(6)覚悟の旋律
彼女の中に包まれて、彼女とともに心と身体を繋ぎあった瞬間に。
何も心配はいらないのだと微笑まれた気がした。
行くなと何度も囁いた。
君を失いたくないときつく抱きしめた。
彼女はただ、――微笑んで。
お茶目な仕草で、こう言った。
『ここまでしちゃった責任は、ちゃんと取ってくださいね』
たぶん……。
プロポーズのようなものだと思うのだが。
返す言葉を見失い、戸惑っていると。
クスクスと笑いながら、指先を唇にあてて内緒話をするかのように囁いた。
『瑚太朗だけにしかサービスしないんですからね』
まあ、……その。
鍵とこんなことをする人間なんて、自分くらいだろうし。
ここまで許してくれた彼女に頭がさがる思いだった。
『浮気したら駄目ですよ?』
……なんのことだ?
わけがわからない問いかけ。浮気もなにも、君しか見えていないんだけど。
『瑚太朗は……モテるから』
濡れ衣です。
思い過ごしです。誤解です。
まるで嫉妬してるような拗ね方に、可愛いとは思うが、何をどう見たらそうなるのか。
真心をこめて彼女に誤解だと訴えると。
からかうような笑みを浮かべた。
『もう篝のものです。唾つけちゃいました。他の誰にも渡しませんから』
……可愛すぎる。
たまらず、彼女を引き寄せた。
唇を貪り、感じる部分を触れていく。吐息があがっていく彼女をうっとりと見つめていると。
頭の中に、――声がした。
――鍵ヲ、見ツケタ……
声というより、それは。……意志の集合体のような。
篝を見る。
彼女は、ただ――微笑んでいた。
最初に見えたのは、月の光。
綺麗な満月だった。今夜はいつもよりも月光が眩しいような。というか窓が開けっぱなしになっている。
いや、開いているというより、窓に大穴が開いていた。
どうりで寒いわけだ。
何も着ていないからだった。外の空気が直接肌に突き刺さる。……外気?
跳ね起きた。
隣にいるはずの篝は、もう……どこにもいなかった。
アクリル製の防弾ガラスは見事に丸く切り抜かれていた。テロ対策用の要人警護仕様でかなり頑丈な造りなのに。
――篝しかいない。そんなことができるのは。
行ってしまったのか……。
唇を噛み締めて俯く。
わかっていたことだ。彼女が鍵である以上、こうなることは。……わかっていたはずなのに。
自分の不甲斐なさに腹が立つ。
引き止めることが出来なかった。繋ぎとめられなかった。彼女をとめることが……出来なかった。
いや……。
「まだ間に合うはずだ……」
篝はあと数日あると言っていた。それが一日なのか二、三日なのかわからない。だが今からでも十分間に合うはずだ。
データ公開を踏み切る。
おそらく公開と同時に司直の手が回る。それによって動きが取れなくなるのを恐れていたが、もうどうでもいい。
準備はすでに整っている。連絡するのはヤスミンだけでいい。彼女にだけ細かい指示を渡す。
ガーディアンのほうはどうするか。
まだ利用価値はある。本部には出頭してガイア消耗作戦をしつつ両陣営の殲滅を図る。ガイアとガーディアン、両方を叩き潰す。俺ならやれる。
そのままガイアの中枢まで潜入し、加島の行方を探り出す。
洲崎から預かったデータがあれば加島を誘き寄せることも……。
やるならもう動いたほうがいい。時計がないが、月の傾きでだいたいの時刻を把握した。――夜明けまであと二時間。
篝……。
彼女を再びこの手にするまで、絶対に諦めたりしない。
どこにいようと必ず探し出す。
そして……。
「誰にも、……星だろうと、おまえを渡さないからな」
心も身体も魂も。
すべてを彼女に捧げた。……もうなにも恐れない。
篝を失うこと以上の恐れなど、なにもなかった。
「小鳥。……起きてくれ」
助けが必要だった。
ドルイドの使命を捨てさせたつもりだったが、事ここに至ってはその力も必要になる。
彼女を一人の戦力として、自分の同志として、最後まで付き合わせることにした。
子供だからとか、もうそんな言い訳をするつもりもなかった。そう、……言い訳をしていた。
小鳥を巻き込みたくないという言い訳をしていた。
もし死んでも責任を取りたくない、罪悪感を感じたくないという、自分のエゴ。
お笑い種だ。ここまで付き合わせたくせに何を言っているのだと今さら思う。
小鳥は自らこの道を選んだ。
それを一人の人間として認めてやらないでどうする。
篝を取り戻すためなら、今は一人でも戦力が欲しい。小鳥は十分役に立つ。それを自覚した。
「小鳥。おい、起きてくれ。頼みがあるんだ」
「ん、……ぅ」
「涎、拭けよ。ほら」
ハンカチで口元を拭い取り、被っている毛布を引き剥がした。……バカなやつ。豪華なベッドには見向きもせずに、こんなところで。
……心配、かけたんだな。
今はその気持ちだけで有難かった。
「こ、たろう……くん?」
「なんだよ、その顔。鳩が豆鉄砲くらったみたいな」
「……え? 瑚太朗くんなの?」
「なに言ってんだよ。俺以外の何に見えるんだ」
「だ、だって……その顔」
「顔?」
小鳥の手が顔に触れる。
鼻や口元、顔全体を撫でまわすように触る。くすぐったくて手を振り払った。
「な、なんだよ」
「こ、瑚太朗くん……む、昔に、戻ってる……」
「は?」
「別れたあのときと、同じ顔だよ。高校生のときの……」
「な……?!」
慌てて洗面所に駆け込んだ。
鏡を見るとそこに、――十代の頃の自分がいた。
それどころか背まで低くなっていた。
「そんな……! せっかく身長伸びたはずが!」
軽いショックを受けたが、いやそんなことはともかく。
まるで中学の頃と変わらないコンプレックスの塊だった童顔の頃に戻っていた。
というより、若返っていた。
……どういうことなんだ。
上書きをした影響なのか。そういえば顔まで変わったどうかまでは気付いていなかった。
「くそおっ! 伸びた俺の十センチが……! ……いや、もうどうでもいい。背なんてまた伸びる」
「瑚太朗くん……どんまい」
「慰めはやめてくれ。……しかしまいったな。顔は作り変えられるとしても、身長が低くなったらさすがに怪しまれる」
「シークレットシューズでも履く?」
「そんなもの履いたら動きにくくて仕方ないだろ。……まあ、いい。どうせもう正体をバラすつもりでいたんだ」
「え?」
「小鳥。救済をとめると言った俺の言葉、覚えてるか?」
「う、……うん。覚えてる」
「それを信じるか?」
「正直、……信じられない。ありえないから」
「よかった。それを聞きたかった」
「え? どういうこと……?」
「おまえが俺についてきた理由がそれだ。信じられない。それなんだよ。おまえの性根は天邪鬼だ。だから俺みたいな正反対なやつと付き合う羽目になる。こうなったらとことん付き合ってもらうからな」
「……あんたなんて嫌い」
「それでいいさ。嫌ってくれて構わない。だから小鳥。手を貸してくれ」
「言ってることがめちゃくちゃなんだけど」
「天邪鬼なおまえにはめちゃくちゃなほうが合ってるだろ?」
小鳥は、……やっと砕けたように笑った。
諦めたような笑みだった。
「死んだりしたら許さないから」
「死ぬつもりなんてない。好きな女を残して死ねるかよ」
「それって……篝のことだよね」
「浮気は駄目だと釘を刺され済みだからな。付け入る隙はないぞ」
「……そっか。……篝と」
「ああ、相思相愛になった。他人の恋愛だけど応援してくれるか?」
「仕方ないから応援してあげる。ちゃんと見届けてやるんだから」
小鳥と手のひらを交し合う。
パンッ、と小気味いい音を鳴らして、やっと対等になることができたのを喜ぶかのように小鳥は微笑んだ。
――だが。
言っておかねばならないことがあった。
「小鳥。……この先、危険が待っている。俺はおまえを守るほどの余裕はない。死ぬ覚悟はあるか?」
「死ぬつもりなんてない。でももし仮に死んだとしても、瑚太朗くんを恨まない。私のことは気にしなくてもいい」
「……わかった。おまえの覚悟を受け入れる。じゃあまず、頼みたいことってのはこれだ」
瑚太朗はノートパソコンを持ってきて、そこに書いたこれからの計画書を小鳥に話した。
to be continued……
次回は投稿が遅れます。
個人的な理由なんですが入院予定です。ノーパソ持込禁止なので。
中途半端で申し訳ありませんがお待ち下さい。
いや、待ってる人いるのか……?
おそらく一ヶ月もかからないと思いますけど、その、気長にお待ちいだけると。
お詫びにすこしだけネタばらし。
朱音さんは重要キャラとして登場します。お楽しみに。