番外編 想いは内に…
『天使音階』より前の時間軸で、まだ瑚太朗が二つの組織で暗躍していた頃の話です。
短いので番外編として投稿します。
フォレストで入荷伝票の書類を書きながら、瑚太朗は窓越しに店の外をふと眺めた。
もう夕方だった。帰宅途中のサラリーマンや買い物に行く主婦などが、通りを忙しなく歩いている。たまに店を覗こうとする客らしき人影もあるが、大概が通り過ぎていくだけだ。むしろそのほうが有難い。
客商売など柄ではなかった。――江坂の顔を立ててこうして店長代理などしているが。
もともとこの店もガーディアンの隠れ蓑なのだから、目立つ商売などする必要もない。
だから本来は店内の骨董も入れ替えたり、入荷したり、注文を受けたり――しなくてもいいのに。
「なんで、俺が入った途端にこんなに仕事が増えたりするんだよっ!」
バンッ、と机を叩いて書類を放り投げた。……もうやめだ。
こんなことで時間を潰してなどいられない。
江坂が日本にいない今がむしろチャンスなのだ。ガイアの中枢に入り込むためにはもっと信用を積まなくてはならない。ガーディアンの任務などそれこそ今宮を誤魔化せばなんとかなる。あいつらはただガイアを殺すことしか考えていない。同じように数人始末しておけばいいだけ。
魔物使いとして手柄をあげるためには――やはり、鍵の情報だろう。
洲崎に提出したレポートには鍵の存在を示唆する言葉をいくつか散りばめておいた。もちろん所在を掴めるようなことは伏せておいたが。
やつが喉から手が出るほど欲しがっているもの、それが鍵だ。
森のあちこちに魔物使いを放っているのも鍵の匂いを探りあてるため。――ならば。
それを逆手に取ることはできないだろうか。
鍵を、――篝を……。
「……っ」
思わず息を詰まらせた。なにを考えているんだ、そんなこと出来るはずが……っ!
ただでさえ篝がふらふらと出歩いてそのたびに捜索をかけている。いくら言ってもひとつ場所にじっとしてくれようとしない。あんなじゃじゃ馬、すでに手に負えなくなっているというのに。
篝は確かに二つの組織にとって、ちらつかせるだけで揺るがすことができる強力なカードだ。
だが、……手に余る。
扱いかねる。
そもそも、最初に僕と言い切ったのは篝のほうだ。つまり、主導権は完全に篝ということになる。
それは別に構わない。卑屈になるわけではないが、あれは人間ではなく星の使者で、魔物の総大将のようなもの。人間ではないのだからどう見られようとなんとも思わない。
だけど……。
篝のために手助けしたいと思っているのに、――それを解ってくれない。
篝の言うように二つの組織を物理的に排除したところで、星の求める『良い記憶』になるとは思えない。篝は自分でも何が『良い記憶』になるか解らないから、試せることなら全て試そうと考えている。
――俺のやり方が間違っているのか。
何度そう思っただろう。こうして暗躍したところで見えてくるものが見つからない以上、篝が焦る気持ちもわからなくはないけれど。
焦っているからこそ、ああやって何度も森を抜け出し、出歩いて……。
「なあっ?!」
窓の外。――篝が歩いていた。
人ごみに紛れているが、普通に街中に溶け込んでいる。ふわふわと漂うリボンが視界を通り過ぎるのを待たず、慌てて店の外に出た。
観光でもしているつもりなのか、あちこちを見上げて、見回しては、興味深そうに視線を向けている。
気配を探る。辺りに魔物の気は感じない。もっともこの辺はあちこちに圧縮空間の出入り口がある。どこから魔物が出てもおかしくはない。
無用心にも程がある……!
さすがに頭にきた。出歩くなと釘をさしたばかりなのに。歩く爆弾だということを理解していないのか。
背後から近づいて篝の肩を掴んだ。――振り向いた彼女の顔は。
咎めるような、問い詰めるような、きつい眼差しを向けていた。
むしろそうしたいのは自分のほうだ。
「離しなさい、瑚太朗!」
リボンが手を振り払おうとするより先に、篝の腕を引っ張って自分の胸の中に引き寄せた。
硬直したように固まる身体を抱きしめる。思った通り、人との接触に慣れていない。いつもリボンで払い退けられていたのは、やはり接触を避けていたから。
篝の弱点を見つけた。
「は、なし……!」
「篝。……いい加減にしろ。見つかったらどうなるか何度も言っただろ」
低い声で、できるだけ怒りを抑えながら耳元で囁くと、篝の目が見開かれて唇が震えた。
心外だとでもいうかのような表情。
そう、篝は……自分が間違っているとは思っていない。だから。
こうして解らせてやらないと。
篝を抱え上げ、路地裏へと入り、足を蹴ってそのままビルの壁を飛び駆けた。
普段ならここまでアクロバティックな行動はしないが、今は一刻も早くこの場を離れる必要がある。
肩の上の篝が何か叫んでいたが無視した。リボンが腕に、足に纏わりつこうとするのを払い除ける。構ってられるか。
ビルの屋上へと辿り着くと、給水塔のある鉄塔へと近づき、街を見下ろせる高さであることを確認してから篝を壁に押しつけた。
「……っ」
ガンッ、と強く身体を押さえたせいで篝の表情が一瞬痛みで歪んだ。だが、それすら意に介さなかった。
篝の顎に手をかけ、空を見上げさせた。攻撃する余裕もないのか、ただ瑚太朗の行動に戸惑っていた篝は、空を見て――。
言葉をなくしたようだった。
「わかったか。翼竜と、葉竜がああやって上空から監視してるんだ! 街と森、両方をな。鍵を――あんたを探して!」
「……」
魔物の姿は認識撹乱の術で見えなくなっているが、魔物を使役する者や超人の素質が少しでもあれば見つけることができる。翼竜を使役する者もそのリスクはわかっているのだろう、雲の中に紛れながらホバリングして飛んでいる。
今は魔物の警戒網から離れた場所にいるから発見されていない。――だがいつ見つかってもおかしくはない。
そんな状況であることを、篝に見せつけた。
「街の中を歩くってことは、あの警戒網に入ることなんだ。魔物のアンテナを侮るんじゃない。あんたみたいな濃い緑の匂いを嗅ぎつけられないとでも思うのか。……これでわかっただろ、どれほど無謀な行動をしてたってことが!」
「……」
篝は項垂れた。
離すよう抵抗して腕にかけていた手の力を落とし、瑚太朗の胸の中によりかかるように身を預けた。
「お、おい」
シャツを握りしめ、震えるようにしがみついてきた。
わずかにかかる篝の吐息。それがシャツを通して肌にまで伝わってきた。
(な、……なんだよ)
篝の様子が……。
今まで見たこともないような、怯えた様子に、爆発しかけた怒りの置き所がなくなってしまった。
髪に触れる。
いつもなら頭を撫でると不愉快だと言わんばかりにリボンで振り払われるが。
頭を抱えるように髪を撫でると、篝は――。
瑚太朗の背に手を回して、抱きついてきた。
「…………」
ドクン、――胸が、鳴った。
鼓動がうるさいくらいに高鳴る。……苦しい。なんだこれ。今まで感じたことのない痛み。
篝を見下ろしているだけで。
胸の中が熱くなる。……やめろ。俺を惑わすな。
これは魔物で、人間じゃない。……人間じゃないのに。
なんでこんな、無垢な少女の姿をしているんだ……!
「ごめん、なさい……。篝が……愚かでした」
泣き声のような声。
いや、泣いてはいないが声が震えている。――怯えているのだ。恐ろしくて、怖くて、震えている。
頼れるのは目の前の男しかいないから、こうやって縋りついている。
それだけのことなんだ。
だからこれは、――惑わしているわけじゃない。
衝動がこみあげる。
篝を思いきり抱きしめて、不安など感じさせないようにその柔らかな唇を貪りたい。
小さなその身体をきつく、きつく……抱きしめたい。
もう、その気持ちを誤魔化すつもりはなかった。
だから。
篝の頭をそっと撫でた。……幼い子供をあやすような仕草で。
「……わかってくれればいいんだ。怖い思いをさせて、すまない……」
「瑚太朗。……傍に、いてくれますか」
「ああ、今夜ならたいした用事もない。一晩だったらつきあうよ」
「……怖い。ここに、いたくありません。森に連れてってください」
「わかった。じゃ、跳ぶからしっかり掴まっててくれ」
篝は素直に首に腕をまわしてきた。
軽い身体を抱きあげる。横抱きにしてそのままビルとビルの間を跳躍した。
腕の中の、篝のぬくもり。
守りたい……。
もうどんな言い訳も建前もするつもりはなかった。この存在を守りたい。行動理由はそれだけだった。
篝の吐息を首筋に感じる。
彼女の頭をぎゅっと抱きしめ、空を飛ぶ魔物から隠すように森へと駆け抜けた。
end
1時間くらいで書けてしまったので番外編にしてみました。
本編も現在執筆中です。ちょっと幕間を書いてみたくなったので。話がさかのぼってますが。
篝の指図にいろいろ言いたいことあったんじゃないかと思いますが、なんだかんだで逆らえなかった理由がこれです。
篝を利用することも考えてなかったわけじゃないと思いますが、出来なかった理由がこれです。
実にわかりやすい男ですね。