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隣の小春さん

「あ、あの・・・?」


赤松小春。


二年前のあの日、俺は彼女をアリスから守るようなことをし、危うくアリスに殺されかけた。

この記憶は思い出すにはあまりにも重苦しかったが、新たに知り合いができた。

それが彼女なのだ。

いや、いくらポジティブに考えたところで無意味かもしれないが。

姉の小夏から感じられる大人びた雰囲気とは違い、やや幼さが残っている。


「久しぶり、小春。足利だよ」


声をかけた。

嬉しすぎたあまり思わず下の名前で呼んでしまったが。

流石にまずかったか、いやこの際俺も下の名前を言うことで誤魔化したほうが良いだろうか、とか考えながら。

だが、彼女が見せたのは「こちらこそ久しぶりです」なんて歓喜の笑顔などではなく、ただただ困惑の顔だった。

「誰ですか・・・?」とでも言うかのように。


「あの・・・誰でしたっけ・・・?」


言いやがった。

アリスのようにバッサリと憶えてないと切り捨てられるのも心に傷を作るのに十分だったが、否、恐らくは小春のように恐る恐る言われる方が案外傷つくかもしれない。

そこに「思い出そうとする」というプロセスが目に見えたから尚更だった。

必死に思い出そうとする仕草を見せるほど、俺はただ「やめろ・・・やめてくれ・・・」としか思えなかった。


だが、そんな俺を憐れんでくれたのか。

或いは、もしかしたら自分の逢ったであろう人を忘れたままでいることが嫌だったのか。

・・・或いは、せっかく見つけた空席を放棄してまた食堂内の他の席を探すのが面倒だったのか・・・。

或いは・・・なんて、理由を探せばいくらでも浮かんでくるだろうけれど、このまま立ち去るわけにはいかなかったのだろう、あろうことか彼女はそのまま俺の席の隣に座ったのだった。

そして俺の目をまっすぐ見つめ、はっきりと言った。


「もしかすると・・・私が忘れてるだけかもしれません!」


・・・うん、そうだよ。残念だけどその通りなんだよ。

はは、こんなに忘れられることってあるのかな・・・。

たった二人にとは言えその二人とも一度知り合ったからこそ辛かった。


小春に見つめられ、俺は人と目を合わせるということがいつの間にか出来なくなっていたことに今更気づく。

アリスや小夏との会話は目を合わせずとも、---アリスの場合あれは会話だったのか微妙だ。一方的に打ち切られたのだから。---なんとか誤魔化してやりぬいてきたのだろう。

小春はそのまま続けた。


「あ、そうだ。私のことは小春って呼んでいいです、拓先輩」


何?・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・うををををををを!!!!

順応性の高さというか何というか、これは正直震えた。

俺がDTだからとかそういうのではなく、純粋に下の名前で呼び合いかつ先輩とまで呼んだのだ。

記憶が正しければ、あの時の別れ際、彼女は俺のことを「足利さん」と呼んでいた。

状況が状況だしそれはまあそうなるよな、くらいにしか捉えていなかった。

・・・が、しかし!!

今彼女は怪しい謎の上級生にいきなり知り合い面をされて下の名前を軽々しく呼ばれた。

なのに、当惑こそすれ(当たり前だ)嫌な顔一つしなかったどころかおまけまでつけてきたのだ。

尊敬を超えて畏怖の念まで抱きそうになった。というか抱いた。


「あ・・・じゃあ・・・小春・・・。いやなんか緊張するな」


繰り返して言うが、これは俺がDTだからとかそういうのではなく、その順応性の高さに驚いただけだ。

そこから自然と緊張が生まれただけだ。

誤解してはなるまい。


「はいっ! なんでしょう」


なんと、真面目に聴いてくれてる・・・!

さっきから感激しまくりの俺だが、喜びが抑えきれないのは間違いなかった。

だから、俺は思い切ってはっきりということにした。


昼休みは始まってからそれほど時間が経っていない。


「ええとだな・・・実は俺は君と二年前に逢ったんだ・・・。京ヶ丘学園の校門前でな。それで・・・あのとき小春は俺の名・・・足利さんって名を、呼んだんだ」

「ふむふむ・・・。そしてどうなったんですか!?」

「・・・え、いや特に何もなかったけど・・・」

「え・・・?それだけ・・・ですか・・・?」


それだけだった。それ以上何もなかった。


沈黙。


そういえばまだ昼食に手を付けていないことに気づく。

ちょっと食べる。

・・・・冷めていた。

小春のパンケーキもいつのまにか冷めていたようだ。


「結局、歯切れの悪い言い方になってしまったな。ごめんいきなり・・・」

「いえ、問題ないです。でも困りましたねえ・・・なんで憶えてないんでしょうか・・・。ちょっと待ってくださいね」


そう言って手元のノートを手に取る。

よく見ると使い古されていて角は擦れていた。


「それは・・・?」

「日記です。中学に入学した時から欠かさずつけているんです」


ノートをめくると達筆な字で、余すところなくぎっしりと書かれていた。


「ちょっと引いちゃいますかね。てへへ・・・」

「そんなことないよ。そんなに継続できることがあるんだ。いやあ、はは、尊敬するよ・・・」

「そ、尊敬なんて・・・照れるようなこと言わないでくださいよぉ・・・」


何気ない言葉が人を幸せにするというが、俺は今それをしたのだろうか。

自然に笑う小春につられて、俺も自然に笑みをこぼした。

昨日小夏と会話した時のように、ごくごく自然に笑った。

改めてノートに目をやると、日記とやらは日付、曜日、天気、今日の一言の順で構成されている。


「伍・壹參(火)晴レ,異常ナシ.」

「漆・廿(水)晴レ後曇リ,明日カラ夏季休業.」

「什・肆(土)雨,異常ナシ.」


・・・日記というよりは備忘録だった。

さらにページを繰る。

おもむろに俺はあの日のことを話し出した。

特に何も考えずに。


「あのとき小春がカッターナイフを持ち歩いてたとか何とかでアリスが君を叱ってたんだ。とはいえあまりにも酷かったって俺は思ったんだろうな。いきなり割り込んで色々やって色々されて、偉そうに説教垂れて・・・」


色々何をされたのかは勿論言うべきではない。


「そんなことがあったんですか・・・。私としたことが・・・」

「ああ…それはもう過ぎたことだから気にする必要はないんだ」


無論過ぎたことではない。

現に、過ぎたことと言いつつ何かにしがみついている俺の姿がそこにはあった。

・・・と、問題の欄に差し掛かる。


「肆・陸(月)晴レ,刃物ヲ持チ歩クニヨリ会長ニ叱ラル.」


簡潔だった。ただ簡潔にまとめられた一文がそこにあった。

簡潔過ぎた故にバックにあるストーリーの推測すらつかない。

言い換えるとバックにあるストーリーの推測すらできないほどに簡潔過ぎた。

・・・言い換えになっていない気もするが。

とにかくこの文は余計なものを徹底的に排除した、いわば骨だった。

「余計なもの」・・・俺の情報は、一切合切切り捨てられていた。

アリスが俺を憶えてないの一言でそうしたように。


いや、違う。

小春は・・・赤松小春はこの俺を少しとして疑うことなく、ともすれば茶番劇とも言えるこの状況に付き合ってくれているのだ。だからただ申し訳なさというか、罪悪感が湧き出るのは当然と言えばそうなる。


「悪い・・・。俺の頭がおかしかったかもしれない」

「何言ってるんですか、手掛かりなら今ので十分ですっ!」

「・・・・・・?」

「先ほど先輩はこの文を見る前に、その時の状況を語りました。そしてそれはぴったりと一致したのですっ!そしてっ!」


しかし彼女は自信ありげに俺を指さす。思わず息をのむ。


「アリス会長が憶えていればビンゴ!つまり・・・」

「ああ・・・悪いけど、アリスには憶えてないって言われちゃったんだ。同じクラスだけあって先に聞いたんだよ」

「なっ・・・!!!・・・左様ですか。失礼しました・・・」

「はは、いや悪い、手間とらせて・・・今日の備忘録、じゃなかった、日記に書いときなよ。変な上級生に絡まれて貴重な時間を奪われた、って・・・」

「駄目ですっ! まだ何もかも始まったばかりですよ、拓先輩。それに、完全とまでは言いきれなくとも十分だと思います」

「論証として不足しちゃいないか?」

「論理性は保証されています。私に誓って」


小春はそう言ってノートを閉じた。

何故だろうか、産まれてきて初めて信頼できる相手を見つけた気がした。


「・・・どうしてここまでしてくれるんだ・・・?」


俺が君を騙しているかもしれないんだぞ。実は俺が妄想に憑かれていただけで。


「へへっ、どうしてでしょうかね・・・。でも、拓先輩が『俺が君を騙しているかもしれないんだぞ』なんて言ったとして、私が『そうなんですか?』と聞き返したとしても、

それでも先輩は、『ああ、そうだ』って言いますか?」


言わないよ。言うわけない。

実は君は、文学の天才とかなんとかじゃなくて、聖人じゃないのか。

心を読んでくるあたり、そういっても良い気がした。

小春ならどんな筆者や作者の考えも思いもビシッと言い当てるだろう。


「悪いことを聞いてしまった。すまない。俺の心情を・・・やっぱり文学の天才にして鬼才にして奇才なのか」

「謝ることじゃないでs・・・ってなんでその異名を!?」

「ゑ?」

「さてはお姉ちゃんに・・・!」

「ゑゑ!??・・・何かまずかったか?」

「まずいですよ!先輩!」

「えっとそれはつまり・・・恥ずかしいってことか?」

「当たり前ですっ!なんで余計なことを教えるんだあの姉貴ぃぃ!!」


通り名じゃないのか。姉が勝手に言ってるだけか。

でも、印象としてはぴったりだった。


「ああ、その、悪かったよ」

「いえいえ、先輩の謝ることではないですっ!全部お姉ちゃんですよ!あの馬鹿姉貴!とっちめてやる!」


文学の天才なんとかは語彙が貧弱だったが、表現は的確だった。

文学の才能をどのように計るのか知らないが、キャラとしてなら十分な気もした。


あれから結局、俺と小春は手掛かりを得られずに終わった。

とは言えそれは大きな問題ではなかったと思う。

何故って、小春はあのとき知り合った俺を憶えていないものの、今現在この昼休みの数十分のうちにまた知り合いになってしまったからだ。


・・・かくして俺はその後数日で、小春と小夏の姉妹と仲良くなれたのだった。

方向性がどうやら友人作りに向き始めているような気がしながら、気が付けば今日の授業が終わり、俺は下校しようと門を出た。


外壁の壁にもたれて腕組みをしながら、誰かが立っているのが見える。


叔父だった。


「やぁ拓。存在感、大丈夫か?」

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