絶望と希望
時間は進み、気が付けば外は既に朱色に染まりつつあった。
「すみません、神桜木先輩っていますか」
放課後ということもあり、教室の生徒は疎らになりつつあった。
しかしまぁ、先輩の教室ってなんでこんなに緊張するのだろうか。正直チビりそう。でもそれ以上に神桜木先輩のことが気になってしまったから聞かないわけにはいかない。
と、そんなことを考えていたら何やら爽やかイケメンな先輩がこちらへと近付いてきた。
「どうしたんだい?人を探してるのかな?あ、俺は須藤っていうんだ。よろしくね。」
爽やか系イケメンによる急なコミュニケーションについ視線を逸らしてしまう。
なんですか、このコミュ力の高いイケメン。眩しくて直視出来ないよ。
あまりにも唐突だったものだから挙動不審になってしまった。
「あ……えっと……その、神桜木先輩っていますでしょうか」
なんとか要件は伝えられた。
辺りを見回してみた感じこの教室には居ないようだし。場所さえ聞ければ……
「……?神桜木?誰だいそれ。そんな人うちのクラスにいたかな」
ドクン、と心臓が跳ね上がった。今、彼は何を言ったんだ。知らない?そんなわけない。あの有名人だぞ。俺みたいな陰キャもよく知ってるくらいの超有名人だぞ。
「えっと、知らないんですか?すごく有名人でテレビとかにも出てるんですが」
たまたまこの須藤と名乗る男が芸能に疎いだけかもしれない。そう思って今一度問いを投げかけてみた。そうだよ、知らないわけないよな。
そんな俺の不安を他所に須藤はクラスの皆に呼び掛けた。
「なぁみんな、神桜木ってやつ知り合いに居るやついるか?この後輩くんが探してるみたいなんだけど」
しかし、帰ってきたのは無慈悲な現実だった。満場一致、誰もが首を傾げていた。このクラスの誰も神桜木先輩を知らないって言うのか……?おかしい。おかしいおかしいおかしい。そんなわけない、そんなわけがない。
「あ、ちょっと!」
気が付いたら俺は理科準備室へと走り出していた。少なくとも今朝話していた陸斗と綾音は神桜木先輩のことを知っていた。なのに先輩のクラスの人は誰も彼女のことを知らなかった。
もう訳が分からない。先日の図書館での出来事といい、おかしな事ばかりだ。俺はこんなの望んでいないのに。どうして今まで通りにならないんだ。
そんなことを考えているうちに俺は理科準備室の前まできていた。
そうだ、これできっと分かるさ。これがタチの悪いイタズラだってことがきっと証明される。俺の日常は変わらず明日も再びやってくる。そう信じていた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
俺は勢いよく理科準備室の扉を開け、綾音に向けて今朝と同じ質問を繰り返した。
「はぁ……はぁ……な、なぁ綾音。神桜木先輩っているだろ???」
息も絶え絶えになりながらも俺は言葉を紡いだ。期待と不安を背負いながら。
「ほう?あんたが他人に興味を持つとは」
しかし、期待はあっさりと裏切られた。
デジャブだ。このセリフは今朝も聞いた。
待て。待て待て待て待て。それはおかしいだろ。今朝と同じ質問なら全く同じ返答が返ってくるわけがない。
「でも、神桜木……先輩?とやらはどこの学校の先輩だい。少なくともこの学校ではないだろう。聞いたことない名前だし」
絶望という言葉がふさわしかった。
綾音はまるで何事も無かったように話している。
そのあまりに異様な光景に俺は開いた口が塞がらなかった。
「あぁ……いや、知らないなら…………いいんだ。ごめん、変な事聞いて」
「……?どうしたんだ気持ち悪いなぁ、なんか変なものでも食べたのか?」
しかしその時既に俺に彼女の声は届いていなかった。
彼女は悪くない。何かがおかしい。何かがズレている。しかしそれが何か分からない。
「……そうだ、陸斗…………あいつなら」
「……陸斗がどうかしたのか?」
綾音が質問してきた。しかしその答えを口にするよりも早く俺は次の目的地へと走っていた。
「あ、おい!どこ行くんだよ!」
背後で綾音の呼び止める声が聞こえたが今はそれどころではなかった。
そうだ、陸斗なら。あいつならきっと覚えてる。そうだ、絶対に。根拠はない。だけどいつだってあいつは誰よりも理解してくれていた。だからそう……分かるはずなんだ。
そうして俺は脇目も降らずに陸斗の元へと走った。
「……え。どしたの急に。そんな汗水垂らして。珍しいじゃんそんなに急いでるなんて」
陸斗の元へ辿り着く頃には服が肌に張り付いてしまうほどに汗をかいていた。運動が得意じゃないのもそうだがそれ以上に俺の中で今の状況が異常だと警鐘を鳴らしているからだった。
「はぁ……はぁ……。な……なぁ陸斗。お前に一つだけ質問……いいか……はぁ……はぁ……」
息が乱れ上手く喋れない。だけど今は一分一秒が惜しい。俺は息を整える間もなく陸斗へ話し始めた。
「ふむ……んで?要件はなんだ。そんなに急いでるんだし相当切羽詰まってんだろ?」
そんな俺の様子を察してか、いつになく陸斗の目に真剣さが宿っていた。
「お前さ……はぁ……っ、神桜木先輩って……知ってるか?」
誰も知らなかった。覚えていないのではなく誰も知らなかった。もしかしたら陸斗も知らないかもしれない。それでも確かめなければならない。
「あぁ?そらぁお前超有名な声優だろ?うちの学校の」
絶望で曇った心に一筋の光が射した瞬間瞬間だった。陸斗は覚えてた。今朝の話も忘れていない!
「だ……だよな、良かった」
安心した瞬間にどっと疲れてしまい、その場にへたり込んでしまった。
「…………。どういうことだ?俺にも分かるように説明してくれよ」
とはいえ正直まだ不安だ。全てを信じてもらえるないかもしれない。少し口ごもってしまう。しかし話さなければ前には進まない。意を決して俺は陸斗に先程までの経緯を全て話した。
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「なるほどね、皆神桜木先輩を覚えてないと。というかこれはあくまで、俺の予想って感じではあるが。そもそも存在そのものが消えてしまっているってのが正しいのかもなぁ」
現状、俺自身もまだよく分かっていない。陸斗は俺よりも全然頭がいいし恐らく彼の言ってることそのものに間違いはないのであろう。
「まぁつまるところあれだ、認識されてないってことだろ?誰からも認識されなきゃそりゃつまり無いも同然。俺らが忘れちまえばそれこそ本当に存在が消滅しかねんかもな」
ゾッとする話ではあるがここまでくるとそれも信じざるを得ない状況なのも確かではある。
「なんでこんなことに……」
「んなことおまえが1番よく分かるんじゃねぇの?」
正直陸斗が何を言っているのか分からなかった。何故俺が原因を知っているのだろうか。何故そう思ったのか。当の本人が分からないといっているのに。
「あの日……先輩に会ったのはお前だろ?話したものお前だ。お前ただ1人だ。あとは分かるだろ、というか分かれ」
その言葉で俺は全てを察した。
あぁ……それは。
そうだ、あの日図書館で話したのは俺1人。俺が話すまで先輩は誰からも認識されていなかった。そして同時に思い出す。あの時の先輩の表情を。
あの……悲しげな瞳と、俺が話しかけた時の嬉しそうな瞳を。
「そうだ、俺……行かなきゃ」
俺は本能でそう感じた。
俺はあの人が行く場所を知っている。
そうだ、きっと先輩はそこにいる。
「おう、行ってこいよダチ公多分……先輩は待ってるぜ」
そう言った陸斗の言葉を背に俺は走り出そうとした。しかし陸斗はそんな俺に続けて言葉を紡いだ。
「あとさ、蓮司。これは俺からの忠告?アドバイス?みたいなもんだけどよ……まぁなんだ、お前はお前らしくいろ。それだけだ」
言っている意味が分からなかった。陸斗は俺に何を伝えたかったのか。しかしそれを確かめるのも惜しく俺は走り出していた。。でも陸斗はいつだって無駄なことは言わないしやらない。きっとさっきの言葉にも意味がある。
俺は陸斗の言葉を頭の片隅に起き目的地へ向け駆け出した。