(4)sogna
花火なのか、何かのパーティなのか。
あるSNSに投稿された一枚の写真が、ネット上に噂と憶測を撒き散らしていた。
風祭市の高級ホテルの最上階。
四階建てのペントハウス。そこから突き出たガラス張りの室内から、綺麗な虹色の光がフラッシュのように映し出された写真。
いつしか動画もあがっていた。
その綺麗な映像は――閲覧者に羨望と嫉妬、そして何が行われているかの興味をかきたてるに十分なものだった。
――だが。
中で行われているものが地獄よりも凄惨なものであることなど、誰一人気付くものはいなかった。
「く、ぅ……っ!」
一歩踏み入れた途端。
瑚太朗は全身が圧縮されるような高過密な重力を感じた。
息がとまる。……というか、息ができない。
これがアウロラの中。
生身ではとても耐えられないものだった。上書きしたとはいえ肉体的負荷はまだかなり強かった。
だが……。
(耐えてみせる)
体内の血液が高速で駆け巡っていくのを感じ、そのまま流れに身を任せるように目を閉じる。
篝と繋がったときも同じ対処法で乗り越えた。
この圧縮された空気はおそらく地球の磁場を一極に集めたエネルギーと同じもの。
普通の人間なら回転性めまいで立っていられなくなる。
だから瑚太朗は何度も篝と繋がるために、三半規管の抑制力を上書き能力で底上げしていた。それはもはや人間の力を超えた何かだったが。
肉体が変えられたわけではなく、あくまで体質的な部分的進化といえるものだった。
おそらく今の身体ならば深海だろうと宇宙空間だろうと生きられるかもしれないが、……それも数秒か、数分だろう。
最後まで気絶せずに生きていても次の瞬間には死ぬような、一時的なもの。
それでも。
篝を満足させることができるのであれば十分だった。
「かが……り……」
歯を食いしばって目を開ける。
そこで繰り広げられていた光景に愕然としたが、何よりも恐怖で身が竦んだ。
リボンの動きがめちゃくちゃに暴れまわっている。
篝はその中心で声にならない叫びをあげていた。
以前の暴走のときを思い出したが、その比ではない。
なによりそのリボンが……篝自身すら傷つけるのを厭わなかった。
(このままじゃ……!)
篝の身が危ない。
服はボロボロ。肌のあちこちに酷い裂傷が見える。篝の髪も切り刻まれたように長さが揃っていなかった。
リボンの動きは不規則で、狂ったように暴れていた。――理性と感情がめちゃくちゃになる。確か小鳥はそう言っていた。
篝自身の心の状態が、リボンの動きだということか。
なんとかして心を落ち着かせることができれば……。
瑚太朗は辺りを見回した。
豪華なサンルーフのバスルーム。露天風呂風の浴槽はプールのように広かった。
篝がいるのはその中。湯は濃いアウロラの放出でゼリーのようにドロドロになっている。
だが瑚太朗は躊躇わずその中に足を踏み入れた。
焦点のない瞳で篝が瑚太朗を見つめ、口をパクパクと開けながら何かを叫んでいる。言葉にならない声で。
「落ち着け、篝。大丈夫だ」
篝が両手を激しく振り回した。
リボンが襲いかかってくる。傷つくのも構わず、瑚太朗はドロドロの虹沼をゆっくりと漕ぐように歩いた。
一歩進むごとに……。
身体が溶けていくような意識ごと消えてなくなりそうな感覚に襲われていく。
普通の人間ならとっくに溶けて消えている。
鍵に近づこうなど、神の領分に触れるに等しい行為。愚かな人間に手が届く存在ではない。
それを思い知らせるような拷問を。
瑚太朗は幸せそうな微笑を浮かべ、耐え抜いていた。
「篝。……俺だ。瑚太朗だよ。もう大丈夫だ。俺がいる」
ひたすら。
彼女を落ち着かせようと言葉を投げかけ、一歩一歩、近づいた。
手を伸ばす。
リボンが左手首を切断した。――構わない。手ぐらいくれてやる。
「なあ、そんなに怒るなよ。……江坂さんからケーキ、もらったんだ。あとで美味いコーヒーいれてやるからさ、一緒に食べよう」
右手で左腕を押さえながら笑顔を絶やさず語りかける。
篝の慟哭のような叫び声はおさまる気配がなかった。
その意味不明な言葉は、瑚太朗の脳神経すら破壊する勢いだったが、瑚太朗の笑顔は消えなかった。
「篝……。今度は俺からお願いしても、いいか……? また、したく……なったんだ……って、怒るかな、やっぱ」
目が霞む。
意識が遠ざかる。
……限界か。
だが最後まで諦めるつもりはなかった。
「この、中……篝の中にいるみたいで、さ……苦しいけど、気持ちいいな……って、どういう状態なんだろな」
あと一歩で届くというところまできて。
リボンが――背中から貫通した。
「……げほっ」
肺から大量の血が喉元を通ってせりあがってきた。
膝をつきそうになるのを最後の力を振り絞って耐え切る。
瑚太朗は――。
やっと篝を頭ごと抱きしめることができた。
「篝……」
愛おしく名を呼び、……そして。
篝を抱きしめたまま、瑚太朗は気を失った。
暖かい……。
いつまでも包まれていたい暖かさだった。唇を通して全身に伝わってくる。
薄目を開けると。
篝に口づけされていた。
夢の中なのだろう。
こんな夢ならいつまでも見ていたい。
篝の頭に手を伸ばす。
彼女を引き寄せながら深く口づけを交わした。
舌を絡め、口内をかきまわす。応えるように吸い上げてくる。
口づけって、……こんなに気持ちいいものだったのか。
彼女の髪に指を絡め、耳たぶに触れると、くすぐったそうに微笑んだ。――可愛いな。
夢中になって彼女との口づけに酔いしれた。
水音が木霊する。というか……反響?
ああ、そうか。ここは浴室だった。それもやたら広い。……広すぎる。
これじゃまるでアメリカ映画か何かで見たような、そう確かゴッドファーザーとかに出てきた、コンドミニアムとかそういう。
自分がいるにはそぐわない場所のような気がする。
まあ、いいか……。
篝の口づけが気持ちいい。
触れては吸い上げ、舐め合って、互いの快感を導きあう。
もう少しこのままでいたいけれど。
きっとこんな都合のいい夢はすぐ覚める。
左手で彼女の頬をつねった。優しく。そしてまた口づけあう。
サービスのいい夢だった。
だってなくなったはずの左手がちゃんとあるから。
……左手?
ふと、手のひらをみる。
篝の頭越しに裏表ひっくり返してみた。……ちゃんとある。
胸も。……穴が開いていたはずだが。
これは夢だよな?
そう思って篝の顔を離して、目を瞬かせて問いかけようと口を開けると。
「左手の具合はどうですか?」
篝の落ち着いた声が綺麗な反響となって聞こえてきた。
唇がわなわなと震える。
――現実、だった。
「か、……篝」
「痛みはもうないようですね」
「ど……どう、……どういう……」
「落ち着いてください」
「落ち着いたのは篝のほうだろ!」
起き上がり、篝の肩を両手で掴んだ。
両手。
切断されたはずの左手首は、まるで何事もなかったかのように繋がっていた。というか、ほとんど元通りだった。
風穴の開いた胸も塞がっている。接合されたような痕すらない。シャツは見事に大穴が開いているが。
血まみれのシャツに。……現実だったのだと思い出した。
「何を……どうしたんだ」
「篝ではありません。瑚太朗が自分の生命力で治したんです」
「え……?」
「瑚太朗の手首を押さえただけです。あとは自然と繋がりました」
「そんな……バカな」
「あなたの身体は人間ではあるけれど、体組織や細胞質、神経系に至るまですべてアウロラによって変換されています。この部屋の濃いアウロラが自然治癒力を促したのだと思います」
篝は瑚太朗の手首を触りながら、落ち着いた声音で語った。
その様子は。
まるで初めて会ったときと同じ、――知性を得て生意気な口調だったあのときの、懐かしい声だった。
「篝……治った、のか?」
「はい。痛みがないようでしたら、もう完全に治ったのではないかと」
「違う! 俺じゃなくて、篝だ! 正気に戻ったのか?!」
「……。終わりが近づいています。おそらく、あと……数日」
「……っ」
「見極めの時がきました。狂歌現象はその前触れです。篝はもう、行かないと」
「行くって……どこへ」
「呼んでいます。星の中へ戻らないと……」
「駄目だ……っ!」
篝をきつく抱きしめた。
行かせたくない。失いたくない。
星になど還さない。
「まだ答えを見せていない! 俺の出した答えを! それまでどこにも行かないでくれ……!」
「瑚太朗……」
「星を救う道はちゃんとあるんだ。篝の求める『良い記憶』の答えが見つかった。あと少しでそれを見せることができるっ!」
篝の手が瑚太朗の背中に回された。
匂いを嗅ぐように篝の顔が胸に押しあてられる。彼女の仕草に胸の高鳴りがどうしようもなく轟いた。
「ヒトって、温かい……」
「篝も暖かいよ。命そのものだから」
「瑚太朗からはとてもいい匂いがします」
「そ、……そう?」
「篝と同じ匂い。暖かくて、柔らかくて、気持ちのいい……」
「たぶん、それ……上書きのせいだ。篝と同じ体質にしたから」
「それもありますが。……なぜか、とても懐かしいんです」
「懐かしい?」
「遠い昔から知っているような匂い。きっと原初の記憶。……瑚太朗。篝を抱いてくれますか?」
「……ああ、喜んで」
最後になるかもしれない。
だけど、それでもいい。
篝の頬に手を寄せ、優しく撫でながらそっと唇を重ねた。
to be continued……
sognaでソニアと呼びます。夢、という意味だそうです。同タイトルの某弾き手さんの曲から拝借しました。
すいません、次回18禁になる予定です。
中途半端なところで切りましたが、これ以上先はもっと妄想もとい構想を練ってじっくり書き上げたいので。
しかし、こんなところでやったら丸見えになるんじゃないですかね……。
というわけでガラスの内側はアウロラの靄で何も見えない設定にしておきます。