に持っていく。その妖艶な姿も彼女の母親の姿と重なって見えた。本当に将来が楽しみな子だ。

 本館に戻るため、渡り廊下を歩いている時、蒲原が思い出したように尋ねる。

「そういえば嘆願書にどうして真実先輩の名前を書く必要があったんですか?」

 思わぬ質問が飛んできて僕は返答に困った。

「……どうして今さらそんなことを?」

「津川先輩に聞いても、雪森先生に聞いても、教えてくれないんですよ」

「それは……成功率を上げるための『おまじない』みたいなものだよ」

 適当に嘘をついてごまかした。


 その日、夜になっても幽霊は現さなかった。


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