第二章・安息の地を求めて ②
程なく駆け足で進むと、綺麗に積み上げた石壁が崩れた痕跡もなく鋭利な刃物で開けられた様な不自然な穴が目に入る。
「ここです説明してもらえますね?」
捲し立てて詰め寄ってくる様子から、やはりここに来ることに不満があったご様子。
「わかってる。歩きながらな? ……お前たちがダンジョンと呼ばれているこれは、三代目の魔王が考案して作った移動要塞だ」
最弱の王と揶揄された王だが、彼が魔王城に残した数ある書物の中に要塞の設計から運用について記された物が存在する。子供じみた空想だと読んだ当時は一蹴していたが、彼が残した書物は理解できないことはあっても決して嘘はない。
「移動……要塞? からかっています?」
「いや、事実だ。最深部にはこいつを動かす装置が実在するしな」
人はそれをダンジョンコアと呼んでおり、壊す事を目標にしている。
「最深部……ですか」
地下三層で最深部にたどり着けたダンジョンもあれば、二十四層まで潜っても最深部にたどり着かないものもある。
「このダンジョンが浅いことを、祈るしかありませんね」
「深くても十層もないだろうな」
「わかるのですか?!」
ダンジョンの広さ深さは実際に入っていかなければわからないというのは人の常識だ。
「深いダンジョンってのは、決まって人の出入りが激しいからな」
言いながら内部に侵入する。
「確かにそうですが……、どういうことですか?」
頭を掻いて考える。相手が理解できていない事を説明するのは、言うほど簡単ではない。説明する側は対象について熟知しており、かつ相手に理解できる言葉を選んでいかなければならないからだ。
「そうだなぁ……まずは要塞がダンジョンと呼ばれる様になった原因だが、要塞は要塞の所有者つまり、魔力を供給してくれる者がいなくなった時、独りでに魔力を集める様に設定されているんだが、……どうやって集めると思う?」
ダンジョンに足を運び、ダンジョン内で魔物を倒したことであれば答えにたどり着くのは簡単だ。
「まさか……?」
ダンジョン内で倒した魔物はすぐに胡散する。
「あぁ魔力として吸収されているからだ」
「……では人も?」
ダンジョン内で誰か死ぬと人は捜索隊を出すが、見つかった試しがない。かろうじて遺体を持ち帰れた例は、亡くなってすぐに運び出した時だけだ。
「魔物ほど早くはないがな」
だとしても、遺体を回収する暇があれば逃げるのが普通だ。基本的には人の亡骸も吸収されてしまう。
「で、だ。……ダンジョン最大の謎にも明確な理由がある。内部の宝がなぜあるのかな」
冒険者と呼ばれる者たちが求めてやまない宝がどこからくるのか、もはや説明しなくても答えにたどり着けた彼女は手で口を覆った。
「死んだ人間の持ち物だ」
そうすることで、より多く人が訪れ、より多くの死が内部で起こり魔力が潤う。
「……そんな」
兵士や騎士がダンジョン内に足を運ぶのは、コアを破壊してダンジョンを消し去れる為だが、冒険者と呼ばれる者たちは宝を求めてダンジョンに入る。その宝が先輩たちの所持品だったとは夢にも思わんだろう。
「仕方ないさ。ダンジョンと化した要塞には一攫千金の夢があるからな」
下層で死んだベテランの冒険者がアイテム袋やボックスなどの高級品を持っていた場合、低層の宝箱に設置される可能性が十分にあり、それを駆け出し冒険者が見つけることができたのなら、一年は危険なダンジョン探索をしなくても済む。おまけにダンジョンで発見される武器や防具には何かしらの能力が付与している場合もあり、これまた一攫千金の可能性を秘めている。これらの理由から通い続ける者が後を絶たない。
「作った方の性格が悪いのはわかりましたが、持ち主がいないのに何故それほど魔力を集めようとするのです?」
「専ら防え……」
突然唇に指を当てられる。指を噛みついてやりたい衝動に駆られるが、戦闘前に怪我をさせる訳にもいかない。
「……数は?」
「三です」
戦闘と一括りにしても、味方の数や敵の数で状況は大きく変化し、目的が敵を殺す為か自分が生き延びる為かで戦い方は別物に変わる。
俺たちの目的は奥に進むこと。避けられるのなら避けて進むべきなのだが、一本道では避けて通れる道がない。
「大丈夫ですよ。私一人で」
戦闘への参加が絶望的な俺としては心強い言葉だ。
「まぁまずは相手を知ろう」
明かりを消したミリアに誘導されながら、足音を殺して敵が徘徊している場所まで移動する。
彼女の索敵範囲はかなり広く、迫る戦闘への緊張感がやや薄れた所でようやく敵を視界に捉えた。
「では隠れていてください」
先手必勝と言われるように、戦いの理想は気づかれる事なく初撃で敵を葬る事にある。戦いに精通している者なら誰もが知っている戦術の一つであり、実行しようとする彼女を止めるのは愚の骨頂だ。
「待った」
それでも止めた俺を睨み、相応の理由を求めてくる。
「戦わなくて済む相手とわざわざ戦おうとするな」
「なっ! あり得ません! 魔物ですよ!?」
道を塞ぐのは確かに魔物だ。魔物の中で最も弱いとされる、スライムと呼ばれる魔物。
「見てみろ」
大声を出した彼女とその隣にいる俺の存在をスライムが認識した。
「……襲って、きませんね」
「な? わかっただろ?」
実際に目で見ても、彼女は首を振って認めようとしない。
「……貴女がいるからでは?」
その発想がなかった俺はすぐに反論することができなかった。
「……わかった。とりあえず攻撃されない俺が隅に寄せるから、その間にすり抜けてくれるか?」
「……危険な気がしますが?」
「産まれてから一度も攻撃された事がない、平気だ」
こんな所で時間を食うのは勿体ない、言い切るなりスライムに近づく。体を上下に動かしてぷるぷる震える三匹のスライムとの距離をある程度詰めた後、壁に移動してスライムの到達を待つ。
元々俊敏に動くタイプの魔物ではないスライムだが、如何せん動きが鈍い。よく見れば、スライムが移動をする度に体の一部が地面に取り残されて消えていく。それはスライムたちが死にかけている証拠であった。
「慈善活動はお断りなんだがな」
必死に近づくスライムたちに魔力を集めた手を差し出すと、途端に動きを早めて手の魔力が吸収されていく。一心不乱に魔力の補給をする今の状態は、精霊使いが通り抜けるのに理想の状態。顎で行くように促すと、彼女は静かに飛び一転、スカートに手を当てながら着地するように天井に足を付けて再び飛ぶ。その見事な身のこなしに拍手を送りたいが、手が塞がっている俺は口笛で称賛を送る。
そんな俺を不満そうに睨む精霊使い。もう少し魔力を与えておきたい気持ちを押し殺して立ち上がり、精霊使いの元へ。
「魔力の放出は控えた方がいいと思います」
不満そうにする理由が思ってもみないもので、笑ってしまいそうになる。
かつて、勇者に負けて気を失った俺は、目覚めてすぐに再戦しようと魔力を解放したが、激痛に悶え苦しんだ。その場にいた彼女が俺が魔力解放すると悶え苦しむものだと勘違いしていても不思議ではない。
「いや、今のは吸収されたから痛みはないよ」
「……そうなんですか?」
「あぁ、必要ならいつでも補給させられるぞ?」
顔が一瞬で赤くなる様子から、他者から魔力を奪う術は知っている様だ。
「ふしだらですっ!!」
逃げるように奥へ進んでしまう生娘に肩を竦める。
確かに変換効率を考えると行為に至るのが最も効率的だが、何もそこまでしようと言っている訳ではなく、そもそも行為に至れる物が俺にはない。咄嗟に行為が頭に過った彼女の脳内の方がよっぽどふしだらだ、とそれを指摘すれば更なる怒りを買うのは明白。口にはしなかった。
「悪かった、もう言わないから、そう怒るなよ」
素直に謝れば、彼女はすぐに振り返って怒りと恥じらいを兼ね備えた表情で告げた。
「約束、ですよ?」
同じ魔族でも貞操観念は十人十色。誰にでも開放的な睡魔の中には、稀に特定の相手としか行為に及びたがらない個体もいたりする。逆にエルフや兎人といった操を立てるのが当たり前という種族の中に、誰にでもという考えの持ち主がいてもいいと思うが、ミリアは生粋のエルフの様だ。
「あぁ、約束だ」
言って小指を精霊使いに向けるが、彼女はきょとんとして首を傾げた。
知らない事に驚きそうになるが、知らないのが当たり前だったのを思い出すと、彼女もまた思い出してくれた。
「あっ! 指切りですか」
「悪い、当たり前になってた」
ひっこめようとした手を慌てて止められ、ぎこちない動きで小指が絡めてくる。
「約束、ですよ?」
小指を曲げて頷く。
「ふふ、勇者以外とするのは初めてです」
「俺もだよ」
そんな会話をしながらいつどうやって小指を離せばいいのかが分からなくて戸惑う。
「……それじゃ、行くか」
繋いだまま奥を目指すわけにもいかない、指の力を抜けばするりと彼女の指が離れて行ってくれた。気恥ずかしさからか、口数を減らした精霊使いに何か言うべきかと考える。しかし常に喋り続ける必要性はないと判断して歩みを進める。
「見てください」
指が刺された先には二層に繋がる階段があった。道中出会ったスライムの状況から一層で終わる予想を立てていた俺としては悲報だ。
「妙……ですね」
「妙?」
「こんなに早く二層目に下りら……なんでもありません」
喋っている途中で、ダンジョンと呼ばれている代物が要塞であることを思い出してくれた様だ。
「さっき中断されたが、ダンジョン化した要塞が魔力を集めるのは防衛の為だ。内部を広くする。徘徊する魔物を強化する。フロアボスというのか? そいつの配置だったり。魔力が多ければ多いほど広く最深部に行きにくい構造になるんだが、逆に魔力が枯渇すると?」
「小さくなる、ですね?」
「そうだ。そしてさっきのスライムは死に掛けだった。この要塞に魔力が枯渇している何よりの証拠。……見てみろ」
階段を下りていくと、そこには最深部へ繋がる仰々しい両開きの扉が存在した。
「最深部には強力な魔物がいるものですが?」
「いないだろうな」
機能が停止しかけた要塞を見つけられたのは運が良かった。しかし要塞は主人がいなくなれば、魔力の補充を第一に考えて人通りの多い場所に入り口を設置するものだが、こんな立地の悪い場所に入り口を作った理由がわからなかった。
「きっと勇者が天国で見守ってくれているんだと思います」
霊を使役する精霊使いならではの発想だ。
「あいつは絶対地獄に連れていかれてるだろ」
「天国ならわかりますが、地獄……ですか?」
善行をし尽くした勇者、誰もが彼は天国にいくものだと思う。
「魔王を殺さずに生かした男だぞ? 地獄行き決定だろうよ」
ミリアは軽く笑った後、悪戯を企む子供の様に笑みを浮かべた。
「その理論では私も地獄行きですかね?」
「みんな仲良く地獄行き。悪くないが、今ではないな」
力強く頷き合い、扉に視線を向ける。固く閉ざされた扉は片手で開けることはできず、協力して片方だけを押し開けた。