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君の背中にはレッテルがある  作者: 川住河住
第二章【春】

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12話 制服の価値

 司書室に入ると、雪森先生が蒲原といっしょに長いソファーに座っていた。その前にある机の上には、一枚の紙が置かれている。僕は机を挟んで対面にある一人用の椅子に腰かけた。

「真実くん。ぜひ力を貸してほしいの」

 雪森先生が真剣な表情でこちらに訴えてきた。

「ここにある嘆願書を読んでくれる?」

 先生が机の上にあった紙を裏返して僕に渡してくる。題名は嘆願書。その内容は……。

「蒲原さんがブレザーを着用することを特別に認めてほしい、ということですか」

 僕は、書類の内容に誤りがないか尋ねる。先生が頷いた。

「秋功学園は、規則に厳しいですからね。しかも一人だけ特別なんて認められるかどうか」

「だから、あなたの力を借りたいの。お願い」

 津川先輩の申し訳なさそうな表情の意味がようやく分かった。

「理由を聞いてもいいですか?」

「正当な理由、納得できる理由がないとダメよね。でも、あのね……」

「あたしが話します。あたしのワガママでお願いするので、あたしが話します」

 ずっと閉ざしていた蒲原の口が開く。その表情は暗いままだ。

「先輩は知ってますか? 秋功学園の女子のセーラー服ってすごく人気なんですよ」

「秋葉市内の高校は、ブレザーが多いから黒のセーラー服は珍しいと聞いたことがあるけど」

「ネットオークションで高額出品されていることは知っていますか?」

「……知らなかった」

「制服姿で電車に乗ると痴漢に遭いやすいことは知っていますか? 乗客の少ない電車なのにわざわざ近くまで寄ってくるんですよ。おかしいでしょう」

「……」

「電車じゃなくても同じです。市内のコンビニでも本屋でも喫茶店でも駅前でも同じなんです。秋功学園のセーラー服を着ているというだけで男が寄ってくるんです」

「……」

「この気持ち……男の先輩に分かりますか?」

 涙は流していないけれど、蒲原の声は震えている。見かねた雪森先生が背中をさする。

 僕には分からない。蒲原がどれだけ辛い想いをしたのかも。彼女に群がる男の気持ちも。

 けれど、僕が今やるべきことは、はっきりと理解した。

「笑えない」

 書類を手に取り、雪森先生の机に移動した。置いてあった黒のボールペンを借りて署名する。自分の名前を書く時、いつも以上に手に力が入った。

 気分が悪いという蒲原を先に帰し、図書室の閉室作業をすることにした。司書室から出ると、すぐに先輩が気づいて頭を下げてきた。その行為の意味は分かるけれど、彼女が頭を下げる理由は分からない。

「どうして先輩が謝るんですか」

「真実ちゃんに嫌な思いをさせちゃったから」

 相変わらず申し訳なさそうな表情をしている先輩。苦笑して答える僕。

「一番嫌な思いをしたのは蒲原さんですから。それに、後輩を助けるのは先輩の役目です」

「さすが私の後輩で、妹で、未来のお婿さん候補ね」

 いつの間にか新たな肩書が付けられていた。まあ、レッテルではないから良いか。

「あれ、僕が婿に行くんですか?」

「その方が真実ちゃんにとっても都合が良いでしょ?」

 そう言って先輩は、にっこりと笑う。

 あれは自分の利益だけでなく、僕の利益も見越しての提案だったのか。

 だが、それでも僕には――。



「おはようございます」

 住み込み家政婦のあかねさんの声がドア越しに聞こえてきた。その声でようやく目が覚める。目覚まし時計のアラームは設定したはずだが、寝ぼけて止めてしまったのだろうか。

「おはようございます。朝食のお時間ですよ」

 またあかねさんが声をかけてくる。まだ眠気はあるけれど、布団から起き上がって返事ができるほどには目が覚めた。

「おはようございます。すみません。今、起きました」

 ややあって彼女が心配そうな声で尋ねてくる。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫です。少し疲れていただけですから。気にしないでください」

「あの、もしもお疲れなら私が……」

「ダメだ!」

 思わず怒鳴ってしまった。どうしてもその後の言葉を聞きたくなかったから。

「す、すみません」

「いえ……こちらこそすみません。あかねさんも学校があるから先に行ってください」

「はい、失礼します。でも、どうか無理はなさらないでください」

 廊下を歩く音が遠ざかっていく。僕は、頭を抱えてその場にしゃがみ込む。

「はぁ。何をやってるんだか」

「ナニをヤってるとは、朝からお盛んだな」

 幽霊がふっと現れたので体がビクッと震えた。昨日の放課後から今までずっと姿を見ていなかった。慣れてきたとはいえ、今のは本当に驚いた。

「昨日あれからどこに行ってたんだよ。探したんだぞ」

「すまん。すぐ近くにはいたんだが、PPを消費し過ぎて意識を失って姿を消していた」

 死んでいる幽霊が意識を失うとはどういう状態だ。それからPPとは何なのだ。いつも適当なことや冗談を言ってごまかしているが、今日こそ本当のことを聞きだしてやろう。

「幽霊。お前、何か隠していないか?」

「女子生徒に憑依しなかったのは悪かったと思っている。だけど……」

「そのことはもういい。お前が隠していることを話せば許してやる」

「そうか。でも、まさかあんな簡単にガラスが割れるとは。気分は最高だったけどな」

「ごまかすな」

 僕の真剣な表情を見て、幽霊が黙る。それから諦めたようにため息をついて口を開く。

「仕方ない。これは言いたくなかったんだが、お前には背後霊の弱点を教えてやろう」

「弱点?」

「ああ、背後霊を成仏させる方法だ」

 いつもの冗談かと疑ったが、彼の表情は真剣そのものだ。

「背後霊の弱点。それは、生きた人間に背後をとられることだ!」

「お前は、どこの殺し屋だ」

「常に人間の背後に立つことが背後霊としての矜持だ。それなのに背後をとられたら……もう成仏するしかないだろ!」

 人間の正面に現れたり窓を叩き割ったりする背後霊に矜持があるのか。だが確かに、こいつの背中を見たことは一度もない。背後にいる時はもちろん、僕の正面に現れる時も必ず体の前面を向けていた。しかし、ヘラヘラ笑って話しているからいつもの冗談だろう。

 諦めて制服に着替えることにした。僕は背後霊でないから背中を見せても問題ない。それに、こいつは黒い影を見ることができても、レッテルは見られないのだから。

「なあ。お前も隠しているだろ?」

「何が」

「メイドのあかねちゃんのこと」

 その言葉に少し動揺した。心を落ち着かせてからワイシャツに袖を通す。

「あかねさんがどうかした?」

「年上のメイドさんはお前の部屋に入ってくるけど、あかねちゃんは入らないよな。俺、あの子の姿を見たことないんだ。可愛いのか? 美人か? 胸は大きいのか? どうなんだ?」

 幽霊がここに来てから一月以上経つ。てっきり家の間取りから住人の顔や名前まで全て把握していると思っていた。けれど、この口ぶりからするとまだ彼女のことを知らないのか。

「お前……まさか欲情に駆られてあの子を……。だから部屋に入ろうとしないのか」

「次に変なことを口走ったら背後をとって成仏させるからな」

 最後に、学生服の上着を着てから部屋を出た。



 昼休みに昼食を食べ終えると、友人をその場に残して立ち上がった。

「おい。顔色悪いけど、大丈夫か?」

「大丈夫だよ。指導室に行くだけだから」

「分かった。何か問題を起こしたから気分が悪いんだろ。何だ。何をやらかした?」

「そんなんじゃないって」

 友人の軽口を適当に流して僕は教室を出る。歩き始めてすぐに背後から声がかかった。

「あの、真実さん。大丈夫ですか?」

 後ろを振り返って驚いた。学校で彼女に話しかけられるなんて思いもしなかったから。

「あ……栃尾さん。心配してくれてありがとう」

 少し詰まったけれど、どうにか言葉が出た。笑顔は上手く作られていただろうか。

「あかねちゃん。友人。ぺったんちゃん。今日は朝から心配されてばかりだな」

 ぺったんちゃんて誰だ、と一瞬思ったが、背後をとってやろうかと怒りを覚えた。

 指導室まで来ると、呼吸を整えてから戸を三回叩く。

「入れ」

 すぐに野太い声の返事が聞こえたので戸を開ける。

「失礼します」

 生徒指導担当の教師が腕組みして椅子に深く腰掛けている。レッテルは【熊】。生徒達の陰口がそのままレッテルになったのだろう。その隣にいるのは、蒲原のクラスの担任教師かな。早くここから離れたい、と居心地悪そうな顔をしている。隣に険しい顔をした巨体の【熊】がいるからだろう。そして大きな机を挟んで蒲原と……誰だろう。隣に見知らぬ女性が座っている。

「こちら、蒲原のお母様」

 担任教師が紹介してくれた。言われてみれば顔立ちが似ている。

「この度は娘がお世話になりました」

 蒲原のお母さんが立ち上がってこちらに頭を下げる。背はそれほど高くないけれど……。

「その大きさは遺伝だったのか!」

 変態幽霊が喜びの声を上げる。こいつ、他に言うことはないのか。

 どちら側に座れば良いのか迷った末、蒲原の母親の隣に座ることにした。

「嘆願書は読んだ。だが、一人だけ特別なんて認められない」

 【熊】が険しい顔を崩さないまま話す。却下されることは予想していたが、すでに嘆願書を読んでいることに驚いた。雪森先生が昨日のうちに話を通してくれたのか。仕事が早い。

「すみません。この子にも制服を着るように言っているんですが……」

 蒲原の母が申し訳なさそうに頭を下げる。見かねた担任教師が助け船を出す。

「しかし実際に被害が出ているようですし、そのことで彼女は嫌な思いを……」

「なら他の生徒達はどうするんですか。同じように被害を訴える生徒がこれから出てきたら、その度に認めるんですか。そんなことできるわけがないでしょう」

 確かに【熊】の言う通りだ。一人を認めてしまったら二人目三人目も認めなければいけない。そんなことを続けていけば、制服をセーラー服からブレザーに替えるしか解決方法がない。

「お母さん。前回もここに来てもらった時に言いましたが、制服のことだけじゃないんですよ。その髪の毛も校則違反なんですよ。何度言っても黒に染め直さないんですよ」

 言われて蒲原の頭を見ると茶色の髪。というか、赤みがかった茶色に見える。

「これは地毛です! そのことは前にも言ったはずです!」

「嘘をつくな!」

「あの、その件は今じゃなくても……」

 蒲原と【熊】が声を荒げる中、おどおどしながら担任教師が仲裁に入る。

 だが、このままでは話が進まない。無理矢理でもいいから何とか話題を変えよう。

「多分、染髪ではないと思いますよ。すごく綺麗な髪色ですよね。僕は好きだなぁ」

 笑顔を作ってそう言った。それから母親に間違いがないかどうか確認する。

「はい。この子の髪は染めていません。地毛です。元からこういう髪色なんです」

「それなら髪の件は、お母さんに念書を書いてもらいましょう。それならいいですよね?」

 教師達は黙っている。けれど、何も言ってこないので不満はないと判断する。

「制服の件は、すぐに対応することが難しいのは承知しています。けれど嘆願書を受け取って読んでしまった以上、何も対応しない訳にはいきませんよね?」

「しかし、特例を認めてしまうと……」

「認めなくていいですよ」

 皆から、え、という声があがる。当然の反応だ。

 それでも僕は、気にせず話を続ける。

「他人の目があるところでは注意して、他人の目がないところでは黙認してあげてください。そのうちみんなも蒲原さんがブレザー姿ということにも慣れるんじゃないですか?」

「それでは根本的な解決になっていないだろう。彼女だけ校則違反を認めろと言うのか」

 【熊】は、生徒指導という仕事に誇りと情熱を持っているようだ。自分の職務をしっかりと全うしようとしている。それは、とても素晴らしいことだと思う。けれど、そこに人の命が関わっているとなったらどうするだろう。

「先生方のお怒りはごもっともです。しかし、制服を着たくないという生徒に無理矢理着せて、それが原因で自殺してしまったらどうしましょうか」

「じ、自殺って……そんな……」

「あくまで最悪の場合です。蒲原さんは、夢と希望を抱いてこの秋功学園に入学してきました。最初は、セーラー服を着ることに何の抵抗もなかったでしょう。その時はまだ、夢と希望で胸がいっぱいで、制服が原因で嫌な思いをするなんて考えもしなかったと思います」

 皆が一様に僕を見ている。その表情は、何とも複雑で表現しがたい。

「けれど今の彼女は、制服を着られません。それだけ辛い思いをしたのだと思います。僕には、その辛さが分かりません。でも、あまりの辛さに不登校になっていた可能性だってあります」

「くくく」

 笑いをこらえていた幽霊が声を出し始めた。

「それでも彼女は、こうしてブレザーを着てまで学校に通っている。その意味が分かりますか? それは、この学校で学びたい、勉強したいという強い意志があるからです!」

「くくく。教諭を二人も目の前にして、よくもまあこれだけ屁理屈を言えるものだな」

 とうとう幽霊が腹を抱えて笑いだした。僕は真面目に話しているだけなのに。失礼な奴だ。

「今は不登校も自殺も起きていません。けれど、人の心の傷は他人の目から見えないものです。彼女の心の傷が知らぬ間に悪化してしまったらどうしますか」

 僕は、もう二度と人が傷つくところを見たくない。

「もしも万が一、最悪な出来事が起こってしまった時、学校側の対応に問題はなかったのか、責任は誰にあるのか、と色々な方が騒ぎ出しますよ?」

 ここで一旦止めて、責任の所在や騒ぎ出す方々のことを想像してもらう。

「そうなったら、嘆願書をお読みになり、当事者であり責任者の先生方はどうされますか?」

 二人は、しばらく考えてから嘆息した。それから僕と蒲原は、部屋を出るように言われる。

 その場ですぐに答えが出るとは思っていない。こんなものは、ただの時間稼ぎでしかない。問題を先送りにしただけだ。それでも僕は、僕なりにこの問題を解決する方法を考えよう。

「先輩はバカですか?」

 蒲原の第一声は罵倒だった。僕には罵倒されて喜ぶ趣味なんてないぞ。

「バカとは失礼な。せめてアホと言ってくれ」

 僕なりの冗談を言ってみるが、蒲原は心底つまらないといった顔をしている。

「ブレザーを黙認させたら、あたしがさらにいじめられる可能性は考えなかったんですか?」

 表情を変えずに彼女は尋ねる。僕は笑顔を作って答える。

「その時は、また図書室に逃げてくればいい。僕や津川先輩が助けるから」

「……お人好しなんですね、先輩は」

「いや、ただのバカだよ」

 そう言うと、彼女がほんの少しだけ笑った気がした。


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