第28話『真実に背を向けて』
花弁散る季節は死に去った。
そして、新たな春が来る。
着慣れぬセーラー服に身を包み、私は新たな生活のために中学校へと向かった。
入学式は昨日終えた。今日から私も中学生だ。
照る日。過剰なほどの冷たい風。新たな生活に胸を踊らせる少年少女の騒ぎ声。いつもと変わらぬ子鳩の不器用な鳴き声。
様々な情報が目やら耳やら鼻やらから私へと入り込み、血肉になることもなく吐息に紛れて吐き出される。
「はぁ。つまらないな」
吐息に紛れ、そんな言葉が思わず口から零れた。
「そうだねぇ。何か面白いことでもあれば良いのにねぇ」
隣を歩く優子が私の言葉に共感して笑う。
その笑みはうすら寒いものがにじみ出ていたが、いつもの事だから私は気にしない。
「まぁでも、面白いことばっかりでも退屈になっちゃうけどね」
「それはそれだよぉ」
くだらない話をしていた私たちは学校に着くなり手を降って別れた。
理由は単純。私たちは別々のクラスだからだ。
教室に入ると見慣れぬ生徒がたくさん居て、私は柄にもなく怖気付いてしまう。けど、そんな私の背を軽く叩きながら聞き慣れたこえで佑也が声をかけてきた。
「よっ。元気か?」
「…普通」
「…そっか」
嫌そうな顔を作っていう私に少しだけ戸惑った様子を見せはしたけれど、それでも思い直したように佑也は笑顔を向けてきた。
全く。本当に物好きだ。
どうして私みたいな無愛想で面倒くさい女にこうも絡んでくるのか。
「制服、似合ってるぞ」
それだけ言い残し、佑也は出席番号順に割り振られている自分の席に座った。
普通に気持ち悪いなぁと思った。
「邪魔。どいて」
続けざまにあかねに毒を吐かれた。
キモい何ていう単調な毒だったけれど、私は全くもってそうだとあかねの言葉に同意した。だから特にイラついたりはしなかった。
私は気持ちの悪い人間だ。
死にたくない何て思い続けていたくせに手のひらを返したように死にたいと願うようになり、今ではほら。
「傷だらけ」
自殺未遂の跡が残る腕を持ち上げ、手のひらで下腹部のあたりをさすった。
本当、何から何まで汚れた傷だらけの人間だ。気持ちが悪い。
「あ、あの」
相変わらずっ教室の扉の前で立ち尽くす私に控えめな男の子の声がかけられた。
それが邪魔だから退いてほしいと言う旨の声かけであることは容易に理解できた。
「あ、ごめん」
そう言い、振り向きながら私は一歩だけ立ち位置をずらした。
「ありがとう」
目を合わせることなく私に言い捨てたその少年は、いつかの少年だった。
名前は確か…
「藤沢…光助…くん」
「え?」
おどおどした様子の少年は、昔から何かと縁のある少年は、驚いた様子で私の顔を見た。
なんだかんだ、初めて真正面からしっかりと顔を見たと思った。
整ってはいるものの、これといった特徴のない顔だった。
強いて言うなれば少しだけタレ目で目が細くて、ちょっとだけ目つきが悪いと言う印象を受けた。
「あ、いや、何でもないよ。ごめんね」
どう言葉を紡げば良いのかわからず、私はそんなことを言ってごまかし笑いをした。
そして、逃げるようにそそくさと席に着いた。
始業の時間になり、クラスメイト全員と先生が揃うとすぐにホームルームが始まった。
パッと見回すと見覚えのある顔がちらほらある。
同じ小学校に通っていた子たちだ。そして、私を精神疲労の捌け口に使った子たちだ。
私を虐めていた人間以下たちだ。
彼ら彼女らをチラチラと見る私を、彼ら彼女らはチラチラと見てくる。
私は警戒の意を込めて。彼ら彼女らは嫌悪の意を込めて。
多分だけど、かつてのように私がクラスの中で孤立してしまうのも時間の問題だろうと思えた。
だって、私は気持ちの悪い人間で、もう周りに対して自分を偽ろうだなんて考えることもなくなってしまったのだから。
だから、きっと私はかつてのように周りの人間たちに興味を示さない態度を向けてしまい、それで反感を買ってかつての顛末を繰り返す。そうなるのだろう。
だから身構えなければ。
私を殺す気もないのに傷つけてくる臆病者どもの幼稚な言葉や行動を、心を折ることなく耐えきるために身構えなければ。
…耐えきる?
それは一体どうして?
どうでもいい。そんなことは気にする必要はない。
ただ、私は彼ら彼女らから向けられる非人道的な言動の数々を耐え、生き延び、そして死ななければならない。
それだけが今の私の目的で、目指すべき執着だ。
だから身構えろ。
どんな仕打ちを受けても大丈夫なよう、あらゆる顛末を想像しろ。
考えることだけが唯一私の誇ることのできる事象なのだから。
なんて警戒心むき出しで中学生生活を始めた私だけど、私の警戒をあざ笑うように過剰なほどの日常が私を待っていた。
「桜花ちゃん。一緒に帰ろぉよぉ」
遠足を目前にした5月頭。
放課後に教室から出ると優子が私を待っていた。
「もちろん」
「えへへ。やったぁ」
そう微笑みあって帰路につく私たちを、クラスメイトは一瞥するもののすぐに意識の範囲から外す。
小学校が同じであった人たちもそうでない人たちも、みんな一度は私を視界に収めるがすぐに視界から外してしまう。
前者と後者で私を視認する意味合いは異なるが、なぜか皆が私に少しなりとも意識を向けてくる。
自意識過剰だろうか。もし、そうなら私としても救われる。
私はクラスメイトを一瞥し、すぐに優子とその場を去った。
その日、家に着くなり私は学校に忘れ物をしてしまったことに気がついた。
翌日の遠足に持って行こうと思っていた本を教室に忘れてしまっていたのだ。
別に他の本を持っていけば良いじゃないかとか、翌朝の集合時間前に取りに行けばよかっただろとか言われたら私は否定できない。
確かにその方が合理的だと私も理解しているからだ。
だけれど、なぜか私はそんな合理的な考え方をすることができなかった。
意味もなく、今すぐ教室へ行くべきだと思考してしまった。
足を踏み入れた教室。
橙に染まるカーテンや教卓、板書。
並べられた机のほぼ真ん中にある自席まで歩き、その中から目当ての物を手に取った。
「よかった。あった」
無くなってしまうはずがないのだが、私はポツリと言葉を零した。
自分の行動を確認するための、それを正当化するためのものだった。
「…帰ろ」
自分以外は誰もいない教室を見回し、私は帰路につこうと歩を進めた。
そして、教室を出てすぐに私は足を止めた。
「……声が聞こえる」
どこからともなく、男の怒鳴り声が聞こえてきた。
いや、男というよりは男の子だ。声変わりしていない声だから私と同じ一年生で間違いないだろう。
恐る恐る、私は声のする方向へと歩いて行った。
近づくにつれ、怒鳴り声はより一層大きなものへと変わってゆく。
そして、近づくにつれてその怒鳴り声に合いの手を入れるような女の子の声も聞こえてきた。いや、よく聞けば合いの手には男子の声も混ざっている。
誰かと誰かが喧嘩していて、それの野次でもしている人たちがいるのだろうか。
さらに近づくと、怒鳴り声が聞き覚えのある声であると気づいた。
もう随分と長いこと聴いている声だった。
よくよく聞けば、野次の中の女の子の声も聞き慣れた声だ。
「おら!なんとか言えよ!」
たどり着いたのは特別教室の目の前で、中からは佑也の憤った声が外に漏れ出ていた。
少しだけ嫌な予感がした。けれど、それでも野次になりたくなってしまうのは人間の嫌な性だ。
私は静かに扉に近づき、扉の窓からこっそりと特別教室の中を覗き込んだ。
そして、目を見開いた。
「光助!お前はなんも言えないのか!」
特別教室の中での出来事を信じられず、私は吐き気がした。
「なんも言えねぇのかって聞いてんだよ!」
怒鳴りながら、佑也は藤沢光助君の胸ぐらを掴み、殴る。
殴られた藤沢光助君は顔を苦悶の表情に歪めるが、何も言葉を返さない。
「何か言えよ!」
そう言いながら、佑也は藤沢光助君を突き飛ばす。
藤沢光助君は尻餅をついてしまい、そんな彼の腹を佑也が踏みつける。
二人のそんな争いを見て、争いというよりも一方的な暴力の押し付けを見て、野次の男子生徒たちは盛り上がる。そして、盛り上がる男子生徒に紛れ、あかねがつまらなさそうな顔で、笑っていた。
声では笑っているけれど、その実つまらないと感じているようだった。
「何…してるの……」
蹲る藤沢光助君を見て、思わず声が漏れた。
足が震え、私はその場にへたり込んでしまう。
そして、次いで特別教室の中から聞こえてきた言葉に。背を預けた教室の扉から伝ってきた言葉に、私は激しく動揺した。
「なんだよ。何とか言えっての。それとも何だよ。佐伯の虐めの肩代わりをして正義の味方気取りかよ!」
そんな佑也の言葉に、野次の男子たちから「かっこい〜」などという煽りが投げられる。
……何それ。どういうこと?
藤さ…光助君が私の虐めの肩代わりをしたって?
何の話をしているの?意味がわからない。
少しでも思考の補助になるようにと、私は再び扉の窓から教室の中を覗き見た。
「良いのかよ。このままだとまた佐伯は虐められることになるぞ」
論理もクソもない佑也の震えた声。
それを蹂躙するように、おとなしい男の子は吠えた。
「お前な! お前なぁぁぁぁぁぁああああああ!」
光助君は立ち上がり、佑也の胸ぐらを掴み、その勢いで顔を思い切り殴った。
「何してんだよテメェ!」
慌てたように野次の男子たちが光助君に掴みかかり、次々と殴りかかる。
まるでドラマでも見ているようだった。
そんな客観的な感想を抱き、私はその場から静かに歩き去り、逃げた。
生々しい生の躍動に背を背け、逃げた。
あと二話で終わりです。
彼女はリストカットを自殺未遂の証だと思っているようですが、まぁ、そういうことですよね。




