忘却/想起
「記憶にないわね。誰だったかしら」
ジョークなどではなく本当に知らないといった風に、赤毛でありながら金髪ともいえる、ロングに伸ばした髪をかき上げながら京極アリスは言った。
高校二年生の始業式。
教室の中での一場面。
あの後---アリスに殺されかけた後、自分で腕を傷つけたことに対しての償いと言わんばかりに、京極アリス---アリスは家に来るように言った。
「生徒会長の命令よ。あたしの家に来なさい。腕、悪かったわ」
まるで脈絡がなかった。いきなりすぎやしないか。家に来いだって?
イベント(俺はイ「ヴェ」ントとは言わない)発生条件がガバガバというか適当というか・・・。
治療などを施すためという目的ならそれは至極真っ当なことだったものの。
第一アリスは、見知らぬ奴にいきなり割り込まれて訳のわからない説教をされるという、ある意味で屈辱を味わう羽目になったのだ。
なのに、あろうことか家へ招き入れるというのは、正直言って驚きだった。
いや、何はともあれアリスは俺に怪我をさせたのだ。そこには明確な殺意もあった。
それが極端な使命というものに縛られてのことだったのかどうかはわざわざ掘り返して聞くほどのことでもないと思う。
だから俺がその枷を解いてやったということになるのかもわからないまま。
結局アリスが何に納得したのかわからないまま。
納得といったが、後の一連の流れに鑑みるに何かには納得していたのは本当のようだったけれど。
言葉に甘えて彼女の家に行くことにした。
ここまで逡巡して、俺は他人の家に招かれることに対して警戒心というよりは不信感のようなものを憶えていることと、学園の前から同じく人通りの少ないこの通りへ逃げてくるのに、門の前へ合格通知書の入った通学カバンを忘れたことに気づいたのだった。
ちなみにアリスの家は、家よりも豪邸と言った方が相応しいほどだった。
「当たり前じゃない。あたしは京極グループの社長の娘なのよ」
「社長!? 財閥のトップかよ、すごいな」
「ふふん」
誇らしげにアリスは鼻を高くした。
京極グループという言葉を出された途端に父に関する嫌な記憶がフラッシュバックしてきたが、これは彼女はおろか何も悪くなかったし追求すべきでもない。強いて言うなら運命とやらがこういうルートをたどっただけであり、別にコースアウトでもなんでもないのだから。
だからそれを単純に受け取るだけでよかった。
そうして良いのだという事実が、俺にとっては救いとなったのもまた事実だ。
アリスは慣れた手つきで腕の治療を進め、その後互いの身の上話をあれこれした。
とは言え育つ状況があまりにも違いすぎて、終始互いに新しいものを発見したかのような面持ちだったため、共感しあう部分はほとんどなかったのだが。
当時の俺は、異性だからとか何か理由をつけてコミュニケーションに壁を作ろうとすることがなかった。
そしてアリスの方も、否、アリスの方こそ分け隔てなく接することが自然のことになっていたのかもしれない。どうやら京ヶ丘学園には、支持率がある程度あって対立候補が現れない限り、生徒会役員としての職を続けることができるという制度があるらしかった。
逆に言えば、それは支持率が下がり別の候補者が支持を得るや否や、文字通りいつでも任を解かれることを意味する。
アリスは中等部一年のころから生徒の間で絶大な支持を得ており、既に高等部の生徒会でも引き続き会長を務めることを推薦されるほどだった。
だとすれば、生徒会長としてのあの行動は止めるべきだったのか・・・。
しかしこれ以上終わったことにした問題をあれこれ反芻するのも躊躇われたので俎上に載せないことにした。
そのまま語り明かすとまではいかなかったものの、夜が更ける前に俺は別れを告げた。
「あなたと京ヶ丘で逢うことを楽しみにしているわ、拓」
「同じクラスになれたらいいな、アリス」
たった数時間の間に、初対面でおまけに突き飛ばした&斬りつけてきたところから、ちょっとした友情が芽生えたところまで進んだ。ような気がした。
ちなみに下の名前で呼び合うのは、アリス自身がしっくりくるからとのことだそう。
当面の間は自然と互いに逢うことはなかったが、それもそれぞれの事情とやらを勘案してのことだ。
それに、高校で逢おうという約束は、すぐに果たされるはずなのだから。
だから、その間に俺が彼女を忘れることはないはずで、彼女が俺を忘れることもないはずだった。
が、現実は違った。
言い訳でないことを予め断った上で言うと、まず一年生の頃はクラスが違っていた。
そしてアリスが生徒会長になることが暗黙のうちに決まっていたから特に選挙の告知もなかったし、その上クラスどころか学園になじめていない俺は、体育祭にも文化祭にも、そのほかのありとあらゆる行事にも不参加という形で徹底することにしていた。
だから、行事でも恒例であろう「生徒会長が全校生徒の前で何かの宣言のようなことをする」イベントを見ることはなかった。
それ以前に、普段から何をしているかわからない団体のことなど、関心のないことには本当に関心を向けないというスタンスをとる俺が知るはずもなかった。
一番悲しいのは言うまでもなくこれが事実であるということだ。
どこからこうなったのだろうか。
まさかそんなブランクで忘れるか・・・?
あちらから声をかけてこないのは、まあアリスの周りにあまりにも大勢の人がいて俺がそのうちの一人に埋没したってことで説明はつく、はずだ。
・・・と思いたい。
だから恨むべくは自分の記憶力のなさだろう。
元々歴史や英単語を覚えるのが苦手ではあったが、それは興味云々ではなく単純に記憶力の欠如からだった。
だから、ふと京極アリスの名を名簿で見つけない限り、関連する記憶が蘇ることはなかった。
所謂フラッシュバックのような形で。
ようやく俺は決意して、去年入学したときにも同じような名簿がありながら自分の名前だけを見つけてすぐに立ち去ってしまったことへの後悔を抱きつつ、教室の後ろの方でブックカバーをかけて何のジャンルかがわからないポケットサイズの本を読む彼女に、今の俺ができる限界の親しみを込めて声をかけたわけである。
「京ヶ丘学園高校生徒会会長・京極アリス。久しぶりだな、足利拓だ」
なんて言いながら。作り笑顔だったであろう微笑みのような何かを向けながら。
いつぶりに笑っただろう。
ああ、前にアリスの家に行った時だっけ・・・。
しかし彼女は「いきなり誰なんだ」というのに加え「今更生徒会長の部分を強調してどうする」とでも言うかのように、
「記憶にないわね。誰だったかしら」
こう告げるのだった。
・・・ジョークなどではなく本当に知らないといった風に、赤毛でありながら金髪ともいえる、ロングに伸ばした髪をかき上げながらそう言った。
高校二年生の始業式。教室の中での一場面。
思い返すまでもなくあれはたった一日の、そのうちの数時間の出来事だ。憶えていなくて当然と言われても仕方ないかもしれない。が、俺が京ヶ丘学園というこの場所へ来るまでの一連の流れや歴史において、彼女と逢うことは必要不可欠でないにしてもあるべきものだった。
惹かれるというその言葉通り。
カリスマが具現化したような印象はあの頃同様健在だった。
だから俺は、あの日にしがみついているとか単なる妄想だとか言われても、あれが社交辞令でなく本当の、友人のようなものであることを明らかにしたかったという無茶な望みにかけていたのだろう。
俺があのとき、入学式の日に声をかけていれば気づいてくれただろうか。
憶えていてくれただろうか。
とか、どうにもならない後悔をしながら。
自分の席に座ると同時にチャイムが鳴り、担任が入ってくる。
ありがちな進行で諸々の書類などを配布するというありがちなホームルームを終え、一旦休憩となった。
その間もその後も、依然として俺はいかにして思い出してもらうかなんて無駄なことを考えているのに気付く。
いや、ただのあらぬ妄想だったかもしれないじゃないか。
本当にただの社交辞令だったかもしれないじゃないか。
思えば殺意を抱いた相手とほんの数時間で打ち解けあうなんて、非常によくできたストーリーだ。
だったら、これは非現実的なことが偶然、うまくいったように見えただけだろう。
そう考えると少し楽になった。割り切ることも重要かもしれない。
これ以上あれこれ引っ掻き回しても何も得られないと悟った俺は、話題を変えてこれからどう自分の振る舞いを変えていくかという、議題のタイトルとしては痛いが今の俺にとって重要な案件について思考を巡らせることにした。
ははは、俺、いっつも何かを考えているなあ。
性格的にはよく考えてから物事を実行するタイプだが、どうやらそれは慎重というより単に思考そのものを好んでいるらしいが。
暗記、記憶が苦手な俺から言わせれば、神様にはもう少しここにパラメータを振ってくれても良かったのになあ、なんてやはり考えながら。
その後は担任が適当に---この場合の「適当」は程よい、ではなくいい加減、の方が相応しかった---自己紹介をし、出席番号の順に自己紹介をするという、やはりよくある進行となった。
どうせ後になってほとんど覚えていないであろうことをわざわざする意味が見いだせなかったが。
中学三年生の頃の担任である俺の叔父は
「自己紹介なんてやっても、全員が全員を把握できるわけじゃない。だからさしてアピールする必要もない。これは自己紹介で自己PRじゃないんだからぁ。コミュニケーションを交わす、これだけのことだよ」
なんて達観したかのような口ぶりで前置きしていたが、今のところ俺にとっての真理ではあった。
もっとも、昨年の担任はクラス全員の名前を一人ずつ読み上げて終わりだった、つまり自己紹介をしなかったから、2年ぶりに人の前に立って話すことになるのだが。
と、トップバッターが席を立ち、前へ出る。
「2年2組1番、赤松小夏ですっ。妹の小春共々、仲良くしてね!」
ん?
引っかかった。
いや、自己紹介で知らない人もいるであろう妹とやらの話を出すのかとか、去年同じクラスの人がいたといえなかなか馴れ馴れしいのではないかとか、そんなところに引っかかったのではない。
小春、と言った。
小春・・・?
赤松小春・・・?
俺は赤松小春という彼女の存在を思い出す。
あのとき京ヶ丘の制服を着ていたことということはそのまま高等部に進学すると考えるのが自然だ。
さらに同姓同名の生徒が複数人いる可能性も低いとみるのが自然だ。
だから、そこからの結論付けの方向としては、赤松小春はあの本人で間違いないだろう。
この後声をかけてみようか。
俺の高校生活で、二番目に人に声をかけることを決めた瞬間だった。
人に声をかけるのに決心という言葉を使う自分を大袈裟に感じながら。
ちなみに俺が自己紹介で何を発したのかは記憶にないが、恐らく出席番号と名前、よろしくの挨拶といった定型文で済ませたのだろうと思う。
奇を衒った表現は必要なかったし他の誰もそんなことをしてなかったように感じた。
京極アリスを除いては。
カリスマの具現化という言葉が相応しいように彼女だけは一際違って見えた。
無論、何を話していたのかは憶えていない。




