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前後の赤松さん

「あ、赤松・・・さん」


今の俺は「やあ、お嬢さん」なんて声をかけるような(たち)ではなかった。

・・・今思えばだいぶ気障だな、俺。

だから、出席番号順に並んだ今の席で目の前にいる赤松さんに声をかけるという一大イベントを、こうして決行するのだった。


高校生になってから母方の祖父母に頼ることに何となく後ろめたさを感じ、小さなアパートで一人暮らしを始めていた俺だった。

小さければ住人同士の会話などがあるだろうと思いきや、壁だけは無駄に厚く隣人の生活環境すら推し量れない閉鎖的空間と呼ぶ方が正しかった。

さらに、ありがたいことに祖父がマンション経営をしていて不動産所得があるとか何とかで仕送りがある。

だから当然のように甘えてしまって、当然のようにバイトをしていない。

そもそも京ヶ丘学園がバイト禁止なのかは知らないが。

とにかく、このような環境で誰かとまともに会話するとなれば必然的に学校という環境に依存せざるを得ないのだった。

が、先述の通り俺は高校へ入学して以来授業内での応答はあろうとも「楽しく会話する」と言うことをしなかった。


一年本気で同世代と会話しなかったらこういう結果になるのか・・・。


最初で(ども)るなんてなあ・・・。


ところが赤松さんとやらはいきなり話しかけた俺に対して微笑み


「なぁに?」


と、優しく返事をしたのだった・・・。


女神だろうか。

さっき赤松さん「とやら」などと言った俺がこの上なく憎く思えた。

それと同時に俺自身の自己肯定感の低さがはっきりと表れたことが、認めたくなくとも感じられる。


「い、妹共々よろしくって・・・言ってたよね・・・」


言葉に詰まるな。言いたいことははっきりわかっているんだ。

思考だけではない。

それを表現できなければ、自己完結で終わってしまう。

まとまってなくても相手がわかればそれでいい。

だから、はっきりと言い表すんだ。

勇気を持て。


「おお俺、い、妹の小春さんし、知ってるんだぁ・・・」


言えた。

会話を上手くではないにせよ始めることができた。

アリスのときはかつて彼女と会話したことがあって、その時の状況をなるべく思い浮かべるように努めてのことだった。

それにより俺は「久しぶりだな」なんてカジュアルを装いつつ言えたのだ。


今の場合は初対面の相手だ。

現在の俺が挑戦するにはいささかハードルが高い。

ところが、赤松小夏は返答としては俺の中で予想外の変化球を投げてきた。


「ふふ、そりゃぁ自慢の妹だもん。京ヶ丘学園生徒会書記・赤松小春。あの文学の天才にして鬼才にして奇才の彼女を知らないはずないもん」


そ っ ち の 意 味 じ ゃ な い 。


というか、そんな異名がつけられていたのか・・・。

それ以前に生徒会書記なんて初耳だぞ。

まあこれは俺が行事をさぼり生徒会を知らないからという理由あってのことなのだが。


にしても、書記って目立つのか? そもそも書記って何やってるんだ?


「しょ、・・・書記って、何やってるの?」


聞いてしまったああああああ!


妹を貶されたことで機嫌を損ねてしまうだろう。

人生にセーブポイントとリセットボタンがないのが悔やまれる瞬間だった。

・・・と、彼女は気を損ねるどころかよくぞ聞いてくれたと言わんばかりにあれこれ説明してくれたのだった。


「ふっふっふ・・・いい質問ありがとう。書記っていうからやっぱり隠し事、じゃなくて書く仕事だよねー」


会話に自然とジョークを混ぜるのは妹も同じなのだろうか。


「大体は生徒会の執行部の会議とかで会議録をまとめたり、あとは活動報告書とか生徒会新聞みたいな何かを作ったりするくらいかな」

「へ、へぇ・・・書類をいっぱい扱うんだなぁ・・・」

「そうそう、その通り。まあそういう書類に文学的センスは必要ないけど、とりあえず小春に任せときゃその辺はどうにでもなるよねー」

「そんなに信頼されてるんだーあはは」


いいぞ、俺。言葉のキャッチボールができている。

こうやって会話を続けるんだ。


俺は安堵しながら適切な言葉を選びつつ話し続ける。


「勿論。小春がいなかった去年まで書記は代わる代わるいろんな人がやってたんだ。私は去年の一年間やってたけどね」

「へえ、赤松さん書記だったのか。生徒会も楽しそうだなあ」


あまり思ってもいないことも口に出しながら会話のペースを掴む。

順調だ。


「楽しいねえ。アリス会長のもとで力を合わせて活動したあの一年は最も濃い高校生活だよねー」

「ははは。まだ一年しか経ってないけどな」

「ふふっ、的確なツッコミどうも。あ、でも生徒会、もし立候補するんならくれぐれも気を付けたほうが良いよ」


アリスがやはり会長だったという事実は確かだったようだ。

・・・あれ、今くれぐれも気をつけろって言ったか?



「くれぐれも気を付けることだぁ」



不意に二年前、中学三年生になった春の日---始業式の日に、担任である叔父から言われたことを思い出す。

このこととは別件かもしれない。

単純に高校生活は中学までのように甘くないという俺への警告だったと捉えることもできる。

或いは、ハイレ「ヴェ」ルな環境だからこそ自分を見失うな、自らの「ヴァ」ランスくらい自らでとれよ、なんていうアド「ヴァ」イスと捉えることもできる。

いずれにせよ、別件としてしまう方が自然だった。

だがしかし、何故か俺の中には2つのフレーズが重なった気がした。

語句が重なったというより意味が。

つまり生徒会に入ろうものなら気をつけろ、ということだと。

何を気をつけろと・・・?


考えすぎかもしれなかった。そもそも俺は生徒会に入ろうなんて気は毛頭なかった。

だけど気になったことに変わりはなかったので聞かざるを得なかった。


「気を付けるって・・・?」

「そのままの意味。今の生徒会、もう出来上がっちゃってるからね。完璧が集まったっていうのかな」

「つまり立候補してもよほどのアピールポイントとかが無けりゃ無残に負けるってことだな?」

「勘が良いのは良いことだねー。その通り」


やはり考えすぎだったようだ。


俺はどこかほっとしながら、その後も自然と会話を続けた。

もはや詰まるところはなかった。

「小春を知っている」ということを別の意味で捉えられてしまったが、それを話すとカッターナイフの件を自動的に話すことになってしまう。

それが俺にとってもそうだがアリスにとっても良くないと気づいたのは、自然な流れで会話が終わり、じゃあ帰ろうかということになって校門で別れた後のことだった。

怪我の功名というやつか。

どっちにしろ、俺はいい方向に変わることができつつある感触を覚えたのだった。


「じゃ、また明日ねー。バイバイ」

「じゃあな」


最後の挨拶まで。

完璧じゃあないか!!!



俺はこの日、初めて己に勝った気がしたのだった。



翌日。


午前のみだった始業式&ホームルームの昨日とは違って、今日から平常授業だった。

授業をする教師の中には、何人か去年もいたような気がするがろくに憶えていない。

「去年お世話になった人もちらほらいるねえ」なんて言われても何のことかさっぱりだった。

それほどまでだったのだ。昨年度の俺は。

だから積極的にとはいかなくともなるべく社交的姿勢を心掛けるようにした。

リハビリではなくリスタートだ。

かつての状況を取り戻すのではなく、ないところから少しずつでも積み上げる。



昼。


とはいえいきなりは辛すぎたようだった。狭い教室---物理的空間としては広いのだが、居心地はまだよくない---から抜け、多少賑わっている廊下やピロティ

を渡り、食堂へ行った。

京ヶ丘学園の全貌、とまではいかなくともある程度の位置関係でさえも俺は今まで知らなかった。

だからこうやって教室を出て異なる空間へ身を移す新鮮さをある意味初めて味わったことだろう。


私立学校でお金をかけているからだろうか、詳しいことはさておき食堂のメニューは思った以上に豊富だった。

とりあえず俺は何も考えずに適当に定食を選んで適当な位置に座った。


はあ。


落ち着きでもなく疲れでもないが溜息を漏らす。

見れば食堂内には意外と多くの生徒で賑わっている。

無意識に端っこに座っていた俺の一つ空いて右隣の席もすでに埋まっていた。


とりあえず昼食だ。

あまりにもというわけではないが、栄養をいつもより使った気がする。

特に英語の授業中に前後で話してくださいなんて言われたときは勇気を振り絞ったものだった。

まあ相手は赤松さんだったわけだが。

本当に裏が無いように親しげに接してくれたおかげで俺はほとんど無理をしなくて済んだわけだが。


と、不意に右後方当たりから

「隣、失礼します」

と声がした。


あれ、この声・・・聞き覚えがある。

振り向くと、あの頃より少し大人びたがまだ幼いイメージが残っていないかと言われれば残っていると言わざるを得ない感じの、文学の天才にして鬼才にして奇才の少女とやらが立っていた。

両手に抱えたプレートにはパンケーキがのっており、その下に手とプレートで挟むようにノートを持っていた。

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