第五章・望みの果てに ⑧
リスタッツァ南方にて複数の魔物に襲われ、地獄を見て尚生き延びることができた商人は、見てきた地獄が日常の延長だったと思い直す。
目の前で繰り広げられる銀髪の少女と魔狼の戦いこそが地獄の一端。攻防のほとんどを見ることが許さず、少女が持っていた大太刀と魔狼の爪牙がぶつかったであろう音と大地に出来た陥没だけが戦っているのだとわかる要素。こんな場所に長居すればいつ流れ弾で死ぬかわからない、離れようと痛む足に代わり両腕を必死に動かす。
しかし流れ弾が飛んでくることはまずない。魔狼もレイナも飛ばすタイプの攻撃をせず、肉体を強化して戦っているからだ。素早い動きで接近と離脱を繰り返して爪牙で攻撃する魔狼に対し、レイナは負けじと動きを早くするが速さでは到底叶わず、飛翔できない翼で守りを堅めながら大太刀を振るう。共に決定打はなく、互いの得物がぶつかり合うと大地が広く割れた。
「……クソ、がぁ」
鍔迫り合いに移行するとレイナは堪らず吐き捨てた。
速度の乗せた衝突を完璧に受け流すことが出来ずに膝を突かされる。そのまま力でねじ伏せられそうになるのを、軽い身が浮かされた時の保険に残しておいた尾で魔狼を張り飛ばして拒否。魔狼が受け身を取っている間に空へと跳躍し、翼を羽ばたかせて降下速度を操作しながら翼膜から影を射出して一方的な攻撃を開始する。
最初から空に飛び立たなかった理由は不安要素が二つある為だ。レイナの翼は影で形を作っただけのものであり、上昇する力がない。地上から砲撃された場合、左右に避けることは可能だが、その距離は地上での一歩も満たない。そしてもう一つが魔狼の攻撃対象が変わる危険性があったからだ。案の定、攻撃対象を地上に横たわっている商人に向けようする魔狼だが、這いずって移動していて見当たらない。視覚での索敵を諦めて鼻を鳴らそうとする魔狼にレイナは守りを捨てた攻撃を仕掛け捜索を妨害。脅威にならない攻撃ではあるが、反撃を許さない状況に魔狼は大きく移動をして森へと逃げ込む。
激化し続けていた戦闘に静寂が訪れる。
レイナが攻撃を再開する場合、見えにくい敵を闇雲に攻撃するか、地上に降りるしかない。前者は無駄な魔力を消費し、後者は反撃を許すことになる。魔狼にとってはどちらに転ぼうとも朗報、どちらを選ぶかを木々に隠れながら待つ。しかしレイナは動かない。倒さなければならない相手と戦っているのなら動かざるを得ない状況と言えるが、殺されない為に戦っているレイナが動く理由はない。しかし全く動きがない訳ではなく、上昇できないレイナは時間の経過と共に地上との距離がなくなっていく。魔狼は待てばいいだけ状況にあったが、翼を持つ者が降下しかできないと想像できる訳もなく、仕留める術を持たない魔狼は静かに森の中へ帰っていった。
帰ったようにみせての可能性を警戒しながら地上に降り、素早く這う商人の下へ。
「嬢ちゃん! 無事だったのか!? まさか倒せたのか?!」
「いや、追い払っただけだ。戻ってくるかもしれない、急いで戻るぞ」
尾で商人を持ち上げ、帰路に就く。
「嬢ちゃん大丈夫か?」
何が? と首を傾げそうになるレイナだが、すぐに腹を切られた姿を見られていたことを思い出す。
「問題ない」
腹の傷はすでに塞がり、自動修復が付与されている衣服も同様塞がっている。
「それよりおっさん、お礼はしてくれるって話だよな?」
「おう、なんでも言ってくれ。可能な限り応えるぞ」
商人としての性、金の話に表情を引き締めるが、要求は予想だにしなかったものだった。
「俺が魔狼と戦ったことは口外しないでくれ」
「んあぁ? いやいや戦って無事に帰ってきたんだぞ?! 盛大に知らしめれば嬢ちゃんの株があがるってもんだぞ?!」
株が上がれば舞い込んでくる仕事の質や量が増え、功績を鑑みてギルドでの評価も鰻登りだろう。しかしそうしたくない理由がある。逃亡者の身で有名になれば、捜索が簡単になるのは考えるまでもない。
「頼むよ」
「嬢ちゃんがそう言うなら言わないようにするけどよぉ。もっと欲を出していけよ!」
事情を知らない商人からすれば、レイナは聖人にしか見えなかった。
「十分欲を出している。今の平穏を守りたい、だから口外しないでくれ」
微笑んで告げる少女を見て、商人はこれまでの人生を全否定された気分に陥った。
金儲けのために血の滲む努力を惜しまずに生きてきた。けれど金儲けは平和や平穏があってこそ興じることができると思い知らされたのは今日。二回り以上幼い少女が今日学んだことをすでに知っていた、何のために年を食ってきたのかがわからなくなる。そして名声を得ると言うことは、それを僻む者が現れることでもあった。
「……わかった。この胸に仕舞っておく」
恩返しに満足したレイナが感謝を告げる同時に、二人の声でない声が轟く。
「止まれ!!!! 何者だ!!」
門兵の大声が響き渡り、その場にある全ての武器の矛先がレイナ達に向けられる。
無言で立ち止まるレイナに反して商人は慌てて声を上げる。
「待て待てエスカリーオ=ナステオ・ルッツだ! 攻撃してみろ! どうなるかわかってるのか!!?」
名前を告げるだけで門兵全員が慌てて矛を収め、松明を抱えて駆け寄ってくるのを見たレイナはエスカリーオに愚問をしていた。
「おっさん有名な人?」
「おうよ。ルッツ商会副会長ってのは俺の事だ」
助けを求めた時からでは想像もできない偉そうな態度で応えるエスカリーオ。ルッツ商会と言えばサニーレイン商会と肩を並べる大商会であり、名前を知らない者はいない商会だ。
「そんなお偉いさんが無様なもんだ」
態度を変えると思っていたエスカリーオは変わらぬ調子で話すレイナに大口を開けて笑った。
「違いない!」
和やかに笑い合う二人。そんな彼らの下に松明を抱えて駆けつけた最初の門兵が明かりに照らされた二人を見て尻もちを付いた。
「ば化物!!」
松明の明かりに照らされたレイナの姿は紛うことなく化物であり、門前に再び戦慄が走る。しかし松明に照らされたのはレイナだけではなく、エスカリーオの姿もしっかりと照らされていた。そのエスカリーオが腰を抜かす兵士に対して鬼の形相で声を荒げた。
「貴様!!!! もう一度言ってみろ!! 俺の命の恩人に向かって、もう一度言ってみろ!!」
「おっさん落ち着け」
「だが――痛ぁっ!」
言うことを聞かないエスカリーオを地面に落として黙らせたレイナは、そのまま化物と呼ばれてしまう要素を雲散させた。
「ひどいぜ嬢ちゃん」
「自負してるからな。……立てるか?」
化物と呼んだ相手に差し出された手を数秒見つめた後、門兵は相手が幼い少女であった事がわかると、自力で立ち上がる。
「すすまん大丈夫だ」
「そうか? ならおっさんを運んでやってくれ」
レイナから逃げるようにエスカリーオを持ち上げようとするが、太ったエスカリーオを運ぶには一人では辛く、遅れて到着した門兵たちと協力してエスカリーオが担ぎ上げられた。
「痛ぇ! もっと優しく運べ!」
元気そうなエスカリーオを見届けたレイナは、リスタッツァの南方へ視線を向けた。結局、一度も言葉を交わす事ができなかった魔狼に思いを馳せる。
人に属する種に対して憎悪を抱く魔族を少ないとは決して言えない。牛魔や馬魔、虫の一族の様に人の殲滅に夢を見る種は多い。しかし魔狼は違う。自分たちが人と慣れ合うことを嫌っていても、同族ともいえる犬人たちが共存を望むが故に関わらないことを徹底した種だ、争う気がないと伝えてもなぜ戦いを選んだのか、いくら思考してもレイナが答えに辿り着くことはなく、これ以上考えるのはやめようと思うレイナの肩を力任せに掴む者がいた。
「だよなやっぱり」
「ザック」
「お前さっき北に向かったよな?」
嫌った面倒が早速訪れたことにレイナは溜息を吐いたのだった。
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