Re:記憶Ⅲ
「・・・っと、こんな感じでいいのかな」
当時の再現、とやらのアリスが設定した場面まで何とか進めた。
割とあの時の状況に近づけたのではないか、にしてもアリスと小春の演技力は抜群だなあ。俺もあんな迫真の演技ができただろうか・・・
とかなんとか、脳内反省会を一人で開きながらアリスの方を見やった途端のことだった。
異変に気付く。
・・・ん?
・・・アリス?
返事がないどころか、地面に横たわったまま動いていない。
気絶したか?打ち所が悪かったか?
「やりすぎたか・・・」
「どれだけ強く押したんですか、もー!!」
「いや、手加減するなって言われたから・・・まあちょっと力を抑えてはいたんだけど・・・」
「生粋の純真なレディーを突き飛ばすなんてっ!! 私を突き飛ばすならまだしもですけどっ!!」
「ごめんなさい」
小春、もっとプライドもっていいと思うぞ。アリスから分けてもらうなりして。
とにかく小春とともに、俺は依然として横たわるアリスのそばにしゃがみ込む。
小春がアリスの手首を取り、脈を測る。
晩春の暖かい風が吹く。閑静な街の通り一帯を風は軽やかにくぐり抜け、長閑でうららかな太陽の香りを運んでくる。
「うぅー・・・」
アリスの声が発せられる。
意識はあるのか?いや、確認しなければならない。
「アリス。自分の名前はわかるか」
「・・・京極アリス。京ヶ丘学園創設以来のカリスマ生徒会長・・・」
「・・・肩書きまでどうも・・・。ここがどこだかわかるか?」
「京ヶ丘学園正門に決まってるじゃない。それともアジアとか日本とかでも言いたいわけ?」
「アジアでも日本でも正解でいいよ。年齢はいくつだ?」
「レディーにそんな愚問は似合わないわね。今までどんな教育を受けてきたのかしら。反吐が出る。セクハラで訴えて退学にしてやるんだから」
「俺をそこまで退学にしたいのか。わかったよ。今何月だ?」
「何月だろうとこの多忙で充実したあたしに休む暇なんて無いわよ。小春、今日の会議のレジュメは用意したから、今すぐ印刷頼むわ・・・」
「わ、わかりました」
完璧だった。意識はありまくりだ。
というより意識高い系か。
俺みたいにいろんな意味で意識のない奴からすればどっちでもいいが。
とにかく、瞳孔を確認する必要はなかったようだ。
「小春、ありがとう」
「へへっ、お役に立てて光栄です。では一足先にっ」
俺の礼の言葉に返答しつつ小春は校舎へ戻っていった。
まだ授業中の校舎に。本当に大丈夫なのか?
再びアリスに目をやる。
「アリス、どうしたんだ?立てないのか?」
「・・・うーん・・・」
「あ、じゃあ、おんぶしてやるから乗りなよ」
自分の口から何故そんな言葉が発せられたのかはさておき、肩を貸すとかではなく、よりによっておんぶと来たか。
おんぶなんていつぶりにしただろうかなんて回想したが、一人っ子であり、かつ近所に幼馴染という概念が無いが故にその兄弟姉妹とやらとも触れ合うことのなかった---簡潔に言えば自分以外の子供と触れ合う機会がなかった俺は、おんぶも抱っこもしたことが無かった。
自分以外の子供って誤魔化しは流石に効かないか。
まあ、お察しの通りのお一人様なわけだが。
それに、おんぶや抱っこをしたことが無いのに生活はまるっきり人様に頼って、まさにおんぶに抱っこってか。
とんだジョークだぜ、笑わせるなあ全く!
・・・正直笑えなかった。
「ああ、ところでだアリス」
突然、そういえばあと一つ、俺は聞いておかねばならないことがまだあったのを思い出す。
ある意味最も重要なこと。
「どうだ? 俺を思い出したか? 足利拓だ」
小春、という名前を呼んだことからもアリスの意識は確実にあるのだが、俺を思い出したかどうかとは全くの別問題だ。
「・・・・・・ええ、勿論」
「おお!良かった・・・」
「衛礎雅七中学、足利拓。貴様だけは許さない、そう誓った相手・・・」
・・・・・・・・・???
ゑ・・・?・・・・・・何だと?・・・・・・
何て言いやがった・・・・・・・・・・・・???
アリスは立ち上がったかと思うと、いきなり、眼光で失神させられるのではないかというほどにまで俺を睨んできた。
そしてまた向き直り、手をブレザーの内ポケットに忍ばせる。
いまだに状況が呑み込めない。
どういうことだ。
否、俺はすでに察していたのかもしれない。
察していたのだろう。
察していた。
ただ、受け入れたくなかった。
まさか、また「あの場面」を味わうことになるなんてことを。
こちらを一睨するアリス。
右手にはカッターナイフ。
カッターナイフ・・・
・・・・・・(;゜Д゜)・・・
キリキリ・・・鋭利な刃先をこちらに向ける。
やはり。
・・・ああそうさそうなるだろうよわかっていたさ。
・・・・・・そうだろうよ、なあアリス・・・
だけど、それは先に言えよ・・・。
そこまで台本に書いてないじゃないか。
俺はこのとき生まれて二度目だろうか、本能的に恐怖を覚えたのだった。
ここで俺は大声を出して助けを求めることはできた。
しかしなぜかそれをしなかった。
なぜか?
あのときのように?
・・・違う。「何故」なんて、理由はない。
再度呟く彼女。
「・・・久しぶりね、足利拓・・・・・・憶えていないとは言わせないわ・・・・・・」
「散々待たせたくせに言うじゃないか・・・。待ち合わせに遅れておきながら・・・」
まるで生徒会長としての「使命」に従うかのような「あの頃」のアリス---俺に対する殺意をまとった京極アリスが目の前にいる。
殺意をまとった、なんて表現、このときくらいしか使わないだろうな。
だが、これは決して成功ではないことを伝えておかなければならない。
なぜなら、さっきまでは演技、言ってしまえば授業をさぼって行った茶番劇だったのだから。
今のは何から何までガチだ。
殺し合いのシーンで本当に殺してしまうような。
まさに今、そんな状況下なのだが。
だから、逃げた。
当たり前だ。
本能の赴くままに。
ペース配分など考えずに。
京ヶ丘学園が人通りの少ない、閑静なニュータウンにあるが故というべきだろう、いつものごとく人の気配はなかった。
だから、だとしても、誰かとぶつかる心配をする暇もないほどに、あのときのように走った。
あのとき叫んではいたのだろうが今は叫ばない。
叫べないのではなく、叫ばないのだ。
声がかすれたのでもなければ、パニックで声の出し方を忘れたのでもない。
無意味だとわかっていたから。
今度こそはアリスに命乞いなど通用しないだろう。
俺を殺して生徒会長の座どころか人生を捨てては本末転倒だ、なんて至極真っ当な意見は、もはや通用しそうにもなかった。
アリスは、使命のために使命に逆らうことをしているのだ。だが俺の説得力じゃあ聞く耳も持ってくれないだろう。
後ろを振り返る。
同じように全速力で追ってくる。が、そのスピードは幸いというべきだろう、互角だった。
右手にはカッターナイフ。
まだ、いける。ここでは死なない。
ここでこそ死ねない。
正直に言って死ぬ覚悟はない。
まだ高校とDTを卒業していないのもあるが、それ以上に生きた証が無いまま終わってしまうことが、何よりも惜しかった。
生きた証。
友達ができたことは立派な証だったな。
小夏、小春。二人とも、俺の親友だ。
だから・・・・・・絶対に、絶対に忘れないでくれよ・・・・・・
頼む。
もう忘れられるのは嫌なんだ。
ところで、人は二度死ぬという。
誰が言ったかは知らないがいつの間にか知っていた金言だ。
その言葉によると、一回目は肉体的に死に、二回目は人から忘れ去られることによって死ぬことで、人は完全に死ぬのだとか。
俺はこれを聞いたのがいつなのかを憶えていない。
だが俺が今思うに、この言葉の言い出しっぺは死の順序をそう確定づけてしまうことに疑問を抱かなかったのだろうか。
言葉は移り変わるから元をたどれば違う意味や解釈もあったりすることだってある。
それでもだ。
肉体の死と忘却による死が同時に襲ってくるかもしれない。
或いは、忘れ去られて死んだ後に、究極の孤独の中で息絶えることだってあるかもしれない。
現に俺の叔父、それから母方の祖父母は俺を忘れてはいない、はずだ。
でも、その閉じたコミュニティの外で、俺は確実に認識から外れている。
不老不死の存在がこの世にいるのかは知ったこっちゃないけれど。
まあいずれ死ぬのなら、葬式にはできるだけ多くの人が集まってほしいな・・・とか幻想ににも似たことを。果たして葬式を催してくれるのかは知らないが。
・・・ざくっ。
一心不乱に走る俺の脚の部分を、不意に何かが斬っていく。
「うわっ!!!!!っていてええええああああああ!!」
叫んだ。
遠方から思いっきり、ダーツのようにカッターナイフを投げたと気付いたのは少し後のことだった。
脚に切り傷。前方の地面に、すっかり見慣れたカッターナイフ。
恐怖と疲れとで崩れるように倒れこみ、やられた右脚の外側を手で抑え込む。
とめどなくあふれる血。というのは大袈裟だった。
血は出ているが、まだ浅い傷だったようだ。
・・・脅しだろう。逃げないようにまず脚を狙い動きを止める。
狩猟の際には首元や心臓を狙ったりするとか聞いたことがあるが、貧弱な人間に対しては脚を狙うだけで十分だろう。
さてさて、傷は幸い深くなくてよかったが、状況は不幸にもどん底だ。
後ろを振り返れば、追いついたアリスがほんのわずかだけ離れて立っていた。
そして極めつけと言わんばかりに、アリスは内ポケットからもう一つのカッターナイフを出す。
キリキリ・・・
スペアまで・・・用意周到だなあ、この超有能会長さんは。
俺の少し離れた後ろにも使用済み(?)のカッターナイフはあるのだが、もう応戦する気にはなれない。
遠方から照準を定めて俺の脚に見事に、さらに十分なパワーをもってして当てたこの美少女に、俺はとても勝てる気がしなかった。
つくづく軟弱さを実感しながら。
でも、俺も最期くらい会話の一つくらいしたかったのだろう、思わず話しかけてしまった。
「・・・なあ、アリス。・・・慈悲、ある?」
「あるわけないでしょう。脳味噌あるの?」
「・・・ですよねー・・・」
「それとも、またあのときのように命乞いでもしてみる? 話だけなら聞いてあげてもいいわ」
「命乞い? はは、いや、もういいよ。漢としての覚悟はできている・・・」
「あら、そう・・・じゃあとりあえずくたばってもらうとして・・・」
「ああそうだ、前言撤回。聴いてほしい話があるんだった」
「はぁ??・・・」
「人は二度死ぬってやつ。知ってる?」
「見縊るのも大概にしてほしいものね。身体と忘却による死の二面性を論じた言葉でしょう。あたしは好きではないわね」
「ああそうだな、わからん。で、まあそれなんだけど・・・アリスが俺を殺した後、アリスは俺を憶えていてくれるかい?・・・ってことなんだけど」
「愚問ねえ、そんなわけないでしょう。・・・まあ憶えていてほしいって言うのなら考えないこともないけど、でも実際あなたはあたしを邪魔した前科があるもの」
なんだ、それほどまでに名誉というか、使命と捉えていたんだな。
ただやっぱり、俺は君の考えが最期まで分からなかったようだよ、アリス。
「そっか・・・。じゃ、好きにしてくれ」
アリスはゆっくりと歩み寄ってくる。
右手にはカッターナイフ。
ああ、ここで死ぬのか。
来世は、もっと色濃いキャラになれるかな、なんて。哀愁に満ちた微笑みを浮かべながら。
アリスは。
その右手を、俺の脳天へ「ああーっとまた外出て遊んでるー」
・・・?
「ちょ・・・桐、葉・・・。その手を離しなさい・・・」
「んー? 聞こえんなー。京極ちゃんこそ、いい加減厨二じみた茶番はやめにしたら・・・どうだい? ねえ、君もそう思うだろう?」
言って俺を見る、桐葉とやらの・・・・・・副会長だっけ・・・。
俺は突如として変化した状況にまたも対応できず、何がどうなっているのかわから---
------意識はそこで途切れた。