災難の予感
「アイザック様、こちらをお掛け下さい」
従者が膝掛けをアイザックの肩からふわりと掛けた。
そしてメイドが、蜂蜜にレモーンという酸っぱい果物を搾った温かい飲み物を持って来た。
アイザックは執務室で溜まった書類を前に背を丸めていた。
「お風邪でも召したのかと思いましたが、そうでも無さそうですね」
「そうなのだ、悪寒が、背中に寒気がするのだ」
「お風邪の引き始めでしょうか?お医者様をお呼びしますか?」
「暫く様子を見よう」
「喉は痛みませんか?」
「いや、大丈夫だ」
「ゆっくり、喉を潤すようにお飲み下さい」
蜂蜜レモーンを受け取り、ふうふう言いながらゆっくりと飲む。
ここは公爵領、パトリシアの一件が解決したので急いで戻って来たのだ。
暫く留守にしたので、仕事が溜まりに溜まっている。
緊急のものはクラーク領まで届けて貰ったが、パトリシアの知らせを受けて慌てふためき出た為に、全てがストップしていた。
決裁の必要が有るものが山積みだ、悪寒が何だ!
気を取り直して、ペンを取り指示を書き込んでいった。
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アイザックは仕事の合間に、パトリシアの事をいつも考えてしまう。
あの一件でパトリシアはとても苦しんでいた。
パトリシアの大好きなエリアル・クラーク夫人が怪我をされて、生きた心地がしなかったのだろう。
見る影も無くやつれた彼女を見た時に、我が事のように胸が痛んだ。
そしてあの両親。
馬車の中でパトリシアに聞いた話では、割とサラリと言っていた様に思うが、実際に会うと驚いた。
自分達の娘が巻き込まれて辛い思いをしているのに、一言二言声を掛けただけで義務は済んだとばかりの態度だった。
それでお節介かとも思ったが、パトリシアも両親に煩わされるのは嫌だろうと思い、お爺様のところを勧めてみたら直ぐに乗って来た。
パトリシアの味わって来た苦難の道のりに思いが及ぶ。
あの親ならば、親子の縁を切りたくなっても仕方の無い人達なのだと、痛感させられた。
彼女は強い人だ。
卑屈になる訳でもなく、自分の道を自分の手で切り開こうとしている。
そんな所に惹かれたのかな⋯⋯。
今まで女性は守るべきものだった。何か有れば彼女等は悲鳴を上げ、泣きそしてよく倒れる。
比べてはいけないのだろうが、他の貴族女性にパトリシアの辿って来た道が耐えられるだろうか?
そんな取り留めのないパトリシアを崇拝する気持ちが、今思い返すと自分でも怖かった。
忠告してくれたマーサさんには感謝すべきだろう。
今のアイザックは、取るものも取り敢えず駆け付けたが、一連の裁判まで見届けてなんと声を掛けて良いのか分からず帰って来てしまった。
常駐の使用人を置いているので、また何かあれば早馬で知らせてくれる事になっている。
人が弱っている時に、付け込みたくはなかった。
だから陰ながら力になろうと今は思っている。
マーサさんにもよく頼んできたので何かあれば頼ってくれるだろう。
自分でもいつもと違って、要領の悪い事よ⋯⋯と思う。
でも彼女が望んでいないのなら、気持ちを押し付けるべきではない。
アイザックはパトリシアから離れた事で、相手の気持ちを推し測ることが出来るようになっていた。
押し付けるだけが愛情じゃない。
時には見守る事が必要なのだ、例え彼女が私を選ばなくても⋯⋯。
アイザックは遠くに居るパトリシアの幸せを想って、暫し目を閉じた。
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アイザックは現在、領地経営と領内の公共工事の整備などを任されていた。
もう直ぐお爺様が引退される。
長男の父が公爵家を継ぎ、お爺様とロザリンド様は領内の一角にある別荘地に移られる予定だ。
領内は広い、此処からでも別荘地まで馬車で一日は掛かる。
子供の出産にも空気の良い自然が多いところが良いだろうと、お爺様たっての希望だそうだ。
生まれてくる子供と三人で、自然に囲まれたゆったりとした環境が理想なのだとお爺様は言う。
お爺様は今迄休む事無く、一族の為に働いてこられた。
老後はゆっくりと愛する家族と共に過ごして欲しい。
そしてパトリシアの姉のロザリンド様には、ストレス無く出産に臨んで欲しい。
その為急ピッチで、別荘地周りの環境整備を進めている。
元々は何も無い田舎の自然を楽しむ別荘地だった。
しかしお若い奥方の為に、退屈しない様にいろいろ配慮が必要なのだ。
「ロザリンド様はお幸せだな。あのお爺様がそこまでなさるんだから」
パトリシアの家族関係を知っているので、少々複雑な思いは有るものの、生まれてくる子供により良い環境を与えたい。
そろそろ移動にも支障がない安定期に入ったと聞く。
「そうだ、ロザリンド様にも希望を聞いておかないと」
少し離れた場所に大型商業施設を考えている。
出店予定の資料を眺めながら、王都に行ってリサーチする必要があるなと考えていた。
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アイザックの悪寒、それはある意味で予知の様な物であったのかも知れない。
迫り来る災難に否応なく巻き込まれる、本能からの警鐘であったのかも知れない。
本人の与り知らぬところで、都合よく歪曲させた思考の持ち主が手ぐすね引いて待っていようとは、思いもしないのであった。
そしてアイザックは知るのだ。
パトリシアが長年苦しんできた元凶の一人がとてもタチが悪い事に。
相手の気持ちも考えず、勝手な思い込みで関係ない人物を巻き込むタチの悪さを。
その身を以て知る事になる。
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