記憶Ⅱ
「死んでいる・・・っていつ」
「三年位前だ。六月の少し暑い日のことだったかなぁ。自ら駅のホームに飛び込んで・・・」
「・・・」
「遺書もあったがご家族は君に見せようとはしなかった。もっとも、事情とやらを勘案してのことだからそこを咎めるべきではないと思うが」
そんなものは見せてくれなくても良い。そこに悲しみもない。
もっと言うと後から悲しみに暮れる気配もなかった。動揺は明らかにしていたのかもしれないが。
いや、なんとなく察しはついていたのだと思う。
しかし改めて宣告される今になって、事実を受け入れるには重すぎた。
「・・・プライドが許さなかったんでしょうか」
「そんなところだ。やはりわかっちゃうか。見せるまでもないようだねぇ」
工場長であることのアイデンティティが失われ、生きる意味を見出せないから、ということまでもがなぜだかわかっていた。そして俺の動揺の原因は家族が死んだから、ではなかった。
憤りのようなもの。
つまり、何故回りくどい置き手紙を残して、最期の最後まで身勝手に生を全うしたのか。
どちらかというと郷に入っても郷に従おうとしないことへの苛立ちというか不甲斐なさを覚えた。
もはや工場長ではない。下請けの、ただの下っ端にすぎないのに。
どうしてかつての栄光にしがみつくのか。
そんなに環境の変化を厭うのか。
そんなにテリトリーに固執するのか。
しかし次々と湧き出てくるやり場のない疑問は、その通りやり場のないものに過ぎなかったが。
「この話はまだ、というよりいつだろうと、俺にとって刺激が強すぎたかもしれません」
「無理にトラウマを克服する必要はない。蓋をして生きることが重要な時もある。そしてだ。
君の父は確かに変わっていたようだが、技量は認められていて直々に幹部昇進なんて話もあったらしい」
「俺からすればそんな美味しい話に飛びつかないほうがおかしいですけど」
「京極グループの社長にも存在が知られていたとも言われているくらいだ。あんなデカすぎるグループで目立つってのもなかなかすごいねぇ。後のエピソードも色々あるがどれが与太話かなんてわからない。ただ、遺書にあった遺言は果たされたようだ。それがその合格通知書ってわけ」
「まさか・・・」
「察しが良いのは良いことだ。まぁ君の父親がそれを冗談で頼んだってことはないんじゃないかなぁ」
「こんなことがあっていいんですか。俺にはこれが許されていいように思えない・・・」
「え? あちらから許してくれてるんだよ? それとも君は受験というドラマで主人公でも演じたいかい? まぁ強制はしない。あとは自分自身で考えることだがねぇ、足利君。ただ、現実では到底想像もつかない権力の使い方ってのはやはりそんなところにも発揮されるんだねぇ」
「話がうまく運びすぎていると感じただけですよ。それに行くとしても父の思いを無駄にしない、とかそんなとってつけた理由ではないですし」
「君らしいねぇ。じゃぁ残りの一年は自己の研鑽にでも励みなさいな」
「そうします。ところで先生は父が亡くなったことを知っていたんですね?」
「君から先生と呼ばれるのには違和感が残るねぇ。君の父、いや、僕の兄が亡くなったことは亡くなってすぐに連絡があってわかった。だけど、口外はできなかった。それも全部兄さんの遺書に書いてあったもんでねぇ。今思えば悪いことをした気もするよ・・・」
そう言って担任、否、叔父はもう俺と二人になった教室をぐるりと見渡し、そのまま扉へ進んでいった。
と、立ち止まり、再び振り返る。
「あぁそうだ。これを言うのを忘れてた。僕も京ヶ丘にはお世話になったもんでねぇ。先輩からのアドヴァイスだ」
相変わらず「ヴ」を強調していた。
「くれぐれも気を付けることだぁ」
それだけの言葉を残して、姿を消した。
どういう意味かはわからない。意味を探るにはあまりにも漠然としすぎていた。
教室には俺一人。桜が窓から見える。
だが、やはりなんの種類の桜なのかは検討すらつかなかったのだった。
ここまでが前日譚といったところだ。何の面白みもない自分語り。
美少女のひとりくらい出てきてほしかった。
さて、京極アリスに殺されかけたのはその帰り道だった。
道中に京ヶ丘学園があるとのことなのでついでに行ってみることにした、そのときの出来事だった。
あそこでやめておけば良かったのだろうが、どんなものかを確認しておきたいという自然な感情だったのだから仕方ない。
俺がその学園の正門までやってきて校舎の大きさや豪華さに思わず感嘆していたときだった。
不意に女子が別の女子に何か、怒声というか罵声みたいなものを浴びせているのが見える。
二人とも同じ制服で、見るに京ヶ丘学園の学校案内に載っていた通りの服装だ。
この学校の生徒か?
確か中等部の服装だった気がする。
俺は思わず駆け寄った。
普段なら自分で藪をつついて蛇を出すようなことはしないが、この場合明らかにカツアゲともとられかねないような構図だったし、何より俺は蛇が好きだった。
「やあ、どうかしたかいお嬢さんたち」
今思えばこの掛け声も良くなかったが。
お嬢さんという呼び名はまあ事実にしても、というか事実なのだが、他の言い回しを考えるべきであっただろうし、何より制服姿の見知らぬ奴にこんな気取った挨拶をされるのも似つかわしくなかっただろう。
幸い俺が制服姿であるため、悪くてもナンパくらいに収まるだろう。
・・・収まるのだろうか。
よく考えればここでイケメンか否かでその後の対応も変わることは十分にあり得た。
場合によっては即通報されたかもしれないが。
しかしその二人のうち一方の、畳みかけるように何かを言っていた方の、赤毛でありながら金髪ともいえるような髪の彼女は、俺が声をかけるや否や激しく睨んできた。
「邪魔しないでくれるかしら?」
容姿は端麗だった。まさに、お嬢様というのに似つかわしい。
そしてハーフアップにした長い髪をさっとかき上げてそう言った。
「邪魔? ははは。でも恫喝してるように見えたからつい・・・」
「はぁ?」
この世のものをすべて見下すような冷酷というか冷徹な視線を向けてきた。それだけで十分に怯むだろう。というか怯んだ。そこで「はいすみませんでした」なんて言ってその場を立ち去るのが良かったかもしれない。それに、いきなり恫喝なんて言葉を使うのもナンセンスだったかもしれないし、何より第三者が口を挟む行為は褒められたものではないといえる。
が、俺は立ち去るなんてことはしなかった。
何故って、怒声を浴びせられていたであろうその子は今にも泣きだしそうだったからだ。
否、すでに涙を目に浮かべていた。女の子を泣かせるのは、俺の最も許せない行為だったのだ。
だから、事情はともあれ、迂闊にもちっぽけな正義感が衝動的に俺を動かしてしまった。
「恫喝なんて失礼ね。このあたしがそんなことをするとでも?」
「おっとそれは失礼した。しかしいくら君の視線が普段から怖かろうと、どうみてもプレゼントをあげて喜んだ、みたいなシーンに見えなかったもんでねえ」
なんか余計なことを言った気もするが彼女はそれをスルーして続ける。
「だとしてもあなたの入り込む余地はないわよね? 今お取り込み中なの」
「その取り込み中とやらの用事は女の子を泣かせることかい。いや、あまりにも即断過ぎた。その女の子は何かしたのか?ああ、申し遅れたが俺の名前は足利拓。そこの衛礎雅七中の生徒だ、よろしく」
「自己紹介で仲良しフラグなんて立たないわよ。それにこの子は校則違反をしたもの」
「校則違反? ああ、君は風紀委員か」
「その君っていうの、やめてくれない? あたしにも名前はあるの」
「あ、ああ、すまない」
「京極アリス。京ヶ丘学園中等部三年、生徒会長。アリス様って呼ばせてあげるわ」
どれだけ高飛車なんだ!
「ふむ、いい名前だねえ。で、そこのお嬢さんはどんな校則違反をしたんだ」
「カッターナイフを校内で持ち歩いていたのよ」
「で、でも、仕方がなくて・・・」
今まで黙って俯いていたその子は恐る恐る顔をあげながら言った。
「今の二年生の授業で、カッターナイフを使うことはない。だからそれを持ち歩いていること自体本来の目的から外れているのよ?」
「それはわかってますけど・・・」
「じゃあ今すぐ来なさい。処罰の時間よ」
「お、おい。処罰ってなんだよ」
確かにカッターナイフを不必要に持ち歩くのは銃刀法に違反しているとかしてないとか・・・
だから真っ当なことを言ってないわけじゃない。が、三年生であるこのアリスとやらの生徒会長が下級生のシラバスを把握していることよりも驚くべきことがあった。
処罰、と彼女は言ったのだ。そんなの、教師とかのすることじゃないのか?
あろうことか生徒会長の独断と偏見でそんなことができるのか・・・?
生徒会執行部が権力をふるうなんて、学園モノのラノベとかでしか見たことないぞ・・・
戸惑いをよそにアリス様とやらは強制連行に踏み切ろうとした。
刹那。
俺の足は勝手に動いた。
そして、いよいよ泣き出してしまったその子の腕を乱暴に掴んだ京極アリスを突き飛ばし(突き飛ばし?)、思わず叫んだ。
「やめろ!」
「え・・・」
「君は一旦この場を立ち去るんだ。そして、次からは不必要にカッターナイフを持ち歩かない。どんな事情があったのかは知らないけど、これでいいんだ」
いやいやいやいや・・・良いはずがなかった。なんてエゴイスティックなんだ俺は。
何を勝手なことをしている。ああ、逆にかっこ悪い。
いや、そんな体面を気にするよりもまずだ。自分の譲れないものにしがみついて、感情に任せて動くなんて、まるで父そっくりじゃないか。特に、今俺は何かを守るために別の何かを傷つけた。
権力を行使しつつも適切なやり方をとるこの生徒会長の方が、このときはよっぽど、というよりは較べようもないほどに立派だったかもしれない。
「あ・・・ありがとう・・・ございます・・・?」
何に対してのお礼なのかはわからないが、彼女の顔に少しの安堵が見て取れたことが唯一の救いだった。
そして足早に立ち去ろうとする。と、そこで再び振り返る。
「足利さん・・・でしたよね」
「あ、ああ。うん」
立ち去ろうとする間際、彼女は思い出したように言った。
「申し遅れました、赤松小春です。またどこかでお逢いしましょう」




