閑話休題、場面転換。
奥行きが遥か遠くに思えるくらいの青天井が広がる。
∞×∞ピクセルの、爽やかで少し淡い水色の澄んだ風景。
否、俺は視力が良くなかったので今のは盛りすぎた。
清々しい。
ところで、ここはどこだ?
草木が静かに揺れる音がする。春らしい性格の少し暖かい風が頬を撫でてゆく。
どこかの屋外か?・・・
「・・・気が付いたのね」
「・・・え?あぁ・・・・・・」
って、誰だ?俺は起き上がる。
俺の方を見向きもせずにそう言った彼女は、俺が起き上がってもなお、ずっとどこかをぼんやりと眺めている。
ストレートに伸ばしたロングの髪が優しく風に揺れる。
静寂の時間。
まだ陽は空高くに上ったままの昼下がり。
どこかの屋外。否、京ヶ丘学園内の中庭。
そこにある広い、背もたれのないベンチの上に俺は寝ていた。
というより、恐らくは気絶していた。
三方を校舎に囲まれて、他のどことも隔離されたかのような、異質の空間。
普段誰かがこの中庭でくつろいでいるのかどうか俺は良く知らないが、今、俺と彼女の二人だけがこの場にいる。
・・・まあ授業中だからかもしれないが。
「えっと・・・君が運んでくれたんだよな? ありがとう」
俺は依然としてどこかをぼんやり見つめる彼女に礼を言う。
もう自分から見知らぬ人に話しかけるという抵抗は失われていたどころか、自然とそう言えるのにも驚きはなかった。
克服したとでも言うべきか。
「・・・運んでなんか無いわ・・・。あなたが自分で来たんでしょう、拓」
「え? そうなのか?」
・・・そうなのか?でも俺の意識はあそこで・・・・・・
って・・・・・・あれ? なんで名前を、俺の名前を知っている?
俺は彼女に、会ったことが・・・会ったことが・・・・・・
記憶にない。
いや、アリスが放送で呼び出して俺がやってきたときに認識したのだろうか。
この人が例の、とか何とか。
認識。俺にとっては嬉しいことだ。
承認欲求---成果などを認められるのとは少し違う。
他人に認められるのではなく、存在を認識される。
つまり、見てないようで、見てくれたであろうことへの嬉しさだった。
「ここまで来たのを・・・。私が手を貸したのにそれを振り切ってここまで歩いて来たのを憶えて、ないの?・・・」
「ああ、・・・何も、憶えてない・・・・・・。悪いな、助けてもらったのに」
「・・・そう。気にしないで。・・・一色文華・・・私の名前。あなたの自己紹介はいらないわ、足利拓」
「・・・あ・・・ああ、どうも」
「私は三組だから、少なくとも違うクラスではあなたとの接点は無さそうね・・・」
どこか表情の読めない一色文華・・・・・・副会長だっけ、会計だっけ---は、どことなくクールなオーラを醸し出している。
あのとき、桐葉とやらと一緒にいたのか。
にしても、ここまで一人で来たって・・・?
じゃなくてだ。聞かねばならないことがある。
「な、なあ、ア、アリスは・・・?」
「桐葉さんが生徒会室へ連れ帰ったわ。副会長の仕事だって言ってね・・・いえ、会長補佐って言ってたかしら」
「つ・・・連れ帰った!? 何、何で・・・何で連れ帰ったんだよ、あんな危険な奴! 自分たちが何してるのかわかってるのか?!!」
授業中であろうことも忘れて、俺は叫んだ。
校舎に反響する、感情任せの叫び声。
目の前の彼女---一色文華の方が会計であることがわかったのはさておき、よりによってあの凶暴な生徒会長を野放しにすることが俺には到底理解できなかった。
連れ帰っただと? 何をしでかすかわからないのに?
否、既にしでかしてしまっているのに?
「ええ、確かに誤解を招いた言い方をしたかもしれないわね。ただまだ詳しく話していないのに、そうやって誤解する方もおかしいとは思わないのかしら」
「っ・・・!」
煽りのような言い返しに思わず応戦しそうになったが、言いかけて、やめた。
・・・そうだ、アリスを連れ帰ったにせよ、まず事情の説明がなけりゃ動きようもない。
既に推定無罪の状況ではないが。
とりあえず話を聴こう。
「まず一つ。アリスは椅子に縛り付けてあるから問題ないわ。次に一つ。その際身ぐるみを全部はがして全身隈なく、身体調査をしたわ。服のポケットというポケット、体の穴という穴を文字通り全部、桐葉さんと小春で調べつくしたらしいから安心して。」
「穴という穴・・・?」
「最後に一つ。これは生徒会の問題として解決したいというのが私たちの総意。と言っても、権力でねじ伏せたり隠蔽するなんて小賢しい真似や汚い真似はするつもりはない。だから、まず拓の話を聴きたいの」
「なあ、さっきから桐葉『さん』って言ってるけど、彼女は上級生か何かなのか?」
「へ? ああ、拓には言ってなかったかもしれないけど、桐葉さんは三年生よ。自称・永遠の会長補佐」
「へ、へえ。会長補佐ねえ」
「じゃ、話を聴くから。早速生徒会室へ戻るわよ」
てっきり二年生だと思っていた節があったが、どうやら勘違いだったようだ。
なるほど、一年しか違わないとはいえ、さらに大人びたイメージがないでもない。
それに・・・アリスの右手を掴んだ時の眼。
朧気ながら思い出すに、笑っていなかった。
ある意味でラスボスなのではないかなんて膨らむ妄想。
いや、とにかくだ。閑話休題。
一色文華はその三つを端的に列挙することで安全性の確保を保証し、俺はその三つを理解することで安全性の確保が保証された。
つまり、アリスは身体を余すところなくあちこち調べられあげたうえで今生徒会室の椅子に縛られており、俺は今からそこに乗り込むというわけだ。
うん。見方によっては事案だぞ。
「じゃあ行こうか。・・・えっと、」
「文華。せっかく固有の名前があるのに使わないのは損よ、拓」
「あ、ああ・・・そうだな、文華。うん、良い名前だな」
「ふふ、意外とナチュラルに褒めるのね」
「そりゃあ、名前に悪いものなんてないってのが俺の個人的見解だしな」
「そう、良いことだと思うわ」
あれ、・・・文華・・・とは、俺は前に逢ったことがあっただろうか・・・・・・。
そんな記憶・・・記憶?
否、どこかでかつて・・・・・・ならば、いつ?
交錯し、渦巻く記憶。
聞いてみる価値はあったりして、なんて思いながら。
「・・・どうしたの?」
「な、なあ、いきなり悪いんだけど、俺って・・・文華、君と以前逢ったことがあるような気がするんだ・・・」
・・・・・・・・・
沈黙。
「・・・何を言っているのかよくわからないわね・・・・・・」
思い違いだった。
この瞬間、俺はともすれば圧倒的感動に包まれるシーンになったであろうこの場面を、単なる黒歴史の一ページとして刻むことになってしまったのであった・・・。
場面は戻って、生徒会室。
の、目の前の廊下。まだ周りは授業中のようで人気はない。
周りが授業中なのに堂々とサボっていることにこの上ない違和感を憶えながらも、その扉を開けられずにいた。
「開けるわよ」
「待て待て待てぇい。・・・入る前に呼吸を整える必要があるから、しばし待ちたまえ」
「・・・好きにすればいいと思うわ」
・・・すう。はあ。すう・・・
・・・例えれば猛獣がいる檻の中、正確に言えば猛獣のいる檻のある部屋、いや、猛獣のいる檻のある部屋だが場合によっては破られる可能性があり、ひいては猛獣の遅めの昼ご飯になってしまう恐れのある部屋に、今から入ろうとしている。
さらにその猛獣は俺に敵意を持っているという特典付きで。レディーとやらを猛獣呼ばわりするのはやはり気が引けるが。
「よし、では準備完了。死ぬ覚悟はできた」
「虚勢を張る必要はないわ。開けるわよ」
ガラガラッ、と今風のスライド式扉を開けるや否や、機動隊のごとく突入。果たして!
・・・果たして、アリスはいた。
いた・・・のだが、イメージとは少し違った。
縛りつける、という表現も十分卑猥だと思っていたが、まさかそれを下着姿でするとは・・・。
流石に俺の想像の域を超えていたというレベルを超えていた。
すっかりとはがされ無造作に置かれたアリスの制服。
そして椅子に座らされている、否、拘束されている下着姿のアリス。
椅子の前足部分に両足をロープで縛り、そのせいで開脚状態になっている。
・・・俺には刺激が強かった。
後ろに両手を括り付けられ、身動きが取れないようにされている上に目隠しまで・・・。
ハーフアップでまとめられていた、赤毛でありながら金髪ともいえる髪は一旦ほどけたのか、また結い直されているようだが、多少乱れている。
そんな屈辱感を味わいながら前のめりになって項垂れているアリスの図・・・。
正直、良い。すごく、なんか、素晴らしい。
服の上でも確かにスタイルは見た感じ素晴らしいのだが、服という布、否、境界線をはぎ取ってなくしてしまい全体があらかた露わになったアリスは、そう---語彙力がないとこういう時に困るのだが---なんというか、芸術だった。
ミロのヴィーナスもびっくり。
ヴィーナスの像はアリスの美しさに吃驚仰天してる場面なんだぜ、と言われても納得しそうな。
口元は辱めを限界までこらえているのだろう、血が出そうなほど強く結んでいた。
だが、それがまた画になっている。すごい。
下着は・・・両方黒だった。
レースの・・・・・・って何言わせやがる!!!!
この俺という変態は! アリスの描写にどれだけ紙面を割きやがるんだ!!
美しいのは事実だけど!!!
事実だけどなあ!!!!・・・
・・・・・・・・・
・・・とりあえず冷静になろう。
そして俺はアリスのどんな罰も受けよう。
カッターナイフ以外なら。
いや、二人とも何をしたんだ・・・。何もここまでしなくても・・・。
「おう、亜種。来たかい。なんとか黙らせたぞ」
「ああ・・・はい、って・・・亜種って?」
「ん? ああ、『足利→あしり→Ashley→亜種』だ。ニックネームだよ、粋だろう」
なんでそうなるんだっ!!
亜種って、・・・何の!!
「桐葉さん。拓はまだ桐葉さんのことを紹介されてなかったのでは?」
「おや? そうかいふみちゃん、おほん。山名桐葉だ。三年一組、京ヶ丘学園高等部生徒会副会長。よろしくな、亜種」
「よろしくお願いします、・・・その、桐葉さん。足利拓です」
「うんっ。好きに呼ぶが良いよ。君のことは小春からさっき大体聞いたよ。いい仕事してるらしいねえ。よければ是非生徒会に入って・・・」
「桐葉先輩っ、今は拓先輩の勧誘をしてる場合じゃないですっ」
「ん、ああ、そうだった。・・・兎にも角にも、閑話休題と行こうか。さてさて京極ちゃんのことだけど、まああれから一撃でアリスの気を失わせたはいいものの、どうするかわからないもんでねえ。丁重に扱わねばならんのだろうけど・・・自称レディーの扱いにはほんと困り者だよね。で、良くないのは承知の上で連れてきたってわけ。君の話も聴かなきゃだからねぇ、亜種」
「あの、その亜種っての、やめてほしいんですけど・・・」
「一撃で」というのが強烈だった。「あの」アリスを止められるって・・・。
「いやぁ、大変だったよ全く。服を脱がせるや否や意識を取り戻して暴れだすもんだから・・・もう一回気絶させるのは面倒だったから、小春ちゃんに手伝ってもらいながら何とか椅子に縛りつけてそっから身体調査さ。ポケットというポケットから穴という穴まで隈なくだね」
「あーそれはさっき聴きましたよ、文華から」
「おやそうかい。まあ再度いっておくと、あちこち触りまくって入れまくって色々出して何回か叫んでたけどまあそれは無視してさらにさらにー・・・」
「あーもうこれ以上やめておいたほうが良いと思いますよ桐葉さん。アリスが死にます、屈辱のあまり」
「おっと失礼。ってなわけで何回もは流石にやりすぎたか、まあアリスはあんなふうになっちゃってるっつうことだよ」
あんな風・・・。何回も何をした・・・
いや、これ以上はよそう。
「小春、今すぐ服を着せてやるんだ。その間俺は外へ出ておく」
「はいっ、わかりましたっ」
「おやおや意外と君は紳士だねえ。もし京極ちゃんがこういうプレイを楽しんでいたらどうするんだい?」
プレイって言うなあああ!!!!
しかし何も答えずに俯くアリス。
表情は窺い知れないが、楽しんでるというのは流石になかった。
「・・・目のやり場に困るんですよ、刺激が強いというか・・・」
「ふうん、やっぱさっき京極ちゃんを見たとき素直にエロいと思ったんだろう? 美しいとか素晴らしいって誉め言葉を全部エロいに置き換えたのが君の感想だろうに。つまりあれか。まだ君は童t「着替えたら呼んでくださいねー」
無理やりだがなんとか脱出に成功した。
逃げるが勝ちの意味を初めて理解した瞬間だった。
そう、何を隠そう、俺は逃げたのだ。
確かに目のやり場とやらに困ったのは事実だが、それでもなお、俺は殺そうとしてきた相手にある種のいたたまれなさのようなものを抱いている。
だがそれに耐えられなかった。
だから、逃げた。
一体何故この期に及んで同情する必要がある?
相手は、・・・アリスは俺を殺そうとしてきたんだぞ?
否、同情ではないかもしれない。
ただ、命を本気で奪おうとしてきたあの、生徒会長---社長令嬢---京極アリス---は・・・肩書き・・・・・・そんなに使命みたいに扱うものなのか、・・・俺の理解に程遠いけれど。
・・・肩書きねえ。
静寂に包まれた廊下の壁にもたれながら、考える。
肩書き、役職、地位。
ステータスとしてこれらが重視されるのはやむを得ない。パッと見てわかりやすく、イメージを形成しやすい故に。
だけど、アリスが生徒会長でなかったら---想像しがたいが---どうなっていたんだ?
どうなっていた?
・・・生徒会長でないアリスは、俺を殺そうとしない?
・・・別の何かになら・・・
いや、駄目だ。殺されるどころではない。
簡単に殺されることを考えている俺はもう感覚が麻痺しているのだろうが、それで満足に終わるはずがないのは火を見るより明らかだった。
「良いわよ拓、入っても」
文華に呼ばれ、俺は中へ入る。
改めて制服姿の生徒会長。
話し合いとやらの口火を切ったのは桐葉さんだった。
「ここは私、山名桐葉が取り仕切ることにするよ。さてさて京極ちゃん、それから亜種。何も私とふみちゃんはずっとその場に居合わせていたわけではないから、君ら二人を発見するまでの茶番劇を見ていないのだ。あらすじというか、ネタバレを頼むよ。もっとも、私個人としてはネタバレが好きではないが、つまらないものは見るだけ時間の無駄だからね」