第2話
「まだ横になっていた方が良いのではありませんか?」
そう言って男性は心配そうに駆け寄ってきた。一瞬祖父にあたる人物かと思ったが、服装や丁寧な言葉づかいなどからこの家の使用人だと思い直した。
「あー。はい……」
置かれた状況に困惑しながらかろうじて返事をしてベッドに戻った。
「お加減はいかがでしょうか?」
男性が心配そうにこちらを見つめながら尋ねる。
「頭痛がひどいです。それと……」
今世での記憶がないことは遅かれ早かれバレてしまうだろう。だったら今伝えておいた方が良いと判断した。
「何も思い出せないのですが」
男性は息を呑むような仕草をした後、言いにくそうにうつむき加減で教えてくれた。
「昨日坊っちゃまは階段から足を踏み外して落ち、頭を強く打たれて意識を失われたのです。傷は治癒魔法を使える者を呼んで治してもらったのですが、記憶を失われておられるのですね…… ひとまず奥様を呼んで参ります」
そう言って一礼し、足早に部屋を出ていった。
事故で頭を打った拍子に前世の記憶を思い出し、入れ違いに今世の記憶を失ったということか。なんたる不運!
使用人がいるということはそれなりの家柄だろうし、これまでに勉強やマナー、魔法について厳しく指導されていたのかもしれない。
だが、記憶がないのでゼロからのスタートである。
今の年齢は容姿からすると10代前半といったところか。今から勉強してまわりに追いつけるのだろうか。もしかしてチート級の魔法が使えるようになっていたりして……
なんて考えていると勢いよく扉が開いて高価そうなドレスを身にまとったブロンドの髪の美しい女性が入ってきた。ツヤツヤの肌に手入れの行き届いた髪。
この人が母親なのだろうか。
「あぁ私のクリストフ、ようやく目が覚めたのね! とても心配したのよ。さあ、元気な姿を私に見せて頂戴!」
そう言って女性は布団の上掛けを剥ぎ取り、身体中を触ってきた。目が覚めた息子を前に感極まっているのかなんなのかわからないが、少々やりすぎではないだろうか。
「あの……」
困ったように呟けばようやく手をとめてくれた。
「そういえば記憶を失ってしまっているそうね。私が母だということもわからないのでしょう。それなのに急にごめんなさい。悪気はなかったのよ」
そう言って微笑んだ。
口元だけ。目は全然笑っていない。
私は少し怖くなって視線をそらした。
すると、一緒に部屋に入ってきたと思われる黒髪の青年が彼女の斜め後ろに立っていることに気付いた。彼女に気を取られていてそれまで全く気がつかなかった。
彼は苦々しい表情を浮かべて彼女を睨むように見つめていた。そんなこともお構いなしに彼女は鋭い眼差しのまま私に話しかける。
「記憶喪失のあなたのために自己紹介をしましょう。私はイルザ。イルザ・ヒンデンブルク。ヒンデンブルク家元当主ヴァルターの妻で、当主代理を務めるあなたの母です。そしてこちらが、義息子で次期当主予定のマルクス。あなたの異母兄よ。ほら、挨拶なさい」
そう言ってイルザは青年の背中を押し、私のベッドの前に立たせる。
歳は20代だろうか。だが、次期当主予定ということは成人していないのかもしれない。ということはまだ10代か?
細く痩せた身体に目元には隈、髪もパサついて見える。服もイルザに比べれば随分質素だ。
「……マルクス・ヒンデンブルクだ。」
目線も合わせずにボソリとつぶやくとマルクスはすぐに後ろに下がった。
兄弟仲は良くないのかもしれない。
それにしても義理の息子のマルクスだけでなく、実の息子である自分もイルザに嫌われているような気がするのだが気の所為だろうか。
なんだかとんでもないところに転生してしまったようだ。先が思いやられる……