第5話『夢:8月14日』
夢の中で、いつも通り自分の部屋で目を覚ました僕は、とりあえず携帯電話を手に取った。
8月14日。この日は桜花からの呼び出しのメールが無かった日だ。
今さら言うのもなんだが、僕と桜花のメールのやり取りというものは、ただの一方的な遊びの誘いだった。数日に一回、桜花から呼び出されて、僕はあの場所に向かう。それだけだった。
僕から桜花にメールを送ったことは一度もない。
理由は簡単だ。僕がシャイだからだ。
彼女からのメールがない今日、つまり、彼女と会うことはないということだ。
しかし、今日はメールが来なかったからといって、せっかくの一日を無駄にできるほど僕には、僕らには時間が無かった。と、いうのも、桜花が自殺をはかるまで、今日を含めてあと六日しか無いからだ。
携帯電話の電話帳の中から唯一の友人の名前を探し出し、通話ボタンを押した。とにかく、早く桜花の自殺の理由を消さなければいけないと思った。
少し長めのコールの後、桜花が少し驚き気味に電話に出てきた。僕は簡潔に「いつもの場所で待っているから」と言って電話をすぐに切った。夏のせいなのか、以上に喉が渇いていた。
僕はすぐに準備して家を出る。キンカンの木の前で立ち止まり、キンカンの実を木からこっそり拝借する。誰も世話をしていないせいなのか、キンカンの表面は少しだけ虫に食われており、口に入れるとザラザラとして気持ち悪かった。
公園に着くと、彼女はおしゃれな格好でリュックサックを背負ってブランコに座っていた。そして、公園に着いた僕を見ながら頬を膨らませ、「待ってないじゃん」と言ってきた。僕は取りあえず謝って、彼女の隣に腰を下ろした。
『ピッ…ピッ…ピッ…』
僕は、不思議な機械音が頭に響いていたが、なるべく気にしないように言葉を放った。
「その格好、どこかに行くの?」
「今日はこれから買い出しに行くんだ。少し早いけど、早めに準備しておいて悪いことはないしね。」
そう言って彼女はブランコから立ち上がり、淡いブルーのワンピースをなびかせながらくるりと回る。
「どう?似合う?」
そう言いながら笑う彼女はやはり美しかった。
「似合うよ、すごく似合う。」
彼女は僕の言葉を聞くと少し大人しくなってもじもじしてしまった。桜花は何がしたかったのだろうか。
結局、僕は桜花にお願いして買い物に同行させてもらうことになった。
僕と彼女は二人で公園を後にし、並んで歩きながらすぐ近くの町役場へと向かった。そこにしかバス停がないからだ。
現実では経験できなかった彼女との買い物を楽しめるということで、僕は少なくとも遠足の前の日よりはドキドキしていた。
バスに乗った僕らは、いつも通りに本の話をしながらバスに揺られる。彼女の首元はやはり色がおかしい。
影と言われたら納得してしまうほどにうっすらだが、確かに薄く青黒くなっている。僕は彼女の現実について、一つの仮説を立てていたが、それもほぼ確かなものとなった。
バスに30分揺られた僕たちは最寄りの駅に到着した。
とりあえず、僕たちは大型ショッピングモールのある終点の駅へと行くため、乗車券を購入した。駅の中にある自動販売機でジュースを買い、待合室に入る。
電車は一時間に一本しかなく、少しだけ待つ必要があった。
彼女は待合室に入ると、さっきまでしていた本の話は放り出して別の話をふってきた。椅子は腐敗が進んでいて座れない。
「そういえば、光助君から連絡くれたの初めてだよね。しかも電話で!」
僕は照れ隠しか、頰を人差し指で掻く。慎重に言葉を選び、僕の意思を汲み取られにように気をつけて答える。
「気まぐれだよ。暇だったんだ。」
「嘘だね。」
彼女は僕の発言を聞くなり、間髪入れずに返してくる。僕の発言が嘘であると。
「光助君ね、自分で気づいていないのかもしれないけれど、嘘をつく時は必ず頰を人差し指で掻くっていう癖があるんだよ。」
彼女はそう言いながら僕に鋭い視線を投げてくる。僕を軽く睨みつける桜花は笑顔だ。怖い笑顔。目が笑っていない笑顔だった。
僕は彼女の迫力に押されながら、その場から2歩ほど後ずさる。どんな言葉を返せばいいのか分からなかった。正直に桜花の自殺を止めるためなんて言うことはできない。そもそも、自分が嘘をつくときにそんな癖があるなんて知りもしなかった。
僕は逃げ道を探して周りを見回した。数分経ったのだろうか。
僕が沈黙を続けていると、遠くから列車が線路を踏みしめる音が近づいてきた。駅の近くに有る踏切の警告音が鳴り出す。僕はそれを利用することにした。僕を睨む桜花を見ないよう、ホームを指差してなんとか声を出す。
「電車、来たみたいだよ。」
そこからは終点駅に着くまで、お互いに無言で外の景色を目で追っていた。
僕が桜花への返答を渋ったから気まずくなった。というわけでは無いだろう。
二人とも無言だった理由は桜花にあった。桜花は電車に乗り、席に座ったかと思うと、一人でブツブツとつぶやき始めたのだ。
単純な話、僕は桜花が怖くて声をかけることができなかった。結果として、終点に着く頃には、二人とも外の景色をただ眺めるだけになっていたというだけだ。
ショピングモールに着くと、桜花は先ほどまでの話などなかったかのように再び明るく接してきた。僕は目を細め、彼女に哀れみの視線を向けながら彼女の後について回った。
なぜ僕が彼女にそのような視線を向けるのかというと、彼女の買い物の内容で彼女の意図がわかってしまったからだ。いや、多分はじめから分かっていたからこそ、僕は彼女の買い物についてきたし、彼女に哀れみの視線を向け続けたのだ。
彼女は、始めの方は本屋で本を買ったり、服屋で服を見たりと、いろいろな店に入って買い物を楽しんでいた。
そして、ほとんどの店を回った頃、彼女は唐突に来た道を引き返し、入ってきた入り口の脇にあった刃物の専門店へと入っていった。初めから彼女の目的はこれだったのだ。
彼女はあまり大きくない部類の刃物のコーナーへ行き、ペティナイフを手に取ると、そのままレジへと持って行った。僕は彼女を眺めながら、現実の今日、彼女が僕を呼び出さなかった理由を確認した。
互いに一通りの買い物を済ませた後、僕たちはショッピングモールを後にして駅の前で別れた。彼女がこの後も用事があると言ったからだ。
僕はひとまず彼女と別れ、駅のホームに入る。彼女に手を振って見送った後、僕はこっそりと改札を出て、彼女の後をつけた。
桜花は僕と別れた後、クラスメイトたちと合流した。そして、路地裏へ入り、桜花を中心にみんなで戯れていた。
クラスメイトは楽しそうで、桜花の表情を見ることはできなかったが、皆が楽しんでいるのなら桜花も楽しんでいるだろうと僕は決めつけ、その場を後にした。
家に帰った僕は、夢から覚めたら何をしようか考え、いつの間にか眠りについていた。