(3)命の音
月を見上げる一人の少女がいた。
たった一人で佇むその少女を、施設の教員の一人が見つけ、――躊躇うように声をかけた。
「……春花ちゃん。そんなところで立っていたら風邪をひくわ」
自分の着ているカーディガンを背後からふわりとかけてあげると。
春花と呼ばれた少女は教員を見上げ、静かに後ずさりした。
そんな彼女に、教員は苦笑するかのように微笑んだ。
きっと、まだこの施設に馴染めないでいるに違いない。
こんなところに立っているのも、大部屋のみんなと顔を合わせ辛いだけ。
そう思った彼女は、少女の意を汲み取り、あえて近づくことなく膝を折って少女の目線に合わせて語りかけた。
「ね、暖かいココアでも入れてあげましょうか。みんなには内緒ね。春花ちゃん、寒い思いしちゃったものね」
悪戯っぽい笑みで語りかける。
彼女の人を和ませる笑顔は、施設のどの児童からも好かれていた。
だが――。
少女の憂いに満ちた顔を氷解するには至らなかった。
「春花ちゃん……」
「……」
「お星様、見てたの?」
根気強く、話す。
春花という少女を、いつも一人でいるこの寂しそうな少女を、見過ごすことはできなかった。
「……月」
「え?」
「月を、……見てた」
やっと話してくれた。
教員は顔を綻ばせて少女に笑みを向けた。
「そう。綺麗なお月様ね。春花ちゃんは、お月様の中になにを見たの?」
「……雨」
「え?」
「虹色の、……雨」
「え? ……雨? ……え?」
なんのことを言っているのか。
見上げてみるが、そこにあるのは綺麗な満月しかなかった。
雲ひとつない夜空。瞬く星々。風祭は緑化指定都市であるだけに空気が澄みきっており星空がよく見渡せた。
でも……。
月に虹色の雨だなんて、どう見てもわからない。
彼女は教員資格を取る前の学生時代、心理学を専攻していた。
ロールシャッハ的な俯瞰視点でその言葉を捉える。――だが理解の外だった。
どの症例でもそのような見方はきいた試しがない。
「は、……春花ちゃん。それはどういう意味なのかな?」
情けないが。
少女に直接きいてみるしかなかった。
だが、少女は再び夜空を見上げ、その答えを語ることはなかった。
教員には見えていないが。
春花は口元を動かして、小さく、言葉にならない声で呟いていた。
――雨が降る。
そう、……呟いていた。
「え……?」
瑚太朗はある建物に貼られている張り紙を見て、――言葉を失った。
小鳥の両親を塵に返して、ホテルに帰る途中、ついでに挨拶でもしていこうかと『えにしの家』に立ち寄ってみた。
だが、……建物は競売にかけられていた。
灯りひとつないその施設は、ほんの数日前まで障碍者施設として機能していた。
誰もいない。
ここにいた人々はどこに行った?
「……っ」
瑚太朗はすぐさま車に戻り、中のダッシュボードからノートPCを出して起動した。
マーテル協会のサイトを見る。えにしの家に関する記述はどこにもなかった。確かに以前見たときは施設紹介記事があった。
ならば。
マーテル本部のデータハックを試みる。協会の構成人員、ガイアの主力幹部のデータ、様々な情報をしらみつぶしにあたってみる。
……ない。
福井子に関する記述はどこにもない。彼女だと思われる情報すら見当たらない。データそのものを削除されたとしか思えない。
それに施設にいた子供たちのデータもない。
間違いない。
加島だ。聖女候補達を使って行動を起こした。――救済を発動させるために。
だが、鍵が手元にないのにどうやって……。
「まさか……」
鍵がないからか。
鍵の救済は、滅びの歌によって数日から数週間に渡って発生するといわれている。言い伝えによるとそれは天変地異そのものをもたらすとか。
滅びの歌は鍵が歌う。だが、もしそれが……人為的に発生させることができるとしたら。
滅びの歌の伝承は各地に残っている。ましてここは古くから鍵発生の原点ともいわれる風祭。研究されていても不思議ではない。
鍵がなくてもそれは可能なのか。
いや……。
完全ではなくても、鍵の救済を誘発することができるのであれば意味はあるのかもしれない。
加島がそれを狙っているのだとしたら。
――篝。
歌が始まれば篝は、もう理性で食い止めることなど出来ない。
篝の昏睡時間はどんどん長くなっている。
鍵としての本能が、救済を食い止めようとする理性と相克しあってるからだ。
だが、歌が始まれば、もう……。
「そんなことさせるかよ……!」
加島を探さねばならない。
事は一刻の猶予もない。
なんとしてでも加島の行方を突き止め、歌う前に阻止せねば。
PCを後ろの座席に放り投げ、エンジンをかけたそのとき。
携帯が鳴った。
――これは。
小鳥に伝えていた、緊急用の着信。
「どうした?! なにがあった!」
小鳥の怯えた声の内容に。
瑚太朗はエンジン音を轟かせ、急発進でホテルへと向かった。
小鳥は。
顔中を怪我していたが、手当てすらしないまま両手を広げて入るなと瑚太朗に言った。
バスルームの扉の前だった。
「おまえ……その怪我」
「たいしたことない。かすり傷だから。……瑚太朗くん。いまここに入っちゃ駄目」
「そこに篝がいるのか?」
「中はアウロラの霧状の粒子が舞っている。入っただけで溶けてしまうの。だから」
「何があった。電話じゃ要領を得なかった」
「鍵の狂歌現象っていって……あたしの知識でもあまり前例はないんだけど、つまり鍵が人間に近づこうとすると発生する現象なの」
「理性を失ったような状態なのか?」
「まあ、……ありていに言うとそう。鍵が滅びの歌を歌おうとしないと、感情と理性がぐちゃぐちゃになって、狂ったようにアウロラを撒き散らすの。それに巻き込まれた人間は誰一人助からなかった」
「……おまえはどうしたんだ」
「篝がバスルームに逃げたから扉を閉めただけ。この傷はリボンがかすっただけで……」
「篝が……」
「瑚太朗くん。このバスルームは密閉できるんだよね?」
「篝があのリボンで防弾ガラスを破壊しなければな。かなり広い造りで、吹き抜けになってて天井から壁まで全面ガラス張りだ。隙間はどこにもない」
「どうしよう……。このまま放っておくわけにも」
「……俺が行く」
「だめっ!」
「俺しかとめられないだろ。……大丈夫だ。死ぬつもりはない」
「だ、だって、中に入っただけで……!」
「上書きする」
「上書き?」
「汚染系能力とは違う、もうひとつの俺の能力だ。……かなりチートな能力だからな。今まで極力避けていた」
「そ、それは……どういう」
「正直、自分でもどう変化するのかわからない。……だがやるしかない。小鳥。この浴室から離れていろ。そこの扉はオートロックだから閉めれば中から開けない限り、ここは二重に封鎖できる」
「瑚太朗くん……」
「風呂はおまえのフロアにもあるから使ってくれ」
「バカっ! そんなこと心配しなくてもいい!」
小鳥は涙を振り払って、一度だけ瑚太朗を振り返ると、そのまま扉を閉めた。
ロックがかかる音を確認し、瑚太朗は深呼吸した。
……意識を集中する。
篝と繋がった記憶を回帰させる。
彼女の中。そこは熱く、甘く、羊水のような微睡みの心地よさを齎した。
包まれていると溶けてしまいそうなほど気持ちよくて。
抜くたびに天地が反転するような眩暈がして。
あの感覚だ。
あれがアウロラ。生命の泉。すべての命の源。
決して命を奪うものではなかった。
心も身体も、すべてを満たしてくれるものだった。
そんな存在に出会えたことを誇りに思う。
篝を想う。
彼女だけを一途に想う。
そして――。
自身の命を、彼女そのものと同化するイメージを掴み取った。
「篝……っ!」
――カチッ……
何かが嵌るような、ひとつの針が動いた。
それは瑚太朗そのものを何か別のものに変化させた、――ひとつの音。
顔を上げた。
そこにいる彼女を、見出すために。
to be continued……
次話、18禁予定です。
うーん、18禁にしなくてもいいような……。
ちょっと悩んでます。なので投稿は遅れるかもしれません。
冒頭は誰かおわかりかと思いますが、ルチアです。
この話ではルチアは機関によって作り変え済みです。原作とは違いますのでそこのところよろしく。




