最終話『運命の日』
運命というものの解釈は人によって違う。
それは偶然の別称だと語る人がいる。
それは偶然の結晶だと語る人がいる。
それは神の決めたレールであると語る人がいる。
けど、実のところは‘こうなる’と最初から決められていた偶然かと見紛うような必然、それを運命と呼ぶのではないかと私は思っている。
つまり、予想外の事が立て続き、そうなるとは思はなかったと感じた事象であろうと、それは最初から遭遇する事が確定した事象であり、必然的な偶然だと断言する事ができる。と言う事だ。
この世には、人の手を離れた制御のできない物事がある。
けれど、それらは最初から行く末が決まっている物事であり、人の手が触れられないという点も確定した顛末の通過点の一つだ。
うん。うまく言葉にする事ができないな。
やっぱり私はベタな表現みたいなものが苦手なようだ。
だからもう、単純に表現をしてしまおう。
それがいい。
初めから、私はそうなる運命だった。
私達は、そうなる運命だった。
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「じゃあ明日から夏休みなわけだけど、中学生ってのを忘れないように安全に過ごせよ。あと、部活はサボるなよ〜」
それだけ言い残すと担任の高橋先生はあくびをかみ殺しながら教室を出て行った。
瞬間、クラスメイトたちが騒ぎ、盛り上がる。
夏休みはどこへ行こうかと、何をして遊ぼうかと想像を膨らませる。
そんな眩しい青春に満ちた教室を私はそそくさと出て行った。
理由は語るまでもない、その場所にいる必要性を感じなかったわけだし、私がいるべき場所ではないと思えてしまったからだ。
だからさっさと家に帰り、整理した思考の末に手に入れた私の夢を叶えるための算段をつけてしまおう。
と、思っていたわけなのだが。
「まさかこんなときに忘れ物をするなんてなぁ」
忘れ物をしてしまい、一度家に帰ったのに再び学校に戻ってきてしまった。
別に忘れ物なんて、よほど必要なものじゃない限りは取りに行く必要はない。
だけど、今日は物が物ななだけにどうしても取りに行く必要があった。
「あ、あったあった」
自分以外は誰もいない教室で、私は机の中からバタフライナイフを取り出した。
今の私には手放せない依存先の一つだ。
中学一年生女子である私の手には少し大きすぎるサイズの歪なものだ。
グリップというか、持ち手の部分が木製なのがお気に入りポイントだ。
バタフライナイフを制服の胸ポケットに仕舞い込み、教室から出る。
「オラ! なんとか言えよ光助!」
どこかから、以前も聞いた事のあるような声が聞こえてきた。
あぁ、‘今がその時か’と思い、私は声のする方へと足を踏み出した。
「お前に口はないのかよ!」
特別教室の扉に背を預けてよくよく聞けば、聞こえるのは佑也の声だけで前回のように野次の声は聞こえてこなかった。
扉の窓から中を覗き込むと、佑也が光助君の胸ぐらを掴み、怒鳴っていた。
生きていて楽しいのかと。つまらないなら殺してやろうかと怒鳴っていた。
けれど、聞けど聞けど私の耳には届いてこなかった。
どうして佑也が憤り、光助君の胸ぐらを掴んで怒鳴りかかっているのか。その理由が私の耳には届いてこなかった。
それはつまり、佑也の行為が立派な精神疲労処理だと判断でき得る事をいみする。ならば、光助君は苦しんでいるはずだ。
無意味で無根拠な暴力に嫌気を抱いているはずだ。
この瞬間、私は運命の岐路に立たされた。
いや、運命とは必然的偶然の名称だ。だから、私のこの時の選択は最初から決まっていたものだと言えるだろう。
だとしたら、運命の帰路などと綺麗事をいうのはふさわしくない。
そうだな。よりふさわしい表現をするのなら、私はこの瞬間、運命の重要通過点に立っていた。
小説で言えば、文字起こしされる面の部分に立っていた。
これまでは文字起こしすらされない不必要な部分に立っていたのだから、ようやく物語のスタート地点に立つ事ができたという事もできるだろう。
まぁ、そんなこんなで運命の通過点に相対した佐伯桜花だが、選んだつもりでただ真っ直ぐに進んだ先は……
視界は、佑也が光助君を殴るのを捉えた。
その光景を視認するなり、私は勢いよく特別教室の扉を開いた。
実に私らしくない行動だと思う。
ただ、この時は本当に自分で自分が制御できなかったのだ。
それこそ、神に自信の体を無理やり操られているようだった。
勢いよく扉が開かれたことで、佑也が驚いた表情で私の方を見た。
よくよく見れば、扉の死角である教室の隅にはあかねが腕を組んで驚いた表情で立っていた。
「なっ…佐伯」
思わずといった様子で光助君を手放しながら、佑也は驚愕の声を放つ。
そんなことは気にせず、私は佑也の元へとズカズカ歩いて行き、自分よりも身長が高い佑也の胸ぐらを掴んだ。
「ちょっとアンタ!」
と、焦るようなあかねの声がしたが気にする必要はない。
息を吸い込み、私は感情を吐き出した。
生まれて初めての感情的で愚かな行動だったのではないかと思う。
「お前は!そんなに簡単に殺してやるなんて言っていいと思っているのか!命を奪ってやると宣言できるのか!お前は命の重みを理解できないのか!だったら!」
より一層大きく息を吸い込みかつてないほど両目を見開いた。
「だったら私がお前を殺してやる!命の価値を教えてやる!お前に他人の命をどうこうする資格はない!」
あまりにも突然の展開に、佑也はどうしていいかわからないと主張するように動揺した。
私はそんな佑也に追い討ちの平手打ちをした。
尻餅をつき、佑也が間抜けな表情で叩かれた頬に手のひらを触れさせる。
「…は?」
なんて声を零しながら。
「ちょっ!アンタなにしてんの!」
慌てた様子で私の肩を掴んできたあかねに、ポケットから取り出したバタフライナイフを突きつけた。
刃ではない平面の部分をあかねの腹部に当て、自分でも驚くほどの冷たい声で言い放つ。
「死ぬって怖いんだよ?」
あかねはその顔に恐怖の色を滲ませ、私を突き飛ばそうと手を伸ばしてくる。
けれど、それよりも先に私はナイフを持っていない方の手であかねを突き飛ばした。
尻餅をつき、痛いと呟くあかね。
佑也はその様子を見て、ハッとしたように立ち上がり、あかねの手を引いて特別教室から出て行った。
実にあっけない展開だ。
「あ、あの…その、ありがとう」
挙動不審という言葉が似合う光助君は、恐る恐るといった様子で私に声をかけた。
殴られたことで地面にへたり込んでしまっているあたり、なんというか女々しい印象を受ける。
礼を言う少年に私は作った笑みを返す。
私の中で悪の側面が囁いた気がした。
手を差し伸べ、笑顔のまま毒を贈る。
「君、いつも教室で本を読んでいるよね」
「…え?」
「私もよく本を読むんだけど、周りに本が好きな人がいなくて、本の話が全然できなかったんだ。よかったら、私と本の話とかしてくれない?休みの日とか、暇なんだ」
斯くして、少女は最後の夢を叶えるための一歩を踏み出す。
破滅への道を進む少女は救いを求め、足踏みを始める。
その先に待つものなど……




